自分のままでゆるっと幸せに。

 

あなたの神様からのメッセージを伝える

神口(かみくち)占い師のくるたんです。

 

 

 

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身体の進化が激しいのか

 

最近頻繁にマッサージに行っています。

 

 

 

 

 

私の身体はいつも酷使されていて

マッサージに行くと

 

「パンパンに張ってますね~」

 

っていつも言われていた。

 

 

 

 

痛みが出るまで放っておいて

生活に支障がきたしてから

マッサージ屋さんに行っていた。

 

 

 

 

 

でも、もう、それじゃダメなんだと気がついた。

 

 

 

 

 

痛みが出てからじゃ遅い。

 

 

 

 

痛くなってからじゃ遅いんだよ。

 

 

 

 

 

日々のメンテナンスは

痛みを取るために行うのではなくて

日々を快適に過ごすためにあるんだ。

 

 

 

 

私は今まで私の身体に無頓着だった。

 

 

 

 

喉風邪を引いても

熱がなければ声がガラガラになっても放っておいた。

 

肌がボロボロになってても

吹き出物がなければケアしなかった。

 

 

 

 

 

もうそれをやめるんだ。

 

 

 

 

 

 

そんなの女の子だったら当たり前のケアだって思うかも知れないけど。

 

 

昔の私はそんなことできなかったよ。

 

 

 

 

育児と家事で精一杯で

自分に割ける時間なんてなかったし

お金だってかけたくなかった。

 

 

 

 

 

ケアなんて忘れてて

可愛くなるのだって

その場しのぎで。

 

 

精一杯可愛い服を買って着ても

普段のケアがおざなりだから

肌はボロボロで化粧も下手くそで

髪も伸びっぱなしでザラザラ。

 

そんなので可愛い服を着てみても

中身がぼろぼろすぎて

鏡を見ては凹んでた。

 

 

 

やっぱり私なんて可愛くないじゃん!!

 

 

 

って。

 

 

 

 

 

普段のケアって時間がかかる。

 

 

毎日毎日、自分を大切にしないとできないこと。

 

 

 

 

 

家族のため、

お金のため、

 

そうやって諦めてたけど、

本当は自分に時間とお金を掛けるのが怖かったの。

 

 

 

 

 

だって、何も変わらないじゃん、って思ってた。

 

 

 

 

 

 

私にお金と時間かけても

喜ぶのは私だけ。

 

しかも、めちゃくちゃ嬉しいわけじゃなくて

ちょっとホッとする。

ちょっとうれしくなる程度。

 

 

それくらいだったら

本を買って自己投資したり

好きなものにつぎ込んで喜ぶほうが有意義な気がしてた。

 

 

 

 

 

でも、本当はそうじゃなかった。

 

 

 

 

一番最初は自分だった。

 

自分に一番お金と時間をかけなくちゃいけなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

なんというか、

ゲームっぽく言うと

 

装備が自己投資で

基礎能力が日々のケアなのだ。

 

 

 

 

 

 

自分を大切にケアすればするほど

自分の土台がしっかりとしてくる。

 

好きなもの、嫌いなものがしっかりと分かってくる。

自信がつく。

自己受容できる。

 

 

 

 

 

 

自己投資も勉強も大切で

好きなものにお金を使うことも

自分以外に使うことも大事だけど。

 

 

 

 

 

それはあくまでも

外側の装備やアイテムで。

 

 

 

 

 

本当に

本当の意味で

自分を底上げするには

 

何よりも自分の身体をいたわらなければならないんだ。

 

 

 

 

 

私はそこが抜けていた。

 

 

 

 

 

 

知識を得て

お金を好きなことに使って

 

それはそれですごく満足するし充実するのだけど

 

 

 

本当の意味で私が大きくなるには

何よりも日々のケアが必要だったんだ。

 

 

 

 

ケアを特別なものにしてはいけない。

 

 

 

 

 

 

自分を大切にして

身体を心地よい状態にしておくことは

 

「当たり前」のことなのだ。

 

 

 

 

 

特別なことにしてしまってはいけないのだ。

 

 

 

自分という存在が愛され大切にされることは

特別なことでもなんでもなくて

当たり前のことなんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

愛されることを当然のこととして受け入れること。

 

 

 

 

 

 

 

 

それがこの人生での最大の幸福を感じることに直結している。

 

 

 

 

 

 

 

それを単なる思い込みではなくて

実際にそうなのだから、と知ることができるのが

日々のケア、ということなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

私は忙しいとすぐに自分のケアが疎かになる。

 

 

 

 

 

 

 

