※これは全てフィクションです。実際の人や地名などは関係ありません。※
祖父から電話がかかってきた。
夜、八時過ぎだった。
インフルエンザは治ったのか。
変わりはないかという電話だった。
祖父は雪国に住んでいる。
3月になったが、東京とは違ってまだ雪も残る寒い頃だろう。
東京では今日春一番が吹いていた。
十日ほど前、一人暮らしをしている私は突然の高熱に慌てて近くの救急外来にかかった。
やはり今の季節は病人が多いらしく、待合室には額に熱を下げるシートを張った小さな子供とその母親や、仕事終わりのスーツを着たサラリーマンが気だるそうな面持ちで自分の番をじっとりと待っていた。
待合室には暇をつぶすためのテレビが有り、その中から元気なタレントたちのさまざまな声が聞こえていた。ご当地グルメの感想をそれぞれが弾けるようにカメラに向かって言っていた。
体温計の検温の終わりを告げる電子音が静かな待合室に響く。テレビからは相変わらず賑やかな声が聞こえる。時折、母と子の静かな会話。
まるでここだけ世界から切り離されているみたいだった。
救急外来にかかる数日前から、なんとなく悪寒が続いていた。
花粉症の症状だと思い、だるさも気にせずにいつものように勤務先に向かった。
夕方くらいから熱っぽいのは分かっていたが、なんとか勤務時間が終わるまで無事勤めることができた。
家に帰ると、頭が痛くて頭痛薬を飲んだ。熱を測ると38度を超えていて、頭の何処かで、あぁインフルエンザだ、と声がした。
適当に保険証とお金を準備して近くの救急外来に行った。
かかりつけの医者なんていないから、いざとなったらここに行こうと前から決めていた病院だった。
「インフルエンザA型ですね。お勤めされていますか?」
そう問われて素直に頷くと、熱が引いて三日後くらいに違う病院で完治証明書を出してもらうように言われた。
タミフルと咳と鼻水を抑える薬をもらい、お金を払って家に帰った。
翌朝、会社に電話してインフルエンザだということを伝えると、事務の人は心配そうにお大事に、と言ってくれた。
無理はしないようにね。今の季節はインフルの人多いからね。お仕事のことは心配しないで大丈夫よ。あ、完治証明書を忘れないようにね。
あ、水分はとってね。ゼリーとかなら食べられるわよね? じゃあ、お大事にね。
私より一回りも二回りも年が違う年配のその人は実家にいる母のように少し口うるさくて、私は少しほっとした。そして私は実家の母にもそのまま連絡した。
専業主婦の母は大げさに心配してすぐに新幹線にのってやってくるという。
父からは実家で作った野菜が後からダンボールで送られてくるらしい。
この前送られてきた野菜もまだ手付かずなのに。
そう愚痴っぽく言うと、母は、大丈夫よ、私がいる間に何か作ってあげるから、と言われた。
熱で朦朧としてきたので、返事もそこそこに切り上げると一気にだるさと寒気が襲ってきた。
とりあえず水分だけはとらなくてはと手近にあったペットボトルをつかみキャップをひねる。プシュッと音がしてそこではじめてそれが飲みかけのコーラだったことに気がついた。
なんとなくがっかりした気分になったあと、コーラを一口飲んだ。炭酸が抜けていてただの甘いジュースになっていたけど、味覚が馬鹿になっているのかなぜだかすごく美味しい気がした。
貰った薬を水で流し込む。何も食べていないけど大丈夫だろう。
ベッドに潜り込むとすぐに現実との境がなくなっていった。
夢を見た気がする。
忘れてしまった。
雪の中で手をつないで祖父と歩く夢。
ピンポーン。
呼び鈴の音がする。
1DKのこの部屋はすぐそばに玄関が見えていて、外に立っている人の息遣いまで分かるようなつくりだった。
ガサゴソと大きな荷物を背負い直すような音と、カシャカシャとビニール袋の擦れる音。
時折、ふぅ、と年配の人の声が聞こえて、それが母だと分かった。
母が来てから2日後には熱はもう下がっていた。あとは人にうつさぬように出歩かないで三日後に近くの医者で完治証明書をもらうだけだ。
母は熱が下がったのを確かめるといそいそと帰り支度を始めた。
お父さんとおじいちゃんが心配だからそろそろ帰るね。
そう言って困ったように笑った。
別に引き止めるつもりはなかったから、母の子どもを諭すような言い方にちょっとムッとしたけれど、それは顔に出さずに、分かった、とだけ答えた。
母は、帰ったら電話するね、と言って、来たときより軽くなった鞄とリュックを背負って玄関から帰っていた。
私は母に作ってもらったおじやを食べながらぼんやりと父と祖父のことを思った。
父は祖母の連れ子だった。
祖母は男遊びが派手な女性で、たくさんの恋人がいたらしい。
父はそんな母に連れられてたくさんの人と幼少期を過ごしたそうだ。
父が小学生になった時、祖母は祖父と再婚した。
それから父と祖父は家族になった。祖母が病気で死んでからもずっと二人は親子だった。
幼い頃からなんとなく父と祖父との間には見えない壁があるのを感じいた。
