私は大人の人が苦手。

 

 図星を言うと怒るから。

 

 

 

 

 怒ってる人に「怒ってる?」と聞くと、

 

 

 子どもは「怒ってる!」と言い、

 

 大人は「怒ってない!」と言う。

 

 

 

 

 ますます怒っていることは明確に分かるのに、

 

 それでも大人は「怒ってない!」と嘘をつく。

 

 嘘が苦手。

 

 嘘をつかれている、ということだけ分かってしまうから。

 

 

 

 エンパスはテレパスではない。

 

 感情が分かるだけであって、

 

 思考が分かるわけではないの。

 

 

 嘘をつく人の後ろめたい気持ちや、

 

 何かを隠そうとする気持ち、

 

 誤魔化そうとする気持ちは分かるけど、

 

 何を考えているのかはさっぱり分からない。

 

 どうして隠そうとしているのか、

 

 どうして誤魔化そうとするのか分からない。

 

 

 私が見えるのは例えるなら色だけであって、

 

 赤だ、と分かるけれど、

 

 夕焼けの赤なのか、トマトの赤なのか、

 

 絵の具の赤なのか、血の赤なのかは分からない。

 

 ただ、赤いのが分かるだけ。

 

 

 

 赤いのが分かるから、

 

「赤いね。」

 

 と言うと

 

「赤くない!」

 

 となる。

 

 だから、これはきっとトマトの赤だろうと見当をつけて

 

「トマトならサラダにしようよ。」

 

 と、言ってみて、

 

 結局見当ハズレなことが多いのよね。

 

 色自体が違う場合は相手の顔ってポカンとするんだけど、

 

 何の赤なのかが外れたときは

 

「何も分かってない!」

 

「意味分からない!」

 

 ってすごく過敏に過剰に反応される。

 

 だから、あぁ、じゃあ今度は夕焼けの赤かなぁ、

 

 なんて見当つけてまた外れたりする。

 

 

 

 昔は怒っている人の「怒ってない」を真に受けて、

 

 私のエンパスが外れたんだ、と思っていたけれど、

 

 人は図星を言われるとウソをつくんだ、

 

 ということをやっとわかり始めた。

 

 

 遠回りだったけど、

 

 人との接し方がやっと分かってきた気がする。

 

 

 

 悲しんでいても、「悲しいんだね。」と言われると

 

「別に何もない。」

 

 と言うので、何も言わずにあったかいお茶を用意したり、

 

 ギュッと抱きしめたり、ただそばにいるほうがいいんだなぁ。

 

 

 

 昔はわかったことをただ素直に「そうなんでしょ?」

 

 って感情の当てっこゲームみたいに、

 

 エンパスの正確さを求めていたけど、

 

 それはただ単に私が自分の能力を信じきれなくて、

 

 エンパスを疑っていただけだったんだなぁ。

 

 

 だって誰も正解なんて教えてくれないんだもん。

 

「私は人の感情が手に取るように分かります。」

 

 って言ったって、信憑性なんてどこにもないんだから、

 

 ただ、私が私を信じてあげるだけで良かったんだなぁ。

 

 

 

 感情の当てっこゲームは今でもやっちゃうこともあるけど、

 

 子供相手だとすごく楽。

 

 分かってくれた、というのが嬉しいから。

 

 すごく真っ直ぐで矛盾がなくて、

 

 感情を言い当てられて、

 

 落ち着いてくることもすぐに分かる。

 

 

 寂しい気持ちも怒った気持ちも悲しい気持ちも

 

 とても素直で偽りがなくて、

 

 だから、子どもが好きなんだなぁと改めて思う。

 

 

 

 

 嘘をついている自覚はないのかもしれないね。

 

 私も知らない間に嘘ついてるのかもしれないから、

 

 人のことをどうこうは言えないのだけど。

 

 

 最近スイッチの切り方を忘れてしまって、

 

 疲れてしまったので、

 

 備忘録として残しておこう。