盛岡の観光対象は、東北新幹線など盛岡駅東口から東、開運橋で北上川を渡った先にあります。

ほいぢ、駅との往来、名所めぐりは盛岡中心市街地循環バスでんでんむし利用が便利です。路線図、時刻表など詳細は『岩手県交通(株)』HPご参照。

盛岡駅前(東口)⑯左回り、⑮右回り。

9:00台から16:00台まで20分間隔で運行。

1乗車120円降車時支払い

1日乗車券350円は盛岡駅前バス案内所で販売。

 

史跡 盛岡城跡

でんでんむし 盛岡城跡公園下車

公園の範囲は史跡指定範囲より広いらすい。

1598年盛岡藩初代南部信直が着工、1633年三代重直完工。

92年に見学済。あれから30年(byきみまろ)、なーんも憶えていませんですた。

石垣、堀の一部だけ残存で捉えどころがない はあるでしょう。

北から南へ三ノ丸、二ノ丸、空堀を朱塗りの橋(現代)で渡って本丸。

拙もPも撮影する意欲がじぇんじぇんわかず、次の1ショットのみ。

烏帽子岩(宝大石)

三ノ丸整地中に突き当たり、櫻山神社の社宝となる。

 

盛岡市内 7ページ

ところで、江戸時代の城は三百諸侯という語彙があるくらいだーら、ソートー数あるのでしょう。んが、当時の建物が1棟でも残っている城となるとごく少ないのでは。

関東7県の代表的な城、江戸城、小田原城、佐倉城、川越城、前橋城、宇都宮城、水戸城でみても少ない。

御一新で本来の用途を失い、維持費がかかるだけで、破却されたのでしょう。

1棟でも復元しているかとなるとさらに少ないのでは。

復元意欲のある市は大藩より10万石未満の小藩のほうに多いような気がします 上ノ山、新発田、大多喜、高島、掛川、郡上、桑名、岸和田、出石、赤穂、津和野、今治、唐津、臼杵、日出、島原・・・。天守閣でもぶっ建てないとだーれも気づいてくれんが。

盛岡藩は20万石、青森県東半まで領有、現在盛岡は岩手県庁所在地、誰でも知ってる。

そりから、拙らは現状を撮影する気になれなかった。門や櫓を復元しちくりたら撮影するかというとやあり撮影しないとおーいます。構え自体にミリキが薄い。

復元、維持に投資しても観光客は増えないのでは。

この城で奥羽の覇権をかけて伊達みきお政宗と南部信直が戦ったなーんて史実もないのです。その前に南部信直のキャラ薄し。

市民、市当局もそそられないらしく、30年前と同じく〇〇櫓復元工事工期令和4年〇月〇日~令和〇年〇月〇日なんち表示はありませんですた。

城跡つーか公園の出入口は複数あり、でんでんむしバス停からもその一つが見えます。どっから出入りしようとカラスの勝手でしょー。じも、北側櫻山神社境内の北西角が表示石柱があり、正面でせう。

 

もりおか歴史文化館(HPあり)

櫻山神社の東隣りにあります。

1F盛岡さんさ踊り、チャグチャグ馬こなどの展示は無料。

2F 300円

展示の中核は江戸時代盛岡藩および藩主南部家関係です。

 

南部家 2ページ

武田氏と同じ清和源氏義光流、甲斐(現山梨県)南部町に土着。

頼朝の平泉討伐に加わり、功あり、糠部地域を与えられる。

 

ディスプレイはヒジョーに現代的。

じも、肝腎の展示品にミリキが薄い。重要文化財指定品はありませんですた。

平日ということもあるでしょうが、拙ら以外に有料見学者は無し。

 

櫻山神社、もりおか歴史文化館前の大通りを東へ中の橋で中津川を渡った先、信号のある十字路角

岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館

1911年 設計 辰野・葛西建築設計事務所

煉瓦造 銅板(ドームはスレート)葺 2階建 重要文化財

赤レンガ、要所に白色花崗岩は東京駅丸の内口赤煉瓦駅舎と同じテイスト。設計事務所主宰の一人辰野金吾は東京駅舎を設計。

内部は有料部分がありますが、次掲無料公開部分だけでいい のでは。

1Fロビー

吹き抜け 2階に回廊 天井に石膏モチーフ 付柱

東面

西面

南面

北面

2階から

どの面かに舞台付けたらオペラハウス。

2F会議室

なーなか重厚、おぬぬめできます。

見学者若いカップル1

 

大通りをさらに東へ進むと盛岡バスセンターで、でんでんむしも停まります。