「あけおめ」で始まる北川莉央のブログ

新年一発目から可愛すぎて、今年も良い年に成らざるを得ない予感しかない!

しかし笑顔といい髪型といいシックな衣装といい、スーパーな高校生です!

(黒系の衣装もとてもお似合い!)

 

北川莉央に出会い、惹かれた訳の話の第三回です。

興味のある方は暇つぶし程度にご覧ください!

 

私が彼女の存在と出会うまでは少々長い話になりますので宜しくお願いします。

 

~第三回 迷走を続ける娘。と秋元帝国に席巻されるアイドル界~

 

飯田圭織の卒業後、翌年には矢口真里が諸般の事情で脱退し、一か月後には矢口の抜けた穴を埋める様に7期として久住小春が 加入した。

その久住ですが、応募総数が2万人を超える中の唯一の合格者として選ばれたメンバーでプロデューサーのつんく♂をも唸らせた逸材だったにも関わらず

これが超問題児で、教育係として任命された先輩メンバーの道重さゆみの言うことは一切聞かず、ワガママし放題のうえ失言も多く、教育係の道重はストレスで激痩せしたと言われた。

 

その後2005年から2006年にかけて石川梨華・紺野あさ美 ・小川麻琴が卒業する。

2007年にAKB48が初めて紅白に出場したその年を最後に、モーニング娘。紅白出場は無くなってしまい、8期として加入した光井愛佳と中国人留学生のジュンジュン・リンリンを迎えるのだが

この頃から娘。のTVでの露出も次第に減っていくのですが、グループとしては今までの個を重視したものではなく圧倒的にクオリティの高いパフォーマンスを魅せるように変貌していく。

高橋がリーダーになった頃から、後にファンの間で「プラチナ期」と呼ばれる様になるのだが、8期が加入した後約4年間新メンバーの加入が無かった。

そして2010年に亀井絵里・ジュンジュン・リンリンが 卒業すると初期メンバーの人数と同じ5人まで減ってしまうことになる。

「ライバルサバイバル」の娘。史上最大の盛り上がりも経験させて貰えたのだが、さすがにここまでメンバーが減ると、ファンの一部では「娘。もこれまでか・・・」などと言う

不穏な空気も流れ始めます。

 

2005年に「会いたかった」でメジャーデビューしたAKB48ですが、同じ年機材故障により中止された劇場公演の代替として行われた握手イベントが好評となり、その後CDリリースに合わせて

定期的に行うようになり、ついに2009年には発売するシングルに参加するメンバーをファンと投票により決めると言う「選抜総選挙」第一回が行われ、新しいアイドルのビジネスモデルを

築き上げるげ、その後もジャンケンで選抜メンバーを決めてしまうというものや、野球のドラフト会議の様にチーム間でメンバーをドラフトし合うなど、次々と新しい試みを行い

気づけば、14thシングルで初のオリコンウィークリーチャート1位を獲得すると、2010年8月に発売した17thシングル「ヘビーローテーション」で、シングルの連続初動売上50万枚突破

オリコン登場週数120週・オリコン週間カラオケチャート48週連続1位と凄まじい勢いでトップアイドルグループに上り詰める事になるのです。

後に、SKE・HKTなど派生グループや海外にも進出したり、乃木坂46・欅坂(櫻坂)など巨大アイドル帝国を築き

気づけばモーニング娘。を含めハロープロジェクトの知名度は、メンバーの頑張りとは裏腹に下降線を辿る一方となるのです。

~第四回に続く~

 

下の画像、北川莉央the女子高生!ですね!

北川莉央ちゃんは真顔の時は美少女感が凄いですね!

しかし、笑うと糸目になるギャップが何とも可愛い!

莉央ちゃんはその時々、メイクや衣装、髪型、喋ってる時、歌ってる時など沢山の表情と雰囲気を持った子です。

 

北川莉央に出会い、惹かれた訳の話の第二回です。

興味のある方は暇つぶし程度にご覧ください!

 

私が彼女の存在と出会うまでは少々長い話になりますので宜しくお願いします。

 

~第二回 二人目のセンター出現と黄金期を築いていく娘。達~

 

福田が脱退した後もモーニング娘。は福田脱退前に保田・矢口・市井の加入も有ったので好調を維持していましたが

6枚目のシングル「ふるさと」が不振に終わり、正念場を迎えます。

そして衝撃の新メンバー「後藤真希」が加入すことになるのです。

13歳・金髪という強烈なビジュアルで”えっ”っと思ったのはメンバーだけではないでしょう!

