私の幸せは世界の幸せ

誰かのは私の

私のは誰かの

 

 

 

ごめんなさい」は自分を許す

ありがとう」は相手を受け入れる

 

 

 

生きていること自体」が「幸せ

 

 

 

 

人生を簡単に楽しく幸せに生きる

 

来栖照(くるすあきら)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かのお手本や

あるべき姿とか

 

そういうの関係なく

 

築いていけばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことがどんどん強くなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰のパターンでもない二人だけの形がパートナーシップにはある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを一つ一つ発見して、

それを一つ一つ大事にして、

 

 

 

そうやって歳を重ねたら

あっという間に寿命が尽きてしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉というものはとても限定的で、

伝えられるものはとても少ないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

龍くんは「目に見えるもの」を大切にしている。

 

私は「目に見えないもの」を大切にしている。

 

 

 

 

 

 

 

だから時々ちぐはぐになるし、

矛盾するし、

理解できない時がある。

 

 

 

 

それはもうしょうがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は「気持ち」をわかってほしい、受け入れてほしいと思う。

 

楽しい

嬉しい

悲しい

イライラ

 

それを受け止めてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

そんなことを求めるのは龍くんにだけで、

親にも子どもにも友人にも求めたことはない。

 

 

 

 

 

 

 

龍くんは逆で

 

「行為」を受け止めてほしいと思う。

 

 

 

 

 

働いてお金を稼いだ。

家事をやった。

買い出しをした。

子どもの面倒を見た。

 

 

 

 

 

 

そういう「具体的な行為」。

 

それを認めてほしい。受け入れてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで私と龍くんは齟齬が出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は「目に見えるもの」が何であれ

意味がない。

 

意味がないというのは言い過ぎかもしれないけど、

私にとっては龍くんが思っているほど「行為」に対して価値を感じないのだ。

 

 

 

 

 

だから、文句をいいながら何かやってくれたとしても

たいして嬉しくないし、

そんなに嫌ならやらなければいいじゃないかと思う。

 

 

 

龍くんは逆に「目に見えないもの」にあまり価値を感じないから

自分がイライラを感じながらやっていることも

その「行為」をただ受け入れてほしいと思っている。

(つまり「ありがとう」と言ってほしいってことね。)

 

 

 

 

 

 

そこですれ違ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

それはもう個人個人の個性のようなものなので

どっちかに合わせる必要はないし、

わかり合えないままでいい。

 

 

 

 

 

 

ただ、覚えていてほしいのは

 

前提が違うということを伝えることを諦めないでほしいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人それぞれ大切にしていることは違う。

 

 

 

前にも言った。

何回も言った。

 

 

そんなことは関係なくて

 

 

 

 

 

ただ、毎回ずっと伝え続けるしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

そんなこと、

パートナー以外にガッツリできる相手ってなかなかいない。

 

 

 

 

 

 

じっくり向き合って

何時間も話し合って

リラックスしながら、

お茶でも飲みながら、

 

 

そんなことを定期的に何度もできる相手なんて

なかなかいないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は孤独だ。

 

自己完結できるようになっている。

 

 

 

 

 

 

 

自分の中ですべてを完結できるようになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、それをわざわざ他人とやる遊びを私はこの世界で選んできた。

 

 

その相手が龍くんなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

パートナーは自分の鏡だ。

 

 

 

 

 

 

 

だから正反対だし、

理解出来ないし、

誰とも違う。

 

 

 

 

 

 

同じようなものを根底に持っているのに

表面的には全く違うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面白いなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでいいのだなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これからどんどん核化が進んでいく。

 

大衆から個々へと概念が移っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

パートナシップってこんな感じ

 

という像がどんどん細分化していって

もう誰とも重ならない形ができあがっていく。

 

 

 

 

それはとても孤独で怖いかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしようもなく自分で作り上げていくしかないのだ。

 

 

 

 

 

自分だけのオリジナルを

傷つきながら転びながら

一から作り上げていくしかない時代がやってくるのだ。

 

 

 

 

ある人は

複数のパートナーを持つことが当たり前のパートナーシップになるのかもしれない。

 

ある人は

離れて暮らすことが当たり前のパートナーシップになるのかもしれない。

 

ある人は

短期間でパートナーが変わることが当たり前のパートナーシップになるのかもしれない。

 

ある人は

自分ひとりの妄想で楽しむことが当たり前のパートナーシップになるのかもしれない。

 

ある人は

ずっと恋い焦がれることが当たり前のパートナーシップになるのかもしれない。

 

ある人は

人ではなく動物や物質に対しての愛情を持つのが当たり前のパートナーシップになるのかもしれない。

 

ある人は

特定の条件を持つ人だけに愛情を持つのが当たり前のパートナーシップになるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと書くだけでも

 

今までの結婚とか恋愛では語れないパートナーシップばかりになってしまう。

 

 

 

 

 

 

で、それを自分で一つ一つ作り上げていくしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

私はこんなパートナーシップが好き。

私は〇〇という関係が好き。

 

 

 

 

 

そうやって誰もお手本がいないパートナーシップを作り上げていくしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはとても孤独で寂しいことなのかもしれない。

表面的な仲間がいないってことだからね。

 

 

 

 

でも、その一番奥の

誰かを愛しく思う気持ち。

大切に思う気持ち。

 

それは同じだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

だからきっと

個々がそれぞれのパートナーシップを築き上げることができた世界なら、

 

 

誰も何も

否定することなく、

否定されることなく、

 

穏やかで安寧の世界が訪れるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

複数のパートナーを持つ人や

短期間でパートナーが変わる人や

別居婚や遠距離恋愛や

おじさま好き(ショタコン)や

猫萌え(二次元萌え)さんや

LGBT・アセクシャル・ノンセクシャルさんが

 

 

 

 

安心して生きることができる世界が来ると思うのだ。

 

 

 

 

こそこそ自分のパートナーシップを隠すことなく

堂々と発信できる世界がやってくると思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大衆から個々の世界へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その波を感じる出来事がどんどん起きるのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は胸糞悪くなる展開(虐待描写とか)が苦手なのだけど、

 

そういった展開を好む人を否定しない。

 

 

 

 

 

それが本来の安心できる世界だと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の嫌いなものがない世界ではなくて

自分の嫌いなものも好きなものも同じように存在できる世界。

 

 

それが優しい・愛しい世界だと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのためには

自分だけのパートナーシップを確立するしかないから。

 

 

 

 

 

誰かのお手本じゃなくて

誰かの受け売りじゃなくて

 

自分だけの

孤独なパートナーシップ。

 

 

 

 

それを自信を持って愛することができれば

 

きっと世界はもっと優しく愛しくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が今回の記事を書いたのは

誰かのお手本になりたいからじゃない。

 

 

 

 

 

 

私には私だけのパートナーシップがあるように

あなたにもあなただけのパートナーシップがある。

 

 

 

それを思い出してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恥ずかしくて

怖くて

他人と違う

 

自分だけのパートナーシップを見つけてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

心から安心できるパートナーシップを築くことを諦めないでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

自分を表すことを怖がらないでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

傷ついても大丈夫。

痛くても大丈夫。

 

傷つくことを受け入れられたら、

また一歩進むことができる。

 

 

 

 

 

 

 

傷つくことさえ

血肉になることに気がつくから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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