熊野の旅二日目は盛りだくさん。
まずは午前中から~^^

朝起きると窓の外の向こうの山に朝霧がかかっていました。
朝食前に散策~~♪

この地域では有名なこの朝霧。
この盆地で生まれた朝霧が、気温の変化とともに風伝峠を越えて尾呂志地区に流れていく。
天候の次第では川沿いに海まで流れていくそうです。
テレビでしか見た事のない風景の一部、霧が生まれる場所を見る事が出来て感動♪
もう少し冬に近づくとこの霧が峠の向こうまで流れていくのですね~^^
その壮大な風景は「風伝おろし」と呼ばれています。
                    「風伝おろし」you-tubeにたくさん画像がありました。

熊野川の河原にはこんな石がゴロゴロ。

このあたりで採れる真っ黒な石は那智黒と呼ばれて「碁石」に加工されています。
黒っぽいのがたくさんあったけど、磨いたら真っ黒になるのかな~^^

朝の光を浴びた花が輝いていました。

国道42号線にかかる橋と、入道雲の空。
朝から入道雲だよ~~^^;

朝食を済ませた後は、ジェット船に乗って川の上流を見学です。
写真は三つの県の県境。
左側の岩は三重県、石ころの河原は奈良県、正面に見える山は和歌山県。
瀞峡は、熊野川北山川水系にある峡谷で、上流から奥瀞・上瀞・下瀞と言われ巨岩・奇石・断崖が続く景勝地です。

瀞八丁とも呼ばれるこの地域
昨年の台風被害でジェット船は4カ月運行できなかったそうです。



ジェット船から見上げた吊り橋には水害の名残、あんな高いところにゴミがぶら下がっている・・・。
観光船や主な道路は復旧していたけれど、風景の中の山の斜面が崩れていたり、大きな木が根っこを見せていたり、水をかぶって横倒しになった木々など、たくさんの爪痕が残っていました。
人が住んでいる地域も船から見えましたが、河原には重機が入って水害後の復旧と思われる工事をしていました。
一人でも多く観光客が戻れば、住んでいる人たちにもプラスになって行くのだろうと感じました。
元通りの生活が早く戻りますように。

ジェット船を降りて、つかの間の同乗者たちに手を振ってお別れ~~。
足の悪いおばあちゃんの乗船下船を助ける乗員の方たち、ツーショットのシャッターを頼まれた元気なご夫婦、みなさんさよなら~^^

さて、これから行きたいところ。
旅館についてトロッコに乗って、初めて知った…ここは鉱石場のある町で、工夫さんたちで栄えている町だったという歴史。
鉱石の採鉱場の跡があるらしい…旅館の廊下に絵がかけてあったから、見られるならそこに行ってみたいと思った。
旅館の人に場所を聞いて(私にはさっぱり分からないけど、長男はすぐわかったようで)
ちょうど帰り道、通過するところ。
こんなのを見つけました。

山に並ぶ柱の後、ここには工場のような建物が、段々に並んで建てられていました。

谷間ひとつまたいで、大きな規模の採抗場跡でした。
この近くにある熊野紀和鉱山資料館を見学して、詳しい歴史を見てきました。

古くは奈良時代、ここで採れる銅を奈良の大仏建立に使ったそうです。
そんな時代から、資料が残る江戸時代は手作業のたぬき掘りと言われる採掘がおこなわれていました。
そんな展示を見た後はエレベーターで階下へ…と思ったら、エレベーターの中で疑似体験!
何層にもなった坑道を見ながら下に降りて、昭和の坑道へと降りたのでした。
機械で掘削する音、本物のトロッコや採掘していた機械もありました。
太平洋戦争時代にはイギリスの捕虜たちが、この鉱山で強制労働させられていたという歴史もあります。
捕虜と言っても田舎の事なので、地元の人たちとの交流もあったようで、平成になってから当時のイギリス兵たちがこの地で亡くなった同僚のお墓参りに来た時の「交流」の写真も展示されていました。
昭和の時代には石原産業(株) の鉱山として採掘されていましたが 1978年5月閉山 となりました。
坑道の全長は名古屋から東京までの距離と同じほどになっているそうです。
温泉地で見えた坑道のトンネルから出てきた冷気、納得です。


お昼近くなり、おなかがすいてきたのだけれどもう一度行ってみたい・・・私の強い希望で再び寄り道。

晴れた空の下、輝く千枚田をもう一度見る事が出来ました。
稲刈りはもう始まっているだろうな~~大きなイベント…全国からオーナーが集まる稲刈りも見たかったけど、それはまたいつの日にか^^

山道を降りて熊野市内の国道に出て、獅子岩が近づいてきたところに新しい建物が見えました。
美味しそうな雰囲気がある~~~立ち寄ってみると・・・。

お綱茶屋がありました♪
まずは腹ごしらえ~~~♪


熊野地鶏の古代米うどんと目はりずし


ここにしかない柑橘「新姫」のソフトクリーム♪

このお茶屋さんは今年の4月にできたばかりで、真新しいヒノキの香りが居心地良かったです。
お茶屋の真ん前にあるのは「花の窟」はなのいわや・・と呼ばれる神社。
天照大神は伊勢神宮の神様ですが、その天照大神の母であるイザナミが祀られていました。



この大きな岩が御神体。

花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。 

大きな御神体の前には「カグツチノミコト」、親子向かい合わせで祀られていました。



御神体に空いた穴には小さな白い石がたくさん・・・願い事を書いておさめられていました。
鬼ヶ城や獅子岩と同じ性質のこの岩は、風雨でこんな穴があいてくるんですね。

そんなご神体の上の方に、かわいい花が咲いていました。



   二日目後半に続く