2011.08.14 SP 桂冠詩人の世界 師のように「正しい人生」を


 邪悪な戦争が
 多大の犠牲と
 被害をもたらしたのは
 数え切れないほどである。
 これは厳然と
 歴史が証明している。

 昭和二十年の八月十五日
 この終戦の日
 私は十七歳であった。

 長兄の戦死の公報が
 届いたのは
 昭和二十二年の五月 ──
 悲しみに打ち震える
 母の後ろ姿が
 あまりに可哀想であった。
 辛(つら)くて
 励ましようもなかった。
 私自身も
 肺結核との戦いが
 続いていた。

 いまだ城南(じょうなん)の一帯は
 空襲の傷跡が残り
 ほとんどが灰燼(かいじん)に帰(き)していた。
 防空壕も点在していた。

 二度目の終戦記念日を
 迎える前夜の
 八月の十四日 ──
 自宅近くの糀谷(こうじや)の友人宅で
 仏法の哲学の会合があると
 同級生に誘われた。
 戸田城聖先生をお迎えした
 その座談会は
 大変に心を打たれた。
 強く胸に響いた。

 偉大なる戸田先生!
 二年間
 軍部権力と戦って
 牢獄に入った師子!

 戦争中に信念を貫き
 弾圧されたのは
 正しい人である。
 こう私は直感した。
 深く思った。
 この人についていくことは
 正しいことである。
 正義であると確信した。

 それから十日後
 私は入信した。
 十九歳である。
 昭和二十二年の
 八月二十四日のことであった。

 この日から
 私の本格的な
 信念の人生が始まった。
 正義のために戦い抜きゆく
 青春であることを誓った。

 悔いのない青春!
 歴史を創る青春!
 わがままな青春より
 厳格な仏法に殉ずる青春を!
 確固たる信念のなき青春より
 仏法の哲理と智慧を胸に抱いた
 誇り高き栄光の青春を!

 戸田先生は
 常に名著の一節を
 引かれながら
 厳しく指導された。
 青年よ 師子になれ!と。

 わが師と語り合うと
 私の生命に
 包みきれぬほどの哲学を
 詰め込んでくださった。

 そこには
 生きる力
 生きる智慧
 戦う勇気
 勝利への信念
 栄光の讃歌があった。

 懐かしい
 強く優しい心の
 恩師であった。
 このような
 師になりたい!
 私は深く誓った。

 人びとを
 勝利の人生に
 導きゆく力!
 若き人びとの
 素晴らしき成長を
 開きゆく源泉!

 私は
 師のようになる!
 熱い決意と
 不退の信条が
 込み上げてくるのであった。


    「第三代の誉れ勝利と希望の大山脈
       私は勝った!正義の旗を天空高く」より