ロシアの深き森にて

ロシアの深き森にて

ロシアにて読んだ本や日々感じること、ふと浮かんだうたを記録する。

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読書記録、『キリスト教入門』(矢内原忠雄、中公文庫)

「宗教は弱者のための必要物だと言う人があるなら、そのとおりと言うほかはない。しかし世に弱者は多いのである」

「キリスト教はすべて乏しい人の宗教であります」

なぜ人は祈るのか。ロシアに関しては、文化的基盤の枢要を占めるキリスト教を学ばねば。

第一歩として好著だった。

自身もキリスト者の矢内原氏の記述は学者としてのそれではなく、胸に迫る。氏は日中戦争を批判して東大教授を追われた「矢内原事件」で知られ、戦後は一転、東大総長に。

つい最近、文庫化されていたので飛行機内で読んだ。

$ロシアの深き森にて-moldova
読書記録、『コザック/ハジ・ムラート』(トルストイ、中央公論新社)

コザックのみ読了。北コーカサスを舞台に、貴族出の若い士官候補生がコザック村に駐在しての物語。モスクワでの都会生活から野性的な村での人間的生活へ、酒と狩猟と孤独な思考へ――。

まずは自己犠牲的な気分に酔い、やがて「自己犠牲は傲慢だ」と変遷し、美しいコザック娘を相手に幸福を率直に追求するに至る。けれど、唐突にして人生の苦さを嘗め、村を去る。苦さを知ってこそ人生か。

もう一人の主役は勇猛で性急な若いコザック。そして大コーカサス山脈。

「彼が自分と、山や空との距離と、山の巨大さとを完全に理解したとき、そして、その美の限りなきを感得したときには、彼はそれが幻ではないか、夢ではないかと驚き怪しんだくらいである。彼は、はっきり目をさますために身ぶるいしてみた。が、山は依然として変わりがなかった」

この本も中央公論新社から去年、出版。それまでは全集か古本でしか読めなかったらしい。
$ロシアの深き森にて-kazbeki
読書記録『人間の運命―Судьба человека―』(ショーロホフ、米川正夫・漆原隆子訳、角川文庫)

五つの短編からなる200ページ足らずの薄い文庫本だが、密度は濃い。特にロシアを知りたい者にとっては。解説で元外交官の佐藤優氏は「ロシア人の内在的論理を短時間で知るために本書は最適」と書く。その肝は「正義感の強さ」と「暴力性」という。なるほど。

加えて、ロシア文学というと帝政時代のものが著名だが、ショーロホフ(1905~1984)は20世紀、まさにソ連時代の人だ。ドストエフスキーやトルストイとは違う、革命後のロシア文学は非常に新鮮だった。

滅びゆくコサック村の老人、社会主義化にほんろうされる農民、ささやかな幸せを破壊した「大祖国戦争」の悲しみ。ロシア革命から戦後までの時代の空気が1冊に凝縮して保存されているように感じた。

「戦争の間に白髪になった初老の男たちは、夢の中でだけ泣くのではない。彼らはうつつにも泣くのだ。そういうとき大事なのは、適当な時に顔をそむけることである。何より大事なのは、子供の心を傷つけぬことだ。君の頬に乏しい、焼くような男の涙が流れるのを、子供に見られないようにすることだ……」

――表題作『人間の運命』より

$ロシアの深き森にて-白夜
ロシアはサンクトペテルブルクに来ている。しばらくここで暮らすことになった。

下宿先からは徒歩圏にある、ロシアで最初にできた博物館「クンストカメラ」へ行った。ロシア帝国を打ち立てたピョートル大帝(1672年~1725年)が創設し、現在は大部分が世界の民族学に関する展示となっている。

入ってすぐ、「エスキモー」の展示が始まり、ロシアの探検家が紹介される。東=ボストークへと国を広げていったロシアの足跡を感じさせる。続いてアメリカインディアン、その次が日本の展示だ。いずれも20世紀初頭ぐらいまでの民族衣装や道具、家屋などが実物、写真、模型で示され、なかなかに興味深い。

ピョートル大帝が集めた品々は上の階にある。入ると、人だかりができている。展示物は、奇形の胎児たちのホルマリン漬けや骨格標本が中心だ。無脳症、シャム双生児、等々。見世物小屋的に人々の関心を引きつけるには十分すぎる品々だ。