つまり、「自分を忙しくさせている」事自体がおかしいのだ。

 

 

本当なら忙しくならないようにケアすべきだし

忙しくなるようなことをしてはいけないのだ。

 

 

 

 

 

それが私に対する「日々のケア」なのだ。

 

スケジュールに対して気を配ること。

急がないこと。

予定を詰め込まないこと。

 

それを大切にしてはじめて

私は自分に対して具体的に

 

マッサージにいかせてあげたり

新しいお洋服を見たり

お化粧したり

 

自分に対するケアができるのだ。

 

 

 

 

 

 

私はスケジューリングが下手で

すぐに予定を詰め込んでしまう。

 

全部頭で考えて

「できるはず」「やれるはず」って簡単に無理をさせてしまう。

 

 

 

 

 

私は本当に生きているだけで精一杯の人間だ。

 

 

 

 

 

昔、鬱になっていた頃の感覚を忘れられなくて

簡単にその頃のように自分を酷使しようとしてしまう。

 

できていた頃のことを忘れられなくて

「今は好きなことをやっているから」

「作業的には簡単だから」

そうやって昔と同じ感覚で物事を詰め込んでしまう。

 

 

 

 

 

 

身体の進化に精神が追いついていない。

 

 

 

 

 

私の精神は未だに「できていたこと」に囚われている。

 

 

 

 

 

 

もう、そうじゃない。

 

そうじゃないんだよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

私は本格的に

自分を律して「できないこと」をやらなくてはならない。

 

「できない」ということを「やらなくてはならない」。

 

 

 

 

 

 

 

上手く言葉にできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

やれるけど、やらない、という「できない」をやらなければならないのだ。

 

 

 

 

 

 

少し無理をすればできることを

徹底的に排除しなければならない。

 

 

 

 

 

 

それで、

私の純度が保たれる。

私のケアが保たれる。

 

 

 

 

 

 

 

私は人格的に優れているとは思わないけど、

精神はとても潔癖だ。

 

 

 

 

 

 

 

それを高潔であると表現してもいいのか迷うけれど、

 

私はおそらく人の闇という部分が本質的には理解できない。

(だから惹かれるし好きなのだと思う)

 

 

 

 

 

 

怒りや悲しみはそれなりにあって

人間らしく八つ当たりしたり怒鳴ったりするけれども

 

人を騙して喜んだり

人が傷ついて喜んだりすることができない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある意味サイコパスなんだろうなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌いな人が傷ついたり悲しんだりしている姿を見て

ニヤけるのが普通らしいのだと知ってめっちゃびっくりしたのだけど

それを言うと「綺麗事ばかり」「いい子ぶってる」「嘘つき」と言われるので

いつもそういう話になると適当に流してる。

 

 

 

 

 

 

 

 

うーーーんと、

「嫌いな人が傷ついているのを見ると喜ぶのが普通」と書いたけれど

私は本当はそうではない人のほうが多いのだと思う。

 

 

私のブログを読んでる人は特に。

 

 

 

 

 

 

人を信じているし

悪口嫌いだし

 

普通に生きていると排除される側の人間だと思っている。

 

 

 

 

 

 

悪口を言わなければ仲間になれないのだとしたら

仲間にならなくていいよ。

 

 

 

 

 

 

ムカつくー!

解釈違いー!

 

って怒るのは別にいいんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうせ嫌いな人はすぐ忘れるでしょ?

 

 

 

 

どうでもいい人に時間さかなくていいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、批判はするよ。もちろん。

 

何でもかんでもイエスマンなわけじゃない。

 

すべてが愛よ~。

なんてことも思っていない。

 

私は自分の機嫌で人に八つ当たりするし怒鳴る。

とても幼稚だしわがままなところもある。

 

 

 

 

 

ただ、

憎しみは美しい感情だと思うし

妬みは恋にも似ているものだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、私は「人の不幸は蜜の味」がただ理解できないだけだ。

 

それだけだった。

 

 

 

 

 

 

あとは何も変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

なんだか自分のことを特別みたいに思いたいのだけど、

真正面からみるとそうでもなかったりするよね。笑

 

それもでいいさ。

 

 

 

 

 

 

 

私が特別であることには変わりないし。

(そしてそれはこの人類すべての人が特別であることと同意義なの)

 

 

 

 

 

 

ただ、普通に一緒にいるとびっくりされることが多いのよね。

それだけの話。

 

 

 

 

 

 

結局は自己受容の話になるのかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「人の不幸は蜜の味」が分かる人が少し羨ましくなるときもある。

それで友達になっていく人をずっと見てきたから。

 

