私ってすごい強がりです。

 

 

 

本当はすごい変なやつなのに、

変だってバレるのが怖くて

 

いつも普通の人のフリしてる。

 

 

 

「普通は◯◯」って言われてそれに納得しなきゃってなる。

 

 

 

変な自分は怖いから。

 

 

 

 

 

 

変わってるねって言われても

 

「どこが?」

 

っていつも思ってた。

 

 

 

 

 

 

私の常識や行動は

 

変なのか

変じゃないのか

 

 

分からなくて

いつも怖かった。

 

 

 

当たり前をしただけなのに、

 

 

怒られたり褒められたり。

 

 

 

 

 

褒められても実感がなかったし、

怒られると意味不明だった。

 

 

 

 

だから、「私、変わってるんだ~~照れ」って先に予防線張って強がった。

 

 

 

 

 

 

普通の私を生きているけど、

なんか「変わってるね」って言われるんです。

 

 

 

 

だから、「私は変わってる」ってことにするんです。

 

 

 

 

 

本当は誰とも何も変わらない普通の人なのに。

 

 

 

 

「私、変わってるんです」って予防線張る。

 

 

 

 

 

ただのつよがり。

 

 

 

 

 

 

本当はもう止めたいよね。

 

強がるのやめたい。

 

 

 

 

 

だって、私、普通だもん。

 

 

普通の人だもん。

 

 

 

 

 

 

誰かに「おかしいよ」「変わってるね」って言われても

それが私の普通なんだもん。

 

 

 

 

おかしくないし、

変わってなんかない。

 

 

 

これが私の普通。

私の日常。

 

 

 

 

 

 

変わってるってことが昔から怖かった。

 

 

 

 

 

小学5年生の頃、東京から富山に引っ越した。

 

 

雪というものに対してすごいあこがれを持っていたし、

お寿司も大好きだったから、

 

富山に行く前はすごく楽しみにしていた。

 

 

ワクワクしていた。

 

 

 

 

 

でも、引っ越した富山で待っていたのは

「転校生」という異分子扱いだった。

 

 

 

 

 

私が私であるだけなのに、

 

「変わってるね」

「変なの」

「おかしい」

 

いろいろ言われたり怒られたり、

 

 

 

 

 

 

思い出したのが「敬語」

 

 

 

富山では「先生が来る」を敬語にすると

「先生がこられる」って言うの。

 

 

私が普通に「先生が来るよ~~」というと

「「こられる」って敬語じゃないとダメだよ!」って注意された。

 

 

は??ポーン

 

って思った。笑

 

 

 

 

東京では「来られる」なんてつかったことない。

(※つかうとしたら「いらっしゃる」。

 でもそれは堅苦しすぎてダメらしい。笑笑)

 

でも、ここでは「こられる」が「普通」みたい。

 

 

 

 

教師も同級生も

「そんな敬語も使えないのか」

という呆れた顔をしていた。

 

 

そして、

「東京の子はこんな簡単な敬語もつかえない」

という誤解もされた。笑笑

 

「私達が教えてあげなきゃ!」みたいな

使命感を持たれたこともある。笑

 

 

 

 

 

あーーーー

多分ここらへんだろうな。

 

 

 

私が「変わってる」ことに恐怖感を持ち始めたの。

 

 

「変わってる」とみんなの輪の中に入れない。

「あの子、変だよね」と陰口を叩かれる。

 

変わってるから仲良くなりたくない。

変わってる子と仲良くなると、自分まで「変わってる」と思われるから。

 

 

そうやって真綿で首を締められるように苦しくなっていった。

(いじめを受けた、とかそういうことはない。)

 

 

 
 

 

 

 

 

変わってると差別にあう。

 

これはもうしょうがないことだけど。

 

 

 

 

いいとか悪いとかじゃなく、

そういうものだから。

 

 

 

差別にあってもそのままの自分で生きていければよかったのだろうけど。

 

 

 

 

11歳の私は

 

自分を抑えること、

そして、

「私、変わってるから」と強がることを選んだ。

 

 

 

 

 

私がありのままでいることでもすごく褒められたこともある。

 

不登校の友達の家に遊びに行くこと。

保健室登校している友達に会いに行くこと。

 

 

 

 

ただ、友達に会いに行くだけなのに、

同級生や先生からすごく褒められた。

 

 

 

当たり前のことをしているだけなのに。

 

 

 

 

「◯◯さんのところに遊びに行くなんてえらいですね」

「△△ちゃんの面倒見ててすごい!」

 

 

 

そんなのえらいことでもすごいことでも何でもない。

面倒を見てるつもりもなかった。

 

 

 

 

不登校になった友達から

 

「あなたが時々遊びに来てくれたから、

 あのとき生きていられたんだよ。」

 

ってあとから言われても

 

 

 

実感がなかった。

 

 

 

 

え?

何が?

なんで??

なんでそんな感謝されるの?