だが、展示説明を読んで、うならされた。おおよそ、こうあった。

ヨーロッパにより近い都市としてサンクトペテルブルクを創建したピョートル大帝は、富国強兵に力を注いでいた。有為の若者を欧州先進国へ学生として派遣して技術や知識を吸収させ、自らもオランダなどへ留学して先端科学・技術に目を見開いた。造船など直接、強兵に役立つものだけでなく、解剖学にも強い関心を抱いた。

当時のことである。一般庶民の間にはありとあらゆる迷信がはびこっていた。奇形児が生まれれば、悪魔のたたりと見なすような。大帝は「富国強兵には迷信の打破が必要だ」と考えた。そこで、あえて奇形胎児の標本を集め、展示する博物館を作った--のだという。

これを悪趣味と見るか、情熱的な啓蒙君主と見るか。

僕は後者と見たい。ピョートル大帝についてもっと知りたくなった。その御世は、ロシアが「坂の上の雲」を目指した時代ではないだろうか。どの国家にもそういう時代が何回かあるはずだ。日本であれば、最近では明治の「富国強兵」時代や戦後復興期などだろう。今だって、この世界のあちこちに、そういう時期にある国々が存在する。

■■以下、誤認識があり訂正■■

【誤】
せっかくサンクトペテルブルグ(聖ピョートルの都市)にいるのだから、まずはピョートル大帝からロシア史に踏み込んでいきたい。

【正】
せっかくピョートル大帝が創建したサンクトペテルブルグ(聖ペトロの都市)にいるのだから、まずは大帝からロシア史に踏み込んでいきたい。

ロシア文学シリーズその1として、細身の1冊を。古典新訳文庫は文字サイズ等、読みやすい。

一夏を郊外の別荘(ダーチャ)で過ごす16歳の少年ウラジーミルが、隣人となった21歳の女性ジナイーダに恋い焦がれ、甘美と苦みを全身に受け止める物語。19世紀のロシア貴族社会、農奴制など背景もはしばしに描かれる。これはもう、読み終えるまでウラジーミル君と一緒に息苦しくもだえるしかない。

自然描写と心理描写の重ね合わせ方がとても良いのです。次のように。

   ◇   ◇   ◇

俗に「雀の夜」と言われる短い夏の夜で、稲妻はかたときも止むことはありませんでした。目の前に広がる光景は、ひっそりと静まり返った砂原、黒々と一塊になっているネスクーシヌィ公園、遠くにある建物の黄色っぽい正面でしたが、稲妻が淡く光るたびに建物までぶるっと身震いしているように思えました。(中略)音も聞こえないこの稲妻、慎ましやかなこの稲光が、私の内部でやはり音もなく秘めやかにきらめきだした精神の高ぶりと呼応しているように思えたのです。

   ◇   ◇   ◇

父はなかなか戻ってきません。川面からいやな湿気が漂ってきたと思ったら、しとしと小雨が降りだして、間の抜けた灰色の丸太に、点々と小さな黒い雨の跡をつけていきます。

   ◇   ◇   ◇

箴言のような一文も時折、顔を見せる。

「青春に魅力があるとしたら、その魅力の秘密は、なんでもできるというところにではなく、なんでもできると思えるというところにあるのかもしれません。(中略)だれもが自分のことを浪費家だと本気で思いこみ、『ああ、時間を無駄につぶさなかったら、どれほどすごいことができただろう!』と本気で考える、そこにこそ潜んでいるのかもしれません」

「なんでもできると思える」青い自己肯定感、膨張感覚を「青春の魅力の秘密」と分析する独自の見方は興味深い。確かに、根拠のない自信があればこそ、大人にはない伸び伸びとした感性が持てるのかもしれない。

また、ウラジーミルの父の息子への忠告として。

「取れるものは自分で取るんだ。くじけてはいけない。つねに自分自身でいること、それこそ人生の醍醐味だよ」

物語は筆者トゥルゲーネフの体験に基づくという。解説によると、その父セルゲイは「タタールの血をひく軍人」とあり、興味深い。
大学生時代、行きたかったが断念した留学。同世代の「週刊東洋経済」記者が、米スタンフォード大学大学院への社会人留学経験を基に、米一流大学の教育と学生、エリート層の実態を体験と各種資料を用いて手際よく描く。さらには国際政治、日本のあり方、勉強法まで筆を進める。主要7カ国を日本のプロ野球球団になぞらえて示す論考などもおもしろい。

