さてさて、ウチの旦那(龍くん)はきれい好きです。

 

 でもね、お掃除が好きなわけじゃないんだって。

 

 ただ、きれいな状態が好きなんだって。

 

 

 

 

 それね、今までずーっと意味分かんなかったんだけどね、

 

 この前、車の中で問答しててやっと腑に落ちたので

 

 シェアしようと思います。

 

 

 

 

 まず前提として、

 

 私は絵を描くのが好きです。

 

 絵を描くこと、行動自体が好きです。

 

 きれいな絵が描けたらそりゃ嬉しいし、楽しいし、

 

 ずーっと描いていたい気分になります。

 

 

 そして、それをきれいな状態を作ること(掃除)として考えていきます。

 

 

 つまり、

 

 絵 = 状態

 

 きれいな絵 = きれいな状態

 

 白紙 = 汚い状態

 

 絵を描く = 掃除

 

 という感じです。

 

 

 

 

 龍くんはきれいな絵が好きなので、

 

 頑張って描きます。

 

 きれいな絵ができます。

 

 私はきれいな絵だろうと白紙のまんまだろうとどっちでもいいです。

 

 好きな時に自分で描くし(自分で掃除するし)。

 

 

 龍くんは絵を描くのが好きではありません。

 

 なので、他の人にきれいな絵を描くように求めます。

 

 きれいな絵が好きだから。

 

 

 

 コレを掃除に戻して考えると、

 

 きれいな状態が好きなので、

 

 他人に掃除をするように求めるわけですね。

 

 掃除しなさい、きれいにしなさい、と。

 

 んでもって、私は特にどっちでもいい、と考えていると。

 

 

 

 部屋をキャンバスだとすると、

 

 龍くんはその全てをきれいな絵で整えておきたいのです。

 

 描いていない(白紙)の部分があると嫌だ、と。

 

 私は同じキャンパスで私なりの絵を描いています。

 

 つまり、私としては十分きれいな状態だと思っているんですね。

 

 私なりのきれいな絵を描いているわけです。

 

 私なりに片付けや掃除をしているわけです。

 

 

 

 んでね、正直きれいな絵が好きとか好みの問題でしかないわけなんです。

 

 モナリザと萌え系イラスト、どっちが好き?

 

 みたいな問題なんです。

 

 私からすれば。

 

 

 

 きれいな状態(モナリザ) = 正しい

 

 みたいな教育を受けていると汚いことが悪いことのように感じるけど、

 

 私からしたら、それはもう、ただの趣味なわけです。

 

 今の私の絵で、すでにきれいな状態だと思っているので。

 

 

 

 それでね、そんな龍くんがイラストを発注する側のクライアントだとすると、

 

 クリエイター(掃除する側)というのは私や子どもたちなわけです。

 

 龍くんはすでに自分できれいな絵を描ける(きれいに掃除ができる)ので、

 

 クリエイター(作業者)にもそのレベルを求めます。

 

 龍くんは自分が描けるので、

 

 みんながかけるものだと思っています。

 

 この視点が超アブナイの、わかりますよね?

 

 

 

 この時点で私たち(作業者)は完成品しか見てないわけです。

 

 描き方知らないわけです。

 

 興味もないわけです。

 

 でも、描け描け、言われるので描くわけです。

 

 つまり、自分なりに完成品(きれいな状態)に近づけようと

 

 やってみるわけです。

 

 

 で、その結果どうなるのかというと。

 

 クライアントからみたレベルは全然足りず。

 

 クリエイターからみた作業の徒労感は半端なく。

 

 もう、お互いに不満感が残る結果になるわけです。

 

 

 大変だー。

 

 

 

 このときね、クリエイター側がクライアント側に求めるのはね、

 

 描き方と合格ラインなわけです。

 

 しかもその合格ラインも具体的に示してもらわないと分からない。

 

 ただ、そこをめんどくさがる人が多いような気がします。

 

 掃除って感覚だからかな。

 

 でも、絵を描くのも感覚だよな。

 

 そしたらやっぱり自分なりの

 

 人に求める合格ラインを決めとかないとダメだよね~。

 

 自分レベル、ではなくて、

 

 自分が許せるレベル、が必要。

 

 最低限のね。

 

 そこからクリエイターを育てていくかどうかはクライアント次第なわけだけど。

 

 

 

 自分の望む環境にするのならある程度の知恵は必要だよね~。

 

 

 

 

 私の大好きな言葉。

 

「やって見せ、言って聞かせて、やらせて見て、

 ほめてやらねば、人は動かず。

 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」

 

 山本五十六さんの言葉。

 

 人を育てるときには本当にこの言葉が好きです。

 

 すごく好き。

 

 パートナー育て、

 

 子育てにも応用できるような気がする。

 

 

 

 

 そうそう、

 

 龍くんはきれいにする作業が好きじゃないのに、

 

 どうしてできるんだろうね。

 

 私だったら、多分、他の人に頼むと思うんだけどな。

 

 でも、他人の手が入るのは嫌なんだって。

 

 よく分からない。

 

 

 

 

 

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ここからパートナーシップについて話

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 それでね、これって他のことにも

 

 すごく応用が効く論理なのではないかと思って。

 

 

 

 例えば私がしてほしいことがあるとしたら、

 

 一から十まで全部いいます。

 

 面倒でも。

 

 

 もし、全く違うものが出来上がったとしても

 

 文句が出ないように自分の中で心の状態を調整します。

 

 何がダメだったのか冷静に言えるようにします。

 

 

 

 例えば。

 

 パートナーに言葉で愛情表現してほしいな、と思ったら。

 

 

 

 直球で「好きって言って。」といいます。

 

「あきらが大切だよ、って言って。」

 

「あきらのこと世界で一番好きだよ、って言って。」

 

 って、恥ずかしがろうがなんだろうがいいます。

 

 照れてもよし。

 

 逆に可愛いので良し。

 

 でも、言ってくれるまで諦めずに責めずにずっといい続けます。

 

 言ってほしい言葉を聞くまではね。

 

 そしたら照れてようがなんだろうが最終的には言ってくれるでしょう。

 

 男の人って結局は求められている自分が大好きだから。

 

 

 

 女の子が照れるのってかわいいよね。

 

 キュンキュンするよね。

 

 

 女の子は恥かいて魅力が上がるものだと思ってるよ。

 

 好きな男の前ではね。

 

 

 

 可愛く甘えるのも、

 

 照れながら甘えるのも、

 

 どっちもとっても可愛いから。

 

 

 

 パートナーにしてほしいことがあまりないので、

 

 あんまり役に立たないかもしれないけど。

 

 

 

 言ってほしい言葉があったら自分から「〇〇って言って。」って

 

 いうのがやっぱり大切だなぁと思います。

 

 言わないと伝わんないよね。

 

 そのうち勝手に言ってくるようになるよ。笑

 

 

 

 んで、はいはいって流してたらまた言わなくなって、

 

 「〇〇って言って。」っていうの繰り返し。

 

 

 面白いね。

 

 シーソーみたい。