 

そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

私にとって、

友達のところへ遊びに行くのは当たり前なことなのに。

 

 

 

 

 

もう、世界の基準がよくわからなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

普通のことをしているだけで、

 

怒られたり、喜ばれたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

私って何?

私って普通じゃないの??

 

 

 

私って変わってるの??

 

 

 

 

 

 

そうやって前提が作られていった。

 

 

 

 

「私は普通に生きているだけで変わっていると思われるらしい」

 

 

 

 

 

 

それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。

 

 

 

 

 

 

 

私の捉え方の問題。

 

それを強みだと思える人もいるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生の頃のことを思い出して
もう一つ前提があることに気がついた。
 
 
「私と仲良くなるとその人の人生を変えてしまう」
 
 
 
 
これは今でも結構根深い。
 
 
 
 
 
 
私が自然に軽く友達を作れない原因。
 
 
 
友達になるとしたら、
その人がどんな道を歩もうと
私が好きでいられる人しか友達になれないのだ。
(重い)
 
 
だから、友だちになると自分で線引をするとき、
めちゃくちゃ重いエネルギー出てると思う。笑
 
 
 
その人の人生がどう変わろうと
好きでいるって言う覚悟を自分に課すからね。笑笑
 
 
そして、その人の人生が変わらない程度に関わろうとするからね。笑
 
 
 
 
 
 
幸せな感じに変わればそれでいいのだけど、
独りぼっちになったり、孤独になった友達もいた。
 
 
 
 
 
私に関わるとその人の人生が変わってしまう。
 
 
 
 
 
 
それが怖くて、
気軽に仲のいい友達が作れなかった。
 
友達だ、と自分で決めるときは
その人の人生を丸ごと愛すと決めることだから。
 
どうなろうとその人の人生だから、と受け入れることだから。
(重い重い重い。笑)
 

 

 

 

 

 

 

私が認めるべきはまずここなのだ。

 

 

 

 

 

私と仲良くなった人の人生が変わってしまってもいい。

 

 

 

 

そして同時に、

 

 

 
私と仲良くなったからその人の人生が変わったわけではない。

 

 

 

 

 

 

変わりたい人が私と仲良くなっただけ。

 

人生が変わるときに「たまたま」私がその人の人生にいただけ。

 

 

 

 

 

ただそれだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はもっと人と仲良くなっていいし、

 

仲良くなった人のステージが変わっていっていい。

 

 

 

 

 

 

 

きっとすべて神様のはからいなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私って普通の人間です。

 

私のことを「変わってる」と思う人は
自分が変わっていることに気がついていないのです。

 

 

 

 

 

 

 

私に会うとステージ変わります。

 

でも、それって

自分が変わりたいから

私に会っただけ。

 

 

 

最初はあなたがきっかけ。

私は「たまたま」そこにいただけの人。

 

 

 

 

 

普通の人ぶるのやめる。

 

普通に「私、変わってるの」って強がるのやめる。

 

 

 

 

 

変に思われても、

「私を変に思うあなたが変なんじゃないですか?」っていう態度でいよう。

 

 

 

だって、私、普通の人だし。

 

 

 

 

 

 

普通だね、って言われるとホッとする。

(バレてない!って思うってことはやっぱり変わっているのかな。)

 

変わってるねって言われるとぎゅって固くなる。

(バレた!って思うってことは以下略)

 

 

 

 

 

 

 

変わってていい。

 

変わってて、一人ぼっちになっていい。

 

 

変わってる私と仲良くなっている人が

「変わってる」って思われてもいい。

 

その人が一人ぼっちになってもいい。

仲良くなった人が孤独になってもいい。

 

 

 

 

ああああ

これかもなぁ。

 

この言葉を言うだけで泣いてしまう。

 

 

 

 

 

変わってる私のせいで(勘違いだってわかってるつもりだけど)

 

私の大好きな人が悲しい思いをする。

 

 

 

 

それが私は嫌なのだ。

 

だから、ある程度の距離を保って関わろうとするのだ。

 

 

 

 

 

 

面倒くさいやつだけど、

同時に可愛いやつだなぁ。

 

ハリネズミみたい。笑

 

 

 

 

近づくと怪我させちゃうから

あんまり自分からは近づけないけど、

ホントはもっと仲良くしたい。

 

 

そんな感じ。

 

 

そんな私。

 

 

 

 

 

 

人はそんなに弱くない。

人は自分で立ち上がる力がある。

 

だから、私が私を抑えなくて大丈夫なのだ。

大丈夫。

 

 

私が私をありのままに表現しても

誰も一人ぼっちになってならないのだから。

 

 

 

 

コントロールしようとするのをやめる。

 

人の責任までとろうとしない。

 

 

ほっとく。

放って置く。

 

 

 

 

変わってることが普通であっていい。

 

変わっている自分が普通でいい。

 

 

 

 

 

普通な自分が変わっていていい。

 

 

