オトドケモノというバンドと出会って
オトドケモノの音楽が止まりました。
出会いは懐かしのO-Crest。オトドケモノの社会人になる前の最後のライブ。アザヤイタとHalo at 四畳半との3マン。初めて聞いた曲でボロボロと涙を溢したのを今でも覚えてる。その時僕は大学1年生でシンさんは金髪でした。
アザヤイタに人生を救われた僕にとってオトドケモノを好きになるのに時間はいらず、深井さんと同じくらい尊敬できるヒトでずっと憧れのヒトでした。
この2人、似てるんだけど真逆の考え方を持っていて、相反する言葉選びなのに伝わってくる感情は一緒で、凄い不思議に思ったのを今でも覚えてます。属性は光と闇で違うのに種族は善人で一緒。でも好敵手。でも親友。みたいな。
僕にとってオトドケモノは『生き方』を見出してくれた先生のような存在でした。
『こんな優しい大人になりたい』『こんな素敵な考えができるヒトになりたい』『こんな時があったらこういう選択をしよう』
歌詞と楽曲の中に散りばめられているワードやフレーズの温かさから自然と前向きになれる気持ちが溢れてきて、決断に迷った時や人生の分岐点に立った時に踏み出す力を貰っていました。根暗でネガティブだった僕がここまで変われたのはオトドケモノのおかげだと言っても過言ではないでしょう。
だからオトドケモノのライブを見る時は自然と笑顔になる時もあれば、気がついたら涙で目が滲んでしまう時もあって情緒が不安定になっていた人は少なくないと思います。今日も実際そうだったし。時には優しく寄り添ってくれて、時には厳しく叱咤されているように胸を貫いてくるような歌い方を使い分けるからズルいんだよなぁ。
特にシンさんは言葉を使うのが上手だから曲を唄う前のMCでその曲に関係ある話をする。どんなバンドもそうなんだと思うんだけど、それを何も包み隠さず等身大の言葉で日常であったことを混じえながら真っ直ぐ伝えてくれる。だからその後唄う曲がよりよく響く。誰もが持ってるであろう感情にドストライクで飛び込んでくる。同じ人間だから尚更。
だからこの人に応援されたら頑張れるなーって。安心感が凄かった。毎回ライブが終わると会場の出口で待っててくれるのが嬉しかった。「最近どう?」って聞かれると包み隠さず話してしまうし、どんな話でも真剣に聞いてくれるからまた何かあったら報告に行こう、って。ライブハウスで働くことも報告した気がする。自分のターニングポイントにはいつもオトドケモノがいた気がする。本当にお世話になった人だった。
アザヤイタを見てる時に、他とは違って大暴れしている僕はもしかしたら浮いていてとても恥ずかしい存在なのかもしれない。アザヤイタに迷惑をかけているかもしれない、と心がざわついた時に「後ろ指刺されても振り返らなきゃ気付かないぜ」って唄ってくれたことにどれだけ救われたか。
そうか、僕はそんな人達なんか目もくれずに目の前で唄ってくれるこのバンド達を信じ続ければいいんだ、って。
アザヤイタが止まる時には絶望が襲ってきたけど、サンストで深井さんがMCで「シンデレラの靴」の話をしてくれた時に、荷物を下ろして身軽のなった体でまた羽ばたくために辞めるのか、って妙に納得できた。
アザヤイタが止まった後、僕が道を踏み外さずに歩いてこれたのもオトドケモノのおかげだったと思う。
A4用紙1枚で自分の人生を測られたくなくて就職活動はしなかった。結果、オトドケモノと出会ったライブハウスで働き続けることにした。
「君にしかできないことはない。誰にでもできることだらけだ。」なんて周りの声には耳も貸さず「僕じゃないと君じゃないと意味がない」ことを今でも探し続けてる。これが僕を支えてる唯一の誇り。
『ライブハウスで働く前に好きになったバンドさんと一緒に働きたい!今度は僕が支える側になります!』って恩返しする夢はオトドケモノだけ叶わなかった。でも最後までこの夢を持ち続けられたからバンドとは常に真摯に向き合えたと思う。
親父と初めて2人でお酒を飲んだ時に親父の夢を聞いて涙が出そうになるくらい心が震えて、大事なことがあったらまず親父に絶対包み隠さず話そうって思えるようになったのも、家族を大事にしようって思うのも、あの曲があったから。
初めて出会ったあの日シンさんが『髪を染めたことがなくて、社会人になったらできなくなるから』といって金髪にしたのを思い出して、僕は25歳の誕生日に初めて髪を染めました。
当時は守るものもこだわりもなくて、でもなんか面白いことがしたくて。俺もやってみるか!初体験!って飛び込んでみたら痛い目もみたし面倒だったけど、知らない世界が見れてとても貴重な体験だった。やってよかった。
