楽しくない勉強
勉…力を出してはげむ。つとめる。
強…つよい。つよくする。無理を押す。しいる。
漢字の意味をGoogle先生に聞くとこうだった。
力を出して頑張ることを、無理やりさせられたら、楽しくないのは決まっている。
そもそもこの単語が「勉強はしんどいもんだよー」
と言っているようなものなのだ。
「じゃあ楽しくなるわけないやん。」
「もともと勉強出来るやつだけが、楽しいと思ってるんやろ。」
となるのは仕方ない。
けれど、生きていく上で勉強ができた方が楽なことが多い。だから少しでも「まぁ、楽しいかも」と思ってもらいたい。
楽しいことと楽しくないこと
楽しいことは何ですか?
ゲーム?インスタ?スポーツ?YouTube?
それらが楽しいと思えるのはどうしてだろう。
その楽しいことなら「力を出してはげむ。」ことは無理やりではなく、自分から頑張れるのではないだろうか。
だから、英語だって、数学だって、理科だって、
楽しいと思えたら、自分から頑張れる。
そして、楽しいと思えるためには
もうちょっと感
が大事だと思っている。
例えばゲームセンターにあるような某太鼓のゲームは
曲ごとにいくつかの難易度がある。
知っている曲を選んで、自分が挑戦する難易度を決めてゲームをする訳だ。
そうすると、
「できるけど、完璧ではない。」「もうちょっとでできるのに。」
もしくは
「全然無理やん。」
になる。
前者はまたこのゲームをするかもしれない。好きになるかもしれない。
後者はこのゲームを好きにはならなさそうである。
ただ難易度がたくさん分かれていて、自分に合ったものを選べるのなら後者にはなりにくくなる。
勉強も同じなのではないだろうか。
「全然無理やん。」
の状態では好きにはなれないし、頑張ることを無理やり強いられる。
べんきょうを強いられないために
先程のゲームの例では
自分のレベルに合っていないものに取り組む
から好きにはなれなかった。
勉強も一緒である。
学校で勉強している場合、授業があり、宿題があり、テストがある。
それのレベルと自分が合っていないと好きにはなれないし、頑張るのがしんどい。
なので、自分になら分かるところから、始めてみるのが大切だ。
テスト前に「何にもわからへん」と言う生徒がいる。
ただ、細かく最初から内容を確認すると、
「そこは分かる」
「それが分からん」
と少し分かることがある。
勉強は積み重ねなので、噛み砕いて戻ればいつかは自分のわかるところに戻ってくる。
そこから順を追って、授業内容まで追いつけば、きっと、もうちょっと感が得られるはずである。
ただ、普段は授業がある。
授業も積み重ねで前の時間の内容を使って進んでゆく。
なので、まずは先生に
「次の時間を理解するためには、何が分かっていればいいですか?」
と聞いてみて欲しい。
そして言われたことが分からないなら、
素直に分からないことを受け入れて、教えてもらおう。
言われたことが分からなくても
「そんなん言われても分からへんもん」
では変わらない。
ちょっとでも勉強を楽にしたいなら
「それも分からないんですが、教えてもらえませんか。先生の空いてる時間はありませんか?」
先生は教えることが好きで先生になっているはずだから、タイミング的にその場では無理かもしれないけれど、きっと時間を取ってくれるはずだ。
食べてみないと分からない
気付いたかもしれないが、結局は自分で動かないといけない。
何かを好きになるには、それと向き合わないといけないからだ。
食べ物の好き嫌いもそうだ。
小さい頃はピーマンが食べれなかったけど、大きくなって食べれるようになったり、
苦手だと思っていたものが、料理の仕方で美味しく思えたりした経験はないだろうか。
これは嫌いだと思ってた食べ物でも、頑張って食べてみたから分かったことだ。
食べなくてはいけない。
見て、触って、嗅いでも、変わらない。
勉強もそうだ。
やってみないと変わらない。
教科書を、見て、触って、嗅いでも、変わらない。
食べ物は食べて初めて分かるように
勉強は考えて初めて分かる。
そこで嫌いにならないために、
ピーマンを生で食べるのではなく調理してもらうように、
勉強も誰かの手によって調理してもらって、教えてもらう必要がある。
さいごに
自分から動くことが大変なのは、重々分かっている。
けれど、
「ちょっと試しにやってやるか」
と思い立ったが吉日。
職員室のドアを開けて、先生を呼んで欲しい。
自分の将来を決めるのは、動く、と決めた自分自身だ。
がんばって。