 

 

 

仲間はずれになってもいい。

孤独になってもいい。

 

 

 

 

 

私と仲良くなった人の人生が変わってもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

影響力があっていい。

 

人の人生に影響を与えていい。

 

 

 

 

私が責任取れなくていい。

 

無責任でいい。

 

 

 

 

「私と会うと人生変わるよ」

そう思い込んでいるのは事実。

 

 

なのに、

 

 

「人の人生を変えるのが怖い」

という矛盾を抱えている。

 

 

 

 

 

 

「人の人生を変える自分」と「人の人生を変えない自分」

どちらがいいのか素直に自分に聞いてみると、

 

私の中の女王様が

「私に会ってそれまでの価値観変わらないわけないじゃん」

って言ってる。

 

「私に会って人生変わらない人なんていないよ」

って言ってる。

 

 

 

 

「人の人生を変えない自分なんてありえない」

そう思っている。

 

 

 

「私に会うと人生が変わる」

そう思っている。

 

 

 

私は素直にそれを受け取って

人の人生を変えることに許可を出せばいいのだろうけど、

 

やっぱり人の人生を変えてしまうことに恐怖感がある。

 

 

 

 

 

だって責任とれないじゃーーーんえーんえーんえーん

 

 

 

 

 

 

 

私に不用意に会っちゃって、

人生変わっちゃったら申し訳ない。

 

 

 

 

そんなことを思う。

 

 

 

 

 

 

はぁああああ

ほんと根深そう。

 

 

 

 

 

 

根本ってやっぱお母さんなのかなぁ。

 

 

 

 

 

18歳で実家から出て、

自分のことでいっぱいいっぱいになってたら、

 

実家の家族はそれぞれの関係がバラバラになっていた。

 

 

 

それに責任を感じているのかな。

 

 

 

 

 

いつも調整役だったから。

 

その人の真意がわかるから、

お互いの通訳みたいな役割をしていた。

 

 

 

 

 

それがなくなったからバラバラになっちゃったのかなって。

 

 

 

 

 

 

でもまー、精一杯だったしね。

 

私が私を生きることに精一杯だったからしょうがないね。笑

 

 

 

 

 

 

バラバラになったけど、

音信不通になったわけじゃないし。

 

 

それぞれが健康に生きてればそれでいいのさ。

 

家族についての話はそれくらいしか思いつかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「普通」って言う言葉に

「当たり前」という感覚があって、

 

 

「社会一般にとっての」と

「私にとっての」という隔たりがあるのだと思う。

 

 

 

 

 

 

で、

私は「社会一般にとっての」がわからないから混乱するんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ結局はその「社会一般」も幻なんだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

んんんん

堂々巡り。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、変わってるから」って予防線を張るのをやめる。

 

 

だって、変わってないもん。

普通だもん。

 

 

 

自分に嘘つくのやめよう。

 

 

 

 

 

 

私って普通の人です。

 

 

 

普通に、私に会ったら人生変わると思ってます。

 

 

 

普通に、占いができてそれを仕事にしています。

普通に、イラストが描けてそれを仕事にしています。

普通に、好きなことを仕事にしています。

普通に、自分の龍や鳳凰とお話します。

普通に、神社からメッセージもらいます。

普通に、スピリチュアルな感性を持っています。

普通に、スーパーイケメンパーフェクトな旦那さんがいます。

普通に、可愛くて賢くて元気な子どもが3人います。

普通に、4人目の子どもを妊娠しています。

普通に、幸せな家庭を築いています。

普通に、人生で悩んできたし、これからも悩むこともあると思います。

普通に、人生めちゃくちゃ楽しいし、幸せです。

普通に、200万の借金があります。

普通に、好きなものが買える自分を豊かな存在だと思っています。

普通に、自分のことをお金持ちだと思っています。

普通に、高校3年生の頃、不登校でした。

普通に、10年前、鬱で自殺しようとしたことがあります。

普通に、セックス依存症で苦しかった時期があります。

普通に、ギャンブルにはまったこともあります。

普通に、母親を恨んだこともあるし、母親が大嫌いだったこともあります。

 

 

 

普通です。

 

普通の人生です。

(全部過去のブログで自己開示済み。笑)

 

 

え、普通だよね。

 

私の人生。

 

 

 

 

 

みんな、私と同じくらいドラマチックで普通な人生だよね。

 

 

 

 

 

 

 

普通だもんなぁ。

 

 

 

そりゃ私だって人のこと「変わってるなぁ」って思うこともあるさ。笑

(「変わってる」って言われるの嫌なこと棚に上げて。笑)

 

でもその人にとってはそれが普通なのよね。

普通はみんなそれぞれ違う。

 

 

 

だから、強がらなくていいんだ。

 

「私、変わってるんです」

なんて。

 

普通じゃない、なんて

嘘つかなくていい。

 

 

 

 

私って普通です。

 

 

普通の30歳の女です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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