けれど、父は祖父を尊敬しているように感じたし、母も特に祖父に対して壁があったわけではなかったので、幼心に、お父さんとおじいちゃんは仲が良くないんだなぁとしか思っていなかった。
私は祖父が苦手だった。
祖母はもっと苦手だった。
祖母は言葉が強く、母をいつもいじめているように見えていた。
祖母の旦那さんなのに祖母に強く出れない祖父が嫌だった。
祖母は機嫌がいいとお菓子やお金などをくれて抱きしめてくれた。
タバコとお酒の臭いがして嫌だったけど、抱きしめてくれるのは嬉しかった。
そして時折、あの人に似てるねぇ、と独り言のようにつぶやいた。
あの人って誰? と聞くと、祖母はいたずらっ子のようにふふふと笑って、あんたの本当のおじいちゃんよ、と言った。
本当のおじいちゃん? 今のおじいちゃんは本当のおじいちゃんじゃないの?
そう尋ねると、秘密をばらした子どものように無邪気に笑って、教えてあげない、と答えた。
本当のおじいちゃんのことを母に聞くと、母は目つきがキッと鋭くなって私を見つめた。
私はびっくりして聞いてはいけないことを聞いてしまったと思った。
それから母はギュッと私のことを抱きしめると、それはね、とってもデリケートなことだからあなたがもう少し大人になったら教えてあげるね、と言われた。
怒られなかったことにホッとしたけれど、祖父のことはタブーとして私の心の中に残り、その頃からなんとなく祖父にくっつくことはなくなっていった。
心のなかで、本当のおじいちゃんじゃない、という祖母の言葉がいつまでもいつまでもこだましていた。
祖母は風邪を甘く見て医者にも行かず、肺炎であっという間にコロッと亡くなってしまった。
私が高校三年生になり、進路をどうしようか迷っているときだった。
祖母の葬儀はそれなりに粛々と行われ、親戚の集まりもそこそこあり、そこで私は改めて自分の立場というものを認識した。
私はどうやら祖母の連れ子の娘らしい。
祖父は祖母の遺影を眺めながらぼんやりとしていて、思い出話をする親戚のおじさんに適当に相槌を打っていて、酒の相手は主に父と母だった。
父は周りの親族からも信頼が厚いらしく、会う人会う人口々に、大変だったねぇ、本当にいい子に育ったねぇ、あの人の子供とは思えないねぇ、なんて言われていた。
苦笑しながら曖昧に酒をつぎ、父は、まだまだです、なんて謙遜していた。
本当の子どもみたいよねぇ。
これからもこの人をよろしくねぇ。
血がつながっていなくても親子なんだからねぇ。
その言葉がポツリと耳に入ってきた。
なんとなく、分かってはいたことだった。
父はハッとしたように私の顔を見て、気まずそうにその人との話を切った。
食事会は終わりを告げようとしていた。祖父がそっと立ち上がると、皆一様に席に戻ったり座り直したりして、祖父からの言葉を待つ態勢になった。
父は私の隣に座り、私の背を慰めるようにポンポンと軽く叩いた。
少し離れた席で賑やかな親族の相手をしていた母は何が起きたのかは知らないらしく、小さく笑い声をあげていた。
お人形みたいにじっとしていた私は歳の離れた親戚にどう対応すればいいのかわからなかったから、父がそばに来てくれてホッとした。
背を軽く叩かれた時、父からの懺悔を聞いたような気がした。
父の顔をちらりと盗み見ると、父は真顔で口をむっと引き結んでいた。
まるで十字架を背負ったキリストのようだと、柄にもなく思った。
私と祖父には血のつながりがない。
物心ついたときには一緒の家に住んではいるものの、よく知らない人のくくりの中だった。
家族なのに、家族じゃない。
そんな壁が私の中に根付いていた。
18歳で上京する時、父と母は精一杯のことを用意してくれた。
一人暮らしをすることに憧れもあったし、まだ見ぬ東京に夢を抱いていた。
ファッションを専門とする短期大学に入学が決まったときは二人とも自分のことのように喜んでくれた。
そして、疲れたらいつでも帰ってきていいからね、とも。
絶対にファッションデザイナーになると決めていたから、学校で自分よりも数段上の世界を見せられて挫折したときもあった。
アルバイトで勤めていたアパレルショップに正社員で入れたときは本当に嬉しかった。
忙しくて忙しくて、実家のことはなんだか過去のことのように感じていた。
そして、上京して十年、はじめてインフルエンザになった。
祖父から電話がかかってきた。
お盆にもお正月にも帰るし、長期休暇があれば観光と称して父と母が私の様子を見に来てくれていたから、そこまで離れている感じはしなかった。
実家に電話をかけると、母が気を回して祖父にも取り持ってくれていたから、祖父と話をしたのも別に久しぶりではない。
けれども、祖父から私に直接電話がかかってくるのはなかなか無いから、私は電話の通話ボタンを押す時に妙に緊張してしまった。
この前正月に帰った時に、母が祖父の新しくなった携帯電話の話をしていたから、きっとこの機会に使ってみようというだけなのだろう。
だけれども、なぜだか急に緊張して、何を話すのかドキドキして、スマホを耳に当てた。
元気か?