以下、メモ。

【思考について】

▽日本人は現場絶対主義に陥りがち。米国のエリートは過度の抽象化と現場感覚の欠如で失敗を犯しがち。現場と抽象の両方の具備こそ理想では。
▽米国の愛国心。保守派は過去志向(偉大なる過去からの継承)。リベラル派は未来志向(過去を乗り越える)。
▽欧米リベラル派の思考法。「弱い側に立つのが正義」と堅く信じるバカの壁あり。
▽米国型思考は物事を抽象化してモデルにするのがうまい。一方で、ある法則やモデルを安易に普遍化してしまいがち。

【歴史と国際政治】

▽個人的意見として、「国力=経済力40%、軍事力20%、政治力10%、文化力10%、人口10%、地理10%」
▽カリフォルニア大学サンタバーバラ校歴史学部の長谷川毅教授、『暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社)。第二次大戦の日本降伏の最大の要因は原爆ではなく、ソ連による侵攻との主張。

【勉強法】

▽英語の総合力を高めるのに一番効率が良いのは暗記と音読。興味ある分野の対談、講演、ニュースを聞き、大事なところ、うまい言い回しを記録し、ひたすら音読・暗記する。米PBSの番組、サイトを推奨。通訳学校の訓練は使える英語の最高のトレーニング。
▽知識習得の王道はよいソムリエの紹介する良書を徹底的に読み込み、書いたり、議論したりして頭を整理する。お勧めは有名教授の授業のシラバスにある課題図書を参考にすること。
▽ニュースサイト「REAL CREAR WORLD」

動物園は冬がいい。冬晴れの午後、上野を歩く。大勢の動物の体温で園内は少し温かい。

見たかったのは北極熊。園舎が新しくなり、水中の様子が見られるように。最初はつまらなそうに歩く姿しか見えなかったが、運良く昼食の時間にあたった。

急いでガラスにへばりつく。リンゴや魚が次々と放り投げられ、ダイブした白い巨獣が毛皮をひるがえして大きな矢印になって泳ぐ=写真。こちらも夢中になる。

深き森づくりのノート

上野は東園と西園とがある。歩いて行けるが、たまには都営交通の懸垂式モノレールに乗る。

西園は通好み。爬虫類両生類館がいい。まず、眠たげなオオサンショウウオがいる。巨大なワニ、亀くさいゾウガメ、毒々しいイモリ、アマガエルのお腹=写真。そして餌のコオロギ。

深き森づくりのノート

夜の動物館には、かの有名なハダカデバネズミのコロニーもある。

ペンギン舎には偽物もいる=写真。コビトカバのお母さんは脱腸を手術したばかり。去年生まれた子供も心配そうだ。

深き森づくりのノート

そういえばパンダもいる(東園)=写真。彼らは背中で語る。器用な手に注目して欲しい。

深き森づくりのノート

西園を一回りするころには午後4時。動物たちはおおむねみんな建物へ入る。不忍池に西日が乱反射する。しみじみ帰りどきだと感じさせてくれる。



大学生のころ学びかじった「ソフトパワー」のことなど思い出しつつ、書店で手に取った。冒頭の、バヌアツにおける中国の文化外交戦略のケースが興味深くて購入。パブリック・ディプロマシーの歴史や概念の変化、現代における課題、日本の現状などきっちりまとまっている。細切れではあるが、多彩な実例が興味深い。参考文献リストも役立ちそう。

以下、印象的な箇所を。

歴史的観点からは、オスマン帝国の宗教的寛容政策を紹介しつつ、「多様性のマネージメントという点では『国民国家』よりも『古典的帝国(前近代的帝国)』のほうが一枚だったといえるが、文化的な開放性が異教徒や異民族の『心と精神を勝ち取る』ことを可能にした」という。

