久しぶりの大知君シリーズのテーマは「色気」である。大それたテーマを据えたものである。果たして大丈夫であろうか? だが大知君を語る上で「色気」は避けて通れないテーマである。覚悟を決めて進めるしかない。
私は大知君のYoutube動画をほぼ毎日観ているが、コメント欄を読むのも好きである。読んで気が付いたのだが、「すごい」「かっこいい」と同じくらい、「セクシー」「色気」というワードをよく目にするのだ。で、今時の若い人が「色気」という古めの言葉をあえて使う事に面白さを感じた事と、自分も大知君のパフォーマンスに色気を感じる事もあり、今回のテーマとして選んだ経緯がある。まずYoutube動画の三浦大知 (Daichi Miura) / FEVER -Choreo Video-のコメント内で、下記キーワードの使用回数をExcel関数を用いてカウントしてみた。
468件のコメントで
セクシー 23回
エロい 11回
色気・色っぽい 19回
品・上品 5回
という結果であった。(2019/03/15現在)「セクシー」に負けず劣らず「色気、品」という言葉が使われている。Yahoo辞書では「色気」の意味の1つは「人をひきつける性的魅力」とあるが、単なる性的魅力以上に「そこはかとなさ」とか「奥ゆかしさ」とか「風情」としての色気の概念を日本人は共有しているような気がしてならない。「お色気」という「お」がついた場合はまた別の意味が発生するが、今回の「色気」で言えば、いろいろ世代間の格差についてあれこれ言われる昨今だが、日本的な感性というのは若い世代に受け継がれているのだなと思うのである。全て若者のコメントとは限らないので断言はできないが。
まず、大知君がエンターテイナーとして楽曲の世界を巧みに表現できる歌手であると言う要素があると思う。楽曲の方向性と演出、表現が見事に決まって、リスナーが「色気」を感じているという部分が大きいと思う。理由は楽曲によってコメントの系統が違う事が挙げられる。
FEVER 、Chocolate、Can you see our flag waving in the sky? , Touch Me
などが、「色気」「セクシー」系コメントが多く、他の楽曲はそれほどでもない。他の楽曲のコメントを注意して確認して初めて気が付いた。それだけ「色気」「セクシー」というコメントの印象が強かったのだと思う。そしてこれらの曲は、まさに「色気」「セクシー」というリターンを狙って作られているものだと思う。共通して感じるのは、上品でありながら刺激的で感性に「刺さる」インパクトがあるというところだろうか。昭和世代の私は幼少期から濃い歌謡曲やアニメソングで育っているので、昨今のふんわり系というかせつない系という感じのラブソングはちょっと物足りない。ガツンと来ないのである。まあサザンのあの革命的な「今何時?そうね、だいだいね~」の本当の意味が分かったのが相当後の事だったので偉そうな事は言えないのだが。サザンは割とエロ系の曲がアルバムに時々入っているが、やはり昭和感が強く面白いけど女子がうっとりするような魅力に欠ける。(最近のアルバムは聴いていないが。)
ところが、大知君の「Can you see our flag waving in the sky?」を聴いて驚いた。JPOPから永らく遠ざかっている間に、ラブソングはこんなに進化していたのか、と玉手箱を開けた浦島太郎気分だった。
モノクロームの写真のような、印象的なシーンのイメージをちりばめるように「行為」が描かれていて、その言葉の使い方が卓越している。「刺さる」のである。「湿り気を帯びる空間 求めて絡まる蔦」とか脳にこびりつく。そしてサビと言うかメインフレーズの「Can you see our flag waving in the sky?」、おそらくクライマックス、もしくはその「先」の比喩だと思うが、この感性、私など一生かかっても思いつけないおしゃれさ。時代の移り変わりとNao’ymt氏の才能を改めて目の当たりにした感がある。また、これらの楽曲を歌いこなすのは、きちんと表現に対する心技体的なベースができていないと難しいのではないだろうかと思ったりする。特にChocolateなどは及び腰だったり、逆にやり露骨にやり過ぎれば、目も当てられない結果が待ち受けている。うまく説明できないのだが、大知君の歌声からはぶれない芯のような姿勢みたいなものが共通して感じ取れる。これは女子のみならずリスナーがはまらない訳がない。本当に若い頃に聴きたかった。
また、演出的には個人的な見解だが、ボーカルのセクシー度合は楽曲全体のテイストとリズムとのバランスで調整されているような感じがする。スローなR&BであるMake Us DoやChocolateなどはフェイクもボーカルもかなりセクシーだが、ダンスナンバーのFEVERの歌い方は割と普通に聞こえる。解釈の上に緻密に仕上げているところに、「上品な色気」のポイントがあるように思える。
最後は「余裕の表情」「余裕の指先」という上半身に力みがない姿と「セクシー系」の楽曲が加わると女子はぐっとくるような気がする。「手」「首」「肩」の動きに関する女子のコメントが多い。楽曲自体はダンスナンバーだったりR&Bのジャンルではあるが、日本舞踊においても「手」「首」「肩」は重要なパーツに見受けられ、私は日本人の細やかさとしての共通性を感じる。
日本人が共有する「色気」の神髄は、作為的にこれ見よがしなものでも天然的に開けっぴろげなものでもない。尊敬する思想家、故 橋本治氏が確か色気を「お座敷を終えた舞妓さんが、深夜の帰り道で1人ほんの少し襟をゆるめて、月を見上げてため息をつく」みたいな表現をしていた記憶がある。つまり色気というものは「きゅうくつな抑圧」があって、それをほんの少し開放する時に見えちゃうものという事になる。
私が今までにそういう色気を感じたのは、女優さん、俳優さんではなく意外だが男性アイドルだったことが多い。元SMAPの草薙君、嵐の大野君、どちらも映画やドラマで見たのだが、ラブシーンなど皆無であるのに強烈な色気を発散していた。その事で逆に彼らの置かれている立場、成人した男性をアイドルと言う鋳型にはめ込む壮絶さを垣間見た思いがしたのだが、これまで書いたように大知君から感じる色気は、もっと自然なものに感じられ、「抑圧」的な感じはない。歌い踊る事に対する童心と言うのか本能的と言うのか、大きな喜びが溢れていて、セクシーな楽曲でも性別を超えているような両性具有の美しさの要素があり、それも大知君の魅力だと感じる。手塚治虫の作品でよく評される「生命としてのエロス」的なものなのではないかと個人的には捉えている。実際昭和世代の私は、The Entertainer ライブの冒頭、宙乗りで会場を飛ぶ大知君を観て「アトムだ!」と思った。また、特に私が好きなのは、伏し目にして斜め下をすっと見ながら微笑んだ顔で、「色気」コメントで男性のものとおぼしきものがあるのは、こういう美しさがあるからではないかと思う。
もう1つ「色気」で忘れられないシーンがある。以前放送された宮藤官九郎脚本の「タイガー&ドラゴン」というドラマで、笑福亭鶴瓶が彼の本業である「落語家」の役を演じた。ほんの数秒高座で観客に語り始めるのだが、その時の彼のオーラというか色気が凄まじかった。普段バラエティで見る「面白おじさん」は仮の姿、芸に精進した男がそこに居た。積んだ稽古の厚みを背負って、その苦労など一切語らず、観客の注目を一身に集めて腹の底に歓喜をたたえているような佇まいであった。 また大げさになるが、最近の大知君の笑顔に、あの時の鶴瓶師匠の凄みに似たものを感じるのである。彼が歩んできた芸の道のりは長い。これからの大知君は成熟した「芸の人」としての色気を私たちに見せてくれるのではないかな、と思ったりするのである。