前回は少しブツ切れ状態で終わってしまったので、前回の記事をざっくり紹介すると…

南氷洋捕鯨は、それまでの地域社会に密着していた古式捕鯨とは異なって、大資本と国家のバックアップによって成長してきた近代産業として捉えることがでます
そして、日本も戦前の南氷洋捕鯨では、鯨肉よりも外貨獲得手段である鯨油の方を重視しており、しかも決して鯨は全国的に食べられていた食材ではありませんでした

まぁ、ざっとこんな感じです
ちなみに、鯨組というのは捕鯨を専門に行う組織のことであり、太地では1606年に全国に先駆けてこれが組織されたことから、古式捕鯨発祥の地と言われています

太地に限ったことではないのですが、1800年代中頃から沖合で欧米の捕鯨船が操業するようになったことで不漁に陥った上に、背美流れ<http://www.town.taiji.lg.jp/kankou/seminagare.html>と呼ばれる遭難事故もあり、網や銛を使う古式捕鯨は終焉を迎えます

背美流れで大きな被害を出した太地では、アメリカ大陸への集団移住なども行われました
そして、古式捕鯨の時代には補助的な位置付けでしかなかったゴンドウ鯨漁がメインに行われるようになります

なぜ、ゴンドウ鯨漁かというと、背美流れで鯨組に大きな被害を出たため、集団作業を必要としないこの鯨を捕獲することに重きが置かれるようになりました
ゴンドウ鯨を捕獲するために、10トン未満の小型船に前編で紹介した前田式捕鯨銃を搭載した船を天渡船と呼び、この船が太地の捕鯨を長らく支えていくことになります

ちなみに、天渡船の名前の由来は、焼玉エンジンが搭載されたことから、天を渡るほど速いという意味で名付けられたそうです
前田式捕鯨銃が発明されたのが1904年ですが、実働時期は不明ながらも戦後になっても8隻もの天渡船が活躍していました

この天渡船が行っていたゴンドウ鯨漁は、いま現在批判に晒されている追い込み漁へと受け継がれています
太地で追い込み漁に従事されている方に町外出身者はおらず、太地の人間が太地の捕鯨を担うというスタイルは堅持されています(古式捕鯨時代には町外出身者がいましたが)

地元住民によって担われてきた捕鯨には、ゴンドウ鯨を追う天渡船の他に、ミンク鯨を追うミンク船があります
こちらは天渡船よりも大型(法律により47.99トンと決められている)で、船首部に銛を火薬で打ち出す捕鯨砲が備わっており、沖合約40kmまでの海域で操業を行っています

天渡船は太地に特有の捕鯨船ですが、ミンク船は北海道網走市・宮城県石巻市牡鹿町鮎川・千葉県南房総市和田町・和歌山県太地町の4ヵ所に拠点を置き、操業していました

ところが、このミンク鯨はIWCが規制する鯨類であるため、商業捕鯨モラトリアムにより捕獲が不可能になってしまいました
けど、南氷洋で行われている調査捕鯨では、一貫してミンク鯨が捕獲されています

ここに、税金が投入されている半国営捕鯨でもある調査捕鯨はミンク鯨が捕れるのに、地域住民の手によるミンク船ではミンク鯨が捕れないという大きな矛盾が発生します
この調査捕鯨というのは、厳密な決めごとがあるように思われている方も多いと思いますが、IWC加盟国は意外と自由に捕獲枠を設定することができます

その証拠に、調査捕鯨開始当初の南氷洋における捕獲枠はミンク鯨(厳密にはクロミンク鯨)300頭±10%でしたが、現在は850頭±10%にまで拡大されています
一方でミンク船を所有し沿岸小型捕鯨を行う業者は、IWC規制外の鯨を細々と捕獲しつつ、8事業体9隻体制から5事業体5隻体制にまで規模を縮小し、辛うじて事業を継続しています

こうした苦しい状況に置かれた業者を救済すべく、日本政府は長年ミンク鯨の緊急救済捕獲枠として50頭をIWCに要求してきました
その根拠として、沿岸で捕獲されるミンク鯨は、商業捕鯨と原住民生存捕鯨が混じり合った「第3のカテゴリー」による捕鯨だということを主張しています

確かに、日本の沿岸小型捕鯨コミュニティでは、貨幣を伴わない物々交換や儀礼上の鯨肉の流通が多く見られる上に、太地のように経済活動の中心地から大きく離れた街では、生計をたてる貴重な手段になっているので、政府の主張は間違っていないと思います

ここで生じる一番の疑問は、ではなぜ政府は沿岸小型捕鯨を行う業者のために、調査捕鯨の捕獲枠を設定しなかったのかということです
別にIWCに捕獲枠を要求するまでもなく、日本近海でミンク鯨の調査捕鯨を行いますと政府が決断すれば、問題は丸く収まるはずです

だからこそ私は、半国営の調査捕鯨を守るために、純然たる民間業者が行う沿岸小型捕鯨が圧迫されているように感じられるのです
ようやく日本近海でも調査捕鯨としてミンク鯨が捕獲され始めたのは2002年からで、鮎川沖と釧路・網走付近で60頭ずつ、年間合計120頭が捕獲されています

しかし、近年では中途半端に値段を下げるという流通促進策を国が採っているため、沿岸小型捕鯨を行う業者の収支状況は相変わらず苦しい状況が続いています
税金が投入されている調査捕鯨は赤字でもいいかもしれませんが、こうした業者にとっては死活問題です

だから南氷洋の調査捕鯨にこだわる必要はないと思います
日本近海でミンク鯨の捕獲枠を300頭前後設定すれば、国内の需要は十分賄えるのではないでしょうか

この数字は、私が当てずっぽうに算出したわけではなく、1952年から商業捕鯨モラトリアムでミンク鯨が捕れないようになる1987年までの37年間で捕獲頭数が平均して348頭だったので、決して非現実的な数字というわけではありません

私が指摘した矛盾点は、この記事に分かりやすくまとめられています
http://janjan.voicejapan.org/world/0706/0706280989/1.php