じいちゃんだよ。
うん、元気だよ。
そうかぁ、インフルエンザになったって言ってたから、もう治ったかと思って。
うん、治ったよ。もう元気だよ。
うん、うん、ならよかった。
うん。
仕事はどうだ。行けてるのか。
もう行ってるよ。大丈夫だよ。
そうかぁ、変わりはないかい。
元気だよ。変わりないよ。
実のない話が続く。
お互い何を話せばいいのか分からないようだった。
ふとした時に沈黙が落ちて、ポツリとおじいちゃんは言った。
今度、家に帰ってきたら一緒にご飯でも食べようか。
それを聞いた時、なぜだか涙がじわりとあふれてきた。
泣いているのがバレないように慌てて元気よく返事をした。
元気そうでよかった、と祖父は言うと、じゃあまた、と言って電話を切った。
私はボロボロのあふれてくる涙にどうしていいか分からずに、枕に顔を押し付けてわんわん泣いた。
おじいちゃんにすがって謝りたい気分だった。
私が家に帰るとき、祖父はいつも一人で食事をしていた。
一緒のテーブルに座ってはいても祖父と私の食事のメニューは違っていた。
父と母と私の三人で外食に行くことも多かった。
広い家に祖父はいつも一人でぽつんとテレビを見ながら待っていた。
お土産を渡すと穏やかに笑って、ありがとう、と言ってくれた。
祖父に対して壁があった。
本当のおじいちゃんじゃないことにこだわっていた。
血のつながりのないことを気にしていないようで、気にしていた。
父と祖父の関係に憧れのような嫉妬のようなものがあった。
本当の家族じゃない、なんて、冷たいことを思っていた。
ただ、それでも、そんな私でも、祖父にとって私は家族だった。
たった一人の大切な孫だった。大切な大切な家族だったんだ。
私が離れても、家にいなくても、たまにしか会わなくても。
血がつながっていなくても。
祖父にとって私はかけがえのない家族だった。
家族だったんだ。
まだ小学校に入る前、手をつないで近くのスーパーまで買い物に行った。
雪がたくさんあって、おじいちゃんと初めて二人で行く買い物に小さな私はワクワクした。
おじいちゃんは頑張ったご褒美にチョコレートを買ってくれた。
飛び上がって喜んで、おじいちゃんはそんな私を見て笑っていた。
血がつながっていないからなんだって言うの。
その時は家族だった。
どこからどう見てもただのおじいちゃんと孫だった。
もし、あのとき祖母の言葉を聞かなければ、私と祖父との関係は違っていたんだろうか。
今でも本当のおじいちゃんだと信じて疑わなかったんだろうか。
あと、何回、祖父と一緒に御飯を食べられるのだろうか。
ふと時計を見ると九時半を過ぎていた。
祖父はもう寝ている時間だ。
まだ、起きているだろうか。
今年の五月の連休には会えるだろうか。
ちょうど田植えの季節だから、何か手伝いはできるだろう。
カレンダーをめくって丸をつける。
ふと今月の予定を見ると有給消化のための3連休があった。
いつもは長い休みにしか行かない実家だけど、たまには急に行って驚かせてみようか。
お土産は何にしよう。
ご飯も作ってあげよう。
急にできた予定にせっつかれるけど、それがなんだかワクワクして嬉しかった。
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血のつながらない祖父から電話が来る話。
愛されるってそんなもんだよなぁ、と思います(●´ェ`●)