さて、冒頭の中国の積極・果敢な文化外交については、「政府の強い関与や一元的な管理は、一見、効率性のよいパブリック・ディプロマシーに見えるかもしれない。しかし、今日のパブリック・ディプロマシーが直面しているのは、政府の関与が強すぎると、かえってソフト・パワーを低減しかねないという逆説である」と指摘する。

過去の失敗例としてソ連も登場する。

「ソ連は芸術、スポーツ、映画、ラジオ、出版などを通して、自国が多様性に対して寛容で、文化的に成熟していることを世界にアピールしようとした。その一環として、例えば、民族衣装を身に纏って舞踊や楽器を奏でる少数民族のイメージが多用された」。だが、「先進国では1980年代までにソ連の政治的抑圧や経済的停滞が自明のものとなり、文化外交によってむしろソ連の流布する『物語』の魅力や信頼性、正統性が一層損なわれる皮肉な結果となった」。

痛々しいものである。ふと、五輪開会式でよく開催国の少数民族が民族衣装姿で登場する場面を思い出した。たとえば北京五輪はどうだったか。ソ連の例は決して過去のものではない。

現代はいかに。「(被災地支援など)より普遍性の高い、『人間』としてのニーズや感情に応えることで、自国の道義性や存在力を示し、対象となる人びと、ひいては国際世論の『心と精神を勝ち取る』ことがパブリック・ディプロマシーの新たな標準となりつつある」。だいぶん高度になっている。そして、動機がどうあれ、助けになることは間違いない。

この面で興味深いのは、キューバ。「キューバの『医療外交』は近年、急速にその規模を拡大している」という実態の紹介だ。数千人~数万人規模の医療関係者を70カ国に派遣し、また、首都ハバナの南米医科大では「南米各地から集まった1万人以上の学生に無償で医学を教えている」という。

一方でより懐疑的な側面からは、米国の最近の例を紹介。CIAでは同時多発テロ後、文化人類学や地域研究を専攻する学生の確保に乗り出し、米陸軍は社会学者を軍に同行させて情報収集に協力させる「人的形勢システム」の運用を開始しているという。きれい事では済まない生々しい実態だ。

そうした背景には「ソフト・パワーを軽んじることは、ハード・パワー行使の正当性を揺るがし、かえって政策目標遂行のためのガバナンス・コストを高めることになりかねない」ことがある。現実主義的な観点からすれば、あくまで「軍事力は『国王の最後の手段』(中略)、パブリック・ディプロマシーは『国王の最初の手段』」なのだ。
Last Monday, I went to the Ryogoku Kokugikan, the Sumo stadium in Tokyo, to watch this year's first round of Sumo matches. After I watched some matches, I found an interesting thing. Among top 50 Sumo wrestlers, there are more than 10 foreign wrestlers. They are from Mongolia, Russia, Georgia, Estonia, Bulgaria, the Czech Republic, and so on. All of these countries were once ruled by communist party. No top 50 foreign wrestler is from western countries. What does it mean?

First, I only thought that this phenomenon indicates "the Japanese dream" because most of these countries are so-called developing countries. For strong young men living in countries where average salary is not so high, being Japanese Sumo wrestler might mean getting a dream ticket, I thought.

But afterward, I have remembered four famous foreign Sumo wrestlers. They are Takamiyama, Konishiki, Akebono, and Musashimaru. All of them are from the United States, and they played Sumo mainly from 1970's to 1990's. Now in 2012, you can't find any top 50 wrestlers from US. What have happened in these 20 years?

My answer is the collapse of the Soviet Union in 1991. Around this big historical event, most of other communism countries in the world had changed into capitalism countries.

Before 1991, I think people in communist countries could not move easily to capitalism countries like Japan. That means it was difficult for them to become Japanese Sumo wrestler. After the cold war, people from such countries have got the chances to go abroad freely only if they have money. Therefore, some strong young men have chosen to become Sumo wrestler.

I don't know why Sumo wrestlers from US have disappeared. But roughly speaking, the movement of the world was changed. And I have heard that the first Egyptian Sumo wrestler was registered in this month. He is also the first Sumo wrestler from African continent, and is also the first Muslim wrestler. The world is changing day by day.

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In February 3rd, I will take an examination in my company. The exam will be only English composition test. Therefore I have decided to write English essays as much as I can until the test.