それまでは暗黙の了解の如く「なっちがセンター」で定着していましたが、メンバー間ではセンターになりたいと言う思いで

バチバチの状態だったと、後のメンバーの証言で、裏では激しい競争が有ったことを知ります。

そして、1999年9月9日(このシングルは9と言う数字を並べる為に、オーデで2人加入させる予定が後藤が余りにも圧倒的だったので1人加入となりメンバーは8人となる。)

モーニング娘。最大のヒット曲「ラブマシーン」が発表される。

勿論オリコン初登場1位、当時の新記録オリコンカラオケチャート17週1位、初のミリオンセラーと、特徴的なダンスと歌詞

ポップかつコミカルな要素を含んだ曲で、まさに日本中「ラブマシーン」フィーバーとなるのです!

ここまでくると誰もが認める国民的アイドルの誕生は揺るぎないものにまります。

 

この頃の振り付けは誰でも覚えやすいものだったので、猫も杓子も、子供からいい歳のおっさんまで真似する有様!

グループも、歌番組・バラエティ番組など見ない日は無いほどモーニング娘。の一人勝ち状態です。

後藤の加入により安部も危機感を持つだろうし、新人に負けるものかと既存メンバーのモチベーションも上がるであろうし

色々な相乗効果も相まってのヒットだったのかもしれません。

しかし、私には「後藤真希」はまったく刺さりませんでした。

好みと言うものも勿論有りますが、福田が離れた時「もう1人を特別推す事は辞めよう」と誓ったのです。

グループとしての娘。はもちろん応援していくつもりですが、今後また推しが脱退してしまい寂しい思いをするのだろうなと考えた時

一番健全な応援の仕方なのかなと当時は思っておりました。

 

翌年、石黒彩が卒業しオリジナルメンバーは3人になります。

そのまた翌年、4期として石川梨華・吉澤ひとみ、そして娘。の超問題児、辻希美・加護亜依が加入。

娘。の中でも「タンポポ」「プッチモに」「ミニモニ」など派生ユニットや中澤のソロなどグループとしての変化が有り

国民的アイドルとして留まるところを知らない活躍を続け、「うたばん」や「めちゃイケ」等の番組でお茶の間の人気も確固たるものにするのです。

娘。誕生の根底に有った「ロックボーカリスト」と言うものからどんどん離れていくものの、人気はうなぎ上りになって行くのは嬉しいことでもある反面

オーデで栄光を掴みながら、忘れ去られた存在になっしまった「平家みちよ」が不憫に思えた時期でもあった。

 

4期の加入1か月後に市井紗耶香が卒業、翌年には初代リーダー中澤裕子も卒業、同年5期として高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙の4人が加わり

娘。誕生以降最大の13人のメンバーまで膨れ上がるのである。

そして翌年には、人気的に早すぎる 卒業と言われた「後藤真希 」が卒業する。

そのまた翌年にはソロでデビューしていた藤本美貴と亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなが6期として加入する。

藤本と他3人は加入日が違うので、ファンの間では一人と3人で、藤本は移籍扱いで6期はあくまで亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなの3人という認識の方の方が大多数です。

同年に保田圭が卒業し翌年には長らく不動のセンターとして娘。を牽引してきた安部なつみが卒業し、とうとうオリジナルメンバーは飯田圭織一人になってしまい

翌年に辻希美・加護亜依 も卒業を迎える。

そして翌年、遂に飯田圭織も卒業してしまい、オリジナルメンバーは居なくなってしまう事となります。

 

その同じ年秋葉原で「秋葉原48プロジェクト」が発足し、自前の劇場で初公演を行い

誕生以来独走を続けていた娘。の存在を脅かす存在になる「AKB48」が産声を上げた。

当時は、オタク文化の一つとしての扱いだった為、世間一般の興味には刺さらなかったのだが

後に娘。以上の社会現象にまで発展していく事を誰も予想していなかったのです。

~第3回に続く~

下の画像は最近特にお気に入りの、北川莉央さんの横顔です。

こんな完璧な横顔って有ります?これで高校2年生とは!

 

これから私が北川莉央に出会い何故惹かれたのか、私なりの北川莉央(15期も含め)に感じる事や、希望も含め書きたいと思いますが

当然、北川莉央に会ったことも無ければ話したこともないので、今まで見聞きした情報を基にした私の推測にしか過ぎませんので

「いやそれは違う・・・」等、全く違う印象や感じ方の方が居て当然ですので、あくまで私の独りよがりの呟きで有るとご理解頂き

 

興味のある方は暇つぶし程度にご覧ください!