初めて今の職場(ダーツバー)に飛び込んだ時にこれまで自分がいた世界とは遥かに違くて、今までの自分ではどうにもならないことが分かった時に、居場所は空けてくれるのを待ってるだけじゃなくて作らなきゃいけないんだ、ってことを知った。自分で自分を輝かせる方法があることを知った。大事なのは向いているか向いてないか、じゃなくて、向き合っているか向き合っていないかどうか、だと気付かされた。
大人になって色んなしがらみがあってなんもかんもどうにもならない帰り道にはコンビニで一番安いビールを買って、イヤフォンからガンガンに音楽をかけて泣きながら帰った。そんな夜の過ごし方や発散の仕方も、そんな夜があってもいいんだってことも、オトドケモノが教えてくれた。
こうやって書いていて、こんなにも出てくるのか〜って自ら思うほど、オトドケモノに、彼らの音楽に、シンさんに、お世話になっていたんだなーってしみじみとしてしまいました。
シンさんがTwitterでよく使っていた表現も大好きで、なんでもない言葉なのに心に響いて元気をもらっていたのも思い出したから最後はそれで締めます。
今までありがとうございました。
数えきれないくらい支えてもらいました。
きっとこれからもお世話になります。
どうかお元気で。
また会いましょう。
また会いに行きます。
では
いってきます。
いってらっしゃい。
2022.4.10.Sun KURONOA
「休憩中」について
ほったらかしにしていたブログを掘り起こしました。
ご無沙汰しております、KURONOAです。
皆さんお元気ですか?僕はそれなりに元気でやっています。
近々ライブやら生放送やらネット活動というモノを全然やっていなくて、Twitterなんかもほとんど見る専みたいな感じで流していたので、皆さんがどれだけの熱量で日々を邁進しているかがあまり分かってはいないのですが
元気でやっててくれたら嬉しいなと思います。
そんな中でも数少ないTwitterの投稿に反応してくれたり、僕のバイト先まで会いにきてくれたり、なんか別の職場でたまたま顔を合わせたりなんかしていた方は僕が今どんな風な生活をしていたか少しばかりは伝わっているかなぁと思っているのですが
ご存知ない方もいらっしゃるかと思うのでちゃんとお伝えさせていただくと
勝手ながらネット活動を「休止」しておりました。
本当にほぼ誰にも言わず、特に宣言を出すこともせずに、「休憩中」と銘打ってグダグダウダウダとツイキャスもYouTubeもその他諸々ほぼ全部、何もやらずに1年くらいが経ったかと思います。
別に有名でもなんでもないし、報告なんて必要ないんだろうけどね。
理由は話すと長くなるので今は割愛するんですが、簡単に言うと「なんか疲れちゃったから」辞めてました。
他にも細々した理由はあるんですけどね。
頑張ってやろうと思ったことが報われなくて、なんだか僕もよく知らないところで陰口言われたり罵倒されたりして、明日を生きるのに精一杯で、でもお金がないと生きていけないから毎日せこせこ働いて、そしたら今まで生放送をしていた時間に枠が取れなくなって、人との生活リズムがズレだして、そしたら頼みの綱のノートパソコンがぶっ壊れて。
緊急事態宣言下や自宅謹慎中は他にやることがなくてよく生放送をしてましたが、毎日少しずつ少しずつ変わっていったことを理由に徐々にマイクの前から離れていってました。
なんでか、って言葉にしようと思ったら多分怠惰なんでしょうけど
「無理をしてでもやりたいこと」なのかと自分に問うてみた時悩んでしまって、悩むくらいならいっそ離れてみるか!と半ば勢いというか「やめだやめだ〜」みたいなノリで休憩してました。
特に問い合わせもなかったし全然気にしてなかったんだけど、もし僕の活動を楽しみにしていた方がいたらごめんなさい。
特に期間も決めずに休もうと思って休んでたら1年以上も経ってました。
もう時期戻ります。
戻ると言っても元々毎日放送するタイプじゃなかったし、パソコン壊れちゃったから前みたいに良い環境じゃないし、時間とか時間帯も限られたものになってしまうかと思うんですが
ちょっとずつやる気が戻ってきてる気がするので、勘違いでも良いから今のうちに自分のケツを叩いておいて逃げ道をなくしておきます。
この期間に歌いたい唄もジャンル問わず増えたので唄枠とかも取りたいね。
多分最初は仕事終わりの朝とか深夜とかに少しずつになるかな。酒飲みながらグダグダと話してるだけの放送とかが多いかもしれませんが
宿主がいないと誰も帰ってこれないと思うので、一先ず僕が「ただいま」しときます。
時間は限られますが、いつでもいいので皆さんのご帰宅をお待ちしております。
何かあればTwitterかLINE@までどうぞ。
2021.6.20.KURONOA
