広島駅南口から市内電車で縮景園前。東に美術館の南境界に沿って進むと左側。
んが、遠回りなのでヨロヨロでない限り歩いたほうがいいでしょう。南口から左に大通りを栄橋東詰信号まで、橋を渡り、中学校の南、西境界を巡っていくと右側(15分)。
入園料260円2022年
概略図 跨虹(ホコウ)橋上から眺めた180度景イラスト 3カラー画像
名勝指定
1620年
施主 広島藩主浅野家初代長晟(ナガアキラ) 作庭 上田宗箇
1788年改造
施主 浅野家七代重晟 作庭 清水七郎右衛門(京都)
宗箇による部分で残存は超然居周辺のみ。
池泉回遊式
濯纓(タクヨウ)池の中央に跨虹橋(橋)。
池の西半は、南岸近く超然居がある最大の島、北岸積翠巖(シャクスイガン)が鶴島、水心島など亀島5。東半は亀島7。
回遊路に6橋、建物は清風館(清)、看花榻(カンカトウ)、悠々亭(悠〉、駐杖榻(チュウジョウトウ)、明月亭(明)、夕照(セキショウ)庵(夕)、超然居(超)。
榻とは長いすで、休憩所の意でしょう。
清、明、夕の内部は見れない。
縮景園の名称は1713年には使用。
庭の中心跨虹橋は西湖の堤を模る。園内各所の名称も中国風。漢詩や山水画に取り上げられている中国の名所のミニチュアというイミではないでしょうか。いわば東武広島ワールドチャイナスクウェア。
貼り付け案内図A基本順路(東→西)で一巡。
所要50分とありますが、撮影それもスナップもでは、倍かかります。
桜満開で平日にもかかわらず、来園者多数。
清風館
数寄屋風書院造 杮葺
超然居
悠々亭から
清、超、橋
跨虹橋、清風館
中国の風景のミニチュアかも と記しましたが、全体和風。その真ん中に石造橋は違和感。
違和感つったら、周囲のビル。
そりゃどーせー言えんけど、こりはね、事実、長晟代では欄干橋。
大名庭園に西湖の堤はつきもので、小石川後楽園(別項)や紀州藩養翠園(別項)で見ました。御一新までのにおんにとって外国で第一は中国で仕方ないかとおーいますが、始めたバーは誰なんざんしょ。
重晟は参勤交代で江戸詰めのとき小石川後楽園に招かれたことがあったのかもしれない。水戸藩は御三家とはいえ石高では芸備の下。もっとすげーの造ってやるけんね だったのかも。
超然居
明月亭
窓枠に牛車の車輪
積翠巖(裏)
橋、清、超
表の石組もつまらんが、裏は見れたもんじゃない。
橋、清
夕照庵前から
橋、清、超
超然居から2。
中央右寄りに積翠巖
悠、橋、清
超然居を後にする。
27UPしたかったのだが、サイズ大で15UPできない。44%しかミリキを伝えられていません。拙的にはよりおーしろい東半がほぼ紹介できずザンネン。
原爆被災後復旧なので、見物する気になれないでいたのだが、浜離宮なんかより、よっぽどおーしろい。
財力は将軍家(家斉)がダントツだが、施主浅野重晟の気の入れようがずいぶん優っていたからでしょう。
本物件をもって広島県について「義務」完了。
ベストはやあり宮島。そのついでに本物件に寄って後悔することはないでしょう。