 

私が彼女の存在と出会うまでは少々長い話になりますので宜しくお願いします。

 

~第一回 娘。との出会いから推しを失って知った失望感~

 

そもそも、私がモーニング娘。と出会ったのは娘。の誕生を語る上で欠かせない”アサヤン”のオーディションになります。

アサヤンは、娘。オーデ以前から見ていた番組ですが、オーデ告知を見た時、久しぶりのワクワクした気持ちになったのを覚えています。

(※アサヤンとは、元は「浅草橋ヤング洋品店」と言う番組で通称も”浅ヤン”で、皆様方の知る娘。オーデの”アサヤン”は後継番組として「ASAYAN」の名称でスタートした番組名です)

アイドルのオーディションを番組で公開してしまうという、いわば前代未聞の出来事にものすごく興味を惹かれて、つんくやしゃ乱Qのメンバーがどういう風なオーデをして

どういう展開になっていくのか否が応でも期待は膨らむばかりでした。

 

ここでオーデの詳細を書くと、とんでもない長文になってしまいますのでオーデの詳細は割愛させて頂きます。

番組では毎週各地で行われた予備予選的のものから始まり、やがてその中から上位進出者が決定し、最終オーデに残った者が合宿審査に挑むという流れです。

いや、この人が選ばれたのか!とか、この人は意外だったな!とか、この人は順当だな!とか色んな思いが駆け巡り、最後に選ばれるのは誰なのかを自分で予想するのが

毎週の楽しみでしたが、まあ俗に言う番組的に引っ張るだけ引っ張り、デカい文字と効果音で視聴者を煽るやり方で毎週イライラ!(笑)

合宿審査では、落ち込んで泣き顔でインタビューに答える者や、いろいろな人間関係も見れて、単なるオーデ番組に終始しなかったのがとても好印象でした。

そして遂に合格者の発表!となり、私的にはアイドル適正で安部なつみかなと予想を立てたのですが、選ばれたのはやはりロックボーカリストオーデと言う事で

歌唱力を評価されていた平家みちよに軍配が上がりました。

その時は自分の予想が外れた事も有り、終わった感が凄くて、しばらくは脱力感に苛まれておりました。

 

しかし急展開!最終オーデに落選したメンバーを集めてデビューさせると言うではないですか!!!

もちろん、普通にデビューさせては平家みちよが何のために戦って来たのか分かりませんので、厳しい条件付きです!

つんくの作った曲でCDを作り、それを5日で5万枚手売り完売しろと言うものでした!

今と違ってデジタルコンテンツも無い時代、音楽CDも売れていた時代ですが、TVで放送されていたとはいえ、デビューすらしていない

いわば、言葉は悪いですが”どこの馬の骨”か分からないグループのCDを5万枚もさばけるのか?

とにかく、このまま落選者で終わってしまうのは勿体ない人材ばかりだったので嬉しい反面、余りにも厳しい課題であるという思いでした。

ここは、視聴者が一致団結してこの子たちの将来を応援するしかないぜ!という気持ちでしたが、いくら人気番組とはいえ5万枚の壁は・・・

番組では商店街を宣伝して歩き回る姿や、販売イベントでの盛り上がる様子やらの放送も有り、もしかしたらオーデ以上の盛り上がりだったのかもしれません。

そして遂に最後の1枚が売れる瞬間を迎え、メンバー全員で抱き合うシーンが流れた時、前回味わった終わった感は完全に打ち消され、希望だけが残った。

 

それから間もなくして彼女たちのグループ名が決定した!

「モーニング娘。」? も、、、モーニング娘。???それも「。」付いてる? もういっかい言って下さい、何かの間違いですよね、つんくさん?

彼女たちはどう思ったのか知りませんが、激しい違和感ともっとちゃんと考えてよ~!面白半分でしょ!と言う反感にも似た気持ちが溢れたのです。

こんなダサい(いや失礼!)にわざわざしなくても、番組で公募とか色々有ったでしょ~!

でもまあ決まったものは仕方ない、「モーニング娘。」よござんしょ~!でも「。」要るかな~?

 

それから半年ほどの月日が流れ「モーニング娘。」は「モーニングコーヒー」でデビューを迎えた!( いや、つんくさん!モーニングコーヒーって・・・もう諦めました(笑))

1998年と言えばEvery Little ThingやSPEED・PUFFYなどがまだ活躍していた時代、少し毛色の変わった大人し目の歌で勝負にでたモーニング娘。でしたが

それなりに話題になり、朝の番組から夜のHEYHEYHEYなどの歌番組にも結構出ていた印象です。

そして次作「サマーナイトタウン」では、つんくの言う所のモーニングのウエットな部分全開の前作とは大きく路線変更した曲でオリコンもトップ5入りを果たすこととなり

4か月後に発売した「抱いてHOLD ON ME」で遂にオリコン初登場1位、オリコンカラオケチャート8週連続1位、紅白初出場という快挙を達成し

これから始まる誰もが知る国民的アイドルの道を進んで行くことなるのです。

その後も歌番組やバラエティ番組に沢山出演し活躍します。

最初はオーデ時代から気になっていