世界との語らい【公害研究の先駆者  宇井 純】
「被害者の手足となって働いてみると、解決の智慧がわく。庶民と切れたら、学問は終わりです」
「寺院仏教が葬式仏教に成り下がったように、科学技術もまた立身出世のための道具でしかなくなった。権威を誇る大学はまさに寺院そのものである」
そう確信した氏は決心した。
「学問を、生き生きと大衆の手に取り戻すのだ!」
氏は、他人任せでなく、自分で調べ、自分の責任で考える、若き専門家が育つことを期待されていた。
「一人でもいいから、大地から立ち上がってほしい。皆さんの言う地涌の菩薩ですね」
氏は、一本気のサムライであった。それゆえに、心労も人一倍であったにちがいない。
「貴族ぶって、自分の手を汚さない人間など、少しも偉くありません。庶民のために、自らの体を痛めつけて、苦労している人が、本当に偉い。
いずれの道でも、ある次元までいくと、どうしても突破できない壁に当たる。その先へ進むためには、借り物では駄目です。自分自身で苦しみ抜く以外にない。うんと苦労した方が、最後は勝ちです」
「本当に大きな仕事は、手足を縛られて身動きがとれぬような時ほど、逆にできるものですね」
「現実の社会は、民衆が創造していく学校である」とは、忘れ得ぬ宇井氏の名言
生前、氏は地方を回りながら、市民運動のあり方をアドバイスされていたという。
「婦人部を作りなさい、男なんてすぐひいちゃうから。それから若い人たちの青年部を作りなさいよ」 苦闘から滲み出た実践知だ。
公害研究の先駆者  宇井 純(うい・じゅん)
(1932~2006年)
環境・公害問題研究家。東京都生まれ。
大学卒業後、民間企業に勤務するが、公害研究に専心するために、大学院へ。
熊本県の水俣病の調査を機に、多くの公害反対運動に携わる。
東京大学助手時代に主宰した「自主講座」は、15年間で2万人を超える聴講者が訪れた。
1986年沖縄大学教授、2003年同大学名誉教授に。
アジア環境協会会長を務める。
著書に『公害の政治学』『公害原論』など。