秋になったはず
なったよね
なのに暑かった曇天大阪
曇りの日は嫌いではないむしろ好き
急に訪れるであろう冬に備え
革ジャンだけは引っ張り出しました
さて今日は我が会の滋賀県の地域の祭りで
演武披露の日でした
持ち時間35分となかなかの長丁場
どうだったのかなぁ皆稽古も全くせんと
先月の演武会は散々な出来
先輩は試斬でなんと落刀する始末
怪我や事故の報告は入ってないから
大丈夫かな
今回は僕参加してません
先週両親とも入院する事態に
ちょっとバタバタしてました
今までの演武会は僕が全ての道具を
一人で運ぶ運搬役
前の日に畳表を取りに行くのも僕でした
両親のこともあり不参加を伝えると
誰が道具運ぶねんとの声
知らんがな
僕が入会する前はどないしてたんや
〇〇君が全1人で全部やってくれてた
〇〇君辞めてしもたやないかい
僕の家の一室を占領してる会の備品
試斬台2台
幟スタンド2台
12段の両面刀掛け
ブルーシート大2枚
130㍑容量の畳表入れ用蓋付きボックス2つ
救急箱
なぜか予備の木刀22本
この際ぜ〜んぶ理事長宅へ持って行きました
おそらく新人の理事長の娘の彼氏が
当面の運搬役になるんやろな可哀想
1人で運ぶんは結構大変やからね
まあ後はよろしく
さて我が両親の行く末には雲が
へたり込むと立てずそこから動けん
垂れ流してしまう親父
毎日電話で弟か僕が呼ばれます
おかんは既に入院
弱ってるし身体中が浮腫んでる
皮膚炎もほぼ全身
認知症も進んでるが
主治医はどこも悪くないとのこと
へ?
どこも悪なかったらこんなんなるかい!
どないなってんねんこの有名病院
言うたら色々検査してみますやて
最初からそないしてくれって話
何も出来んおかんやったけど
親父一人になるなぁ
こらもう施設に入れなあかんのちゃうか
弟とそんな相談しとった矢先
また親父から電話立てへんねん
もうあかんしんどそうやし僕らもしんどい
病院連れて行こうとなりました
診察してもろたらかなり衰弱
主治医からちょっと別室へ
お父さん肺がもう真っ白ですわ
血中酸素も危険レベルもう手の施しようない
はぁそうですか
余命は長くても半年もっと早いかも
なるほど
ここは急性病院やから
落ち着いたら終末医療の病院へ転院です
ホスピスってやつやな
分かりました
やっぱり立てんぐらい弱ってたんやな
嫌がって穿かんかった紙オムツして
点滴して寝てるわ
そうか親父死ぬんやな弟と再認識
おかんはと言えば
話しかけても俯いたまんま
左指で薄くなった髪の毛をクルクル玩び
何か受け答えも噛み合わん
夜中にご飯持ってきてちょうだい!
と毎晩叫ぶらしい
衰弱してるんちゃうんかい
認知症やんなぁ調べて欲しい
この病院では認知症検査はやってない
身体の浮腫みの原因検査
おかんは検査拒否しよる
本人が拒否したら検査はできん
認知症と診断されたら家族の承認で
検査ができるがここでは無理
どないせいっちゅうねん
親父の件でソーシャルワーカーと面談
おかんは認知症も含めて退院しても
1人にはできん
だから2人で入れる病院を探して欲しい
弟の家のできるだけ近くで
僕らの思いを伝えていくつか病院の候補
空きがあるかは別やけど調べてみます
よろしくお願いしますと病院を後に
さぁ大変やなぁ
年金暮らしの両親は賃貸住まい家賃10万
これから2人医療費なんぼかかるか分からん
保険は府民共済だけ
どうなることやら不安だらけやけど
いつか皆が行く道
しゃあないしゃあないと弟の肩を抱く
帰りに食べた九条亭の醤油ラーメン
いつもより塩っぱく感じたのは心の涙か
どない思う相棒
父ちゃん頑張るでい
チーン