大分県国東市国東町堅来字鳴
読みはチョウギです。鳴集落にその表札のお家が集まってあります。最寄りバス停は大分交通バス国東(バスターミナル)⇔竹田津港線の東堅来(ヒガシカタク)です(時刻同社HPご参照)。バス停から分岐を示す案内表示がみえます。舗装道路が堅来川にそって続きますが、途中分岐があります。そこにも案内表示があり左に入ります。進んでいくと見学者用駐車場の看板が見え、その手前左手から墓地へ入ります(20分)。
大板碑 1322年刻銘 施主紀永貞
紀永貞は長木家の祖先。

高さ3m、上方に文殊の種子を見事な字体で薬研彫り。
宝塔 1321年刻銘 施主紀永貞


総高約4mは在銘国東塔中最大。高さもさることながら塔身軸部の径は笠の軒幅を越えている。

見学者皆無

 

 

長木墓地種子板碑(二基)、宝塔 p174、175
宝塔モノクロ画像

 

紀氏というと紀貫之(古今和歌集撰者、土佐日記)で文人イメージです。しかし、大化の改新以前は平群氏で藤原氏の前身中臣氏以上の大族の一員でした。実際どうだか不詳ですが、蘇我(馬子ー蝦夷ー入鹿)、葛城、巨勢と同じく武内宿禰の子孫とされています。それで長木墓地にも武内宿禰を祀る祠も散在していました。記紀の武内宿禰に関する記述を生存年数など鵜呑みにするわけにはいきませんが、調べもせず何らの史実も反映していないとするのも行き過ぎと思います。それは考古学等で検討していくことだと思いますが、自由にファンタジーとして解釈した武内宿禰がこのまんがで活躍しています。九州も重要な舞台の一つになっているのも奇縁です。