んんーーーー、でもそれって私の感覚だと

一昔前の感覚だなぁ。

 

 

 

 

 

 

人の不幸を喜べる人は今はあんまりいない気がする。

 

 

 

 

 

 

私はいつまで昔の価値観に囚われているんだろうね。

 

 

もうそろそろやめたいなー。

 

 

 

 

 

 

 

ぐだぐだ書いてるけど

これもまた、私の備忘録なのだ。

 

 

 

 

 

 

ありのままを出す。

 

飾らない等身大の自分。

 

 

 

 

 

 

 

いいことを書こうと思えば

 

「人の幸福を喜べる人が新時代の人だよ!」

とか

そういうふうに

読む人を「人の幸福を喜べるようにならなきゃ」って思わせるように

コントロールすることもできるけど、

 

それこそが「前時代」的な書き方だよねぇ。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

別にどっちだっていいやん。笑笑

嫌いな人の不幸を喜んでも別にいいやん。笑

 

それが娯楽なんでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

私はさ、

今まで周りの馴染めなくて苦しくて病んだことがあるから

同じように「いい子すぎて」周りに馴染めなくて苦しくて病んでる人に

このブログの在り方が届けばいいと思ってるよ。

 

 

もっと自分の「いい子」なところ出していっても大丈夫だよー、って。

 

いい子なまま妬まれて羨まれて

それでも「毎日幸せなんです~」って笑ってていいんだよー、って。

 

 

 

 

 

 

 

 

いい子って妬まれるんだよ。笑

もう、それはしょうがないよ。

 

 

 

妬まれたくなかったら悪い子になろう。

 

人の悪口言おう。

人の不幸を喜ぼう。

 

 

 

 

ま、それが楽しいのか、って話だけど。

 

 

 

 

 

 

 

私もさ、最近、人のこと批判したよ。

「裏切られた!」って勝手に怒ってた。

 

 

でもさ、その本質は「悲しい」だったんだよ。

 

 

その人が嘘つきだったことはもうどうしようもないこと。

嘘は変えられないし、

私がその人の言動をコントロールすることはできない。

 

 

 

でも、自分の「悲しい」には寄り添ってあげられる。

 

 

 

悲しかったね。

好きになった人に嘘をつかれて悲しかったね。

 

 

 

そう受け入れられたら

なんかもう、その人のことどうでも良くなっちゃったんだよね。

 

 

 

 

もう、近づかなければいいだけ。

 

もう、どうでもいい人の括りにいれればいいだけ。

 

 

 

 

 

 

 

同じように

私も知らぬ間に誰かに嘘をついて

誰かを傷つけて誰かから離れられているのかも知れないけど

 

もう、それはしょうがないね。

 

 

 

 

 

そのしょうがなさを受け入れられるのは

私が私を受け入れてるからだなぁ、

と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は簡単に離れたり近づいたりする。

 

それは本当に奇跡みたいなことだと思うよ。

 

 

 

 

 

 

 

私は誰であってもその奇跡を大切にしたい。

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間が「永遠」であれば

それが未来で変わってしまってもいいんだ。

 

 

 

 

「ずっと大好き」

そう、その瞬間に思ってくれたのなら

もうそれで私はその瞬間にあふれるほどの愛を受け取っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚とか

愛の証明ってそういうことじゃないのかな。

 

 

未来を約束するのではなくて

 

この一瞬の愛を誓う。

 

 

 

 

永遠に愛するとこの瞬間に思った熱量を大切にする。

 

 

 

 

 

そりゃ死ぬまで一緒に生きることができたらとは思うけど

今、この瞬間、誰よりも好きだと思ったのなら、

その気持ちを伝えられたのなら

もうそれで十分なのではないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

愛の告白というのは

誰かを縛り付けるものではないし

未来を約束するものではない。

 

 

ただの表明だから。

 

 

 

 

 

 

 

私はその瞬間がこの世界で一番美しいと思うよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

愛ってさ、本当に何も変えられないものだね。

 

愛の代わりになるものはなにもないよ。

 

 

 

 

 

 

 

根源に愛がある。

 

 

 

 

 

 

 

そしてその愛は

自分を愛すれば愛するほど

大きく広がっていくんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の《自分のままでゆるっと幸せに》ポイント!

 

 

自己投資をする前に

自分の身体を労ろう。

自分の身体に優しくしよう。

 

一回の大きなプレゼントよりも

毎日自分に愛を与えてあげよう。

 

そうすることで

自分の土台が大きくなるから。

自分の愛が大きくなるから。

 

 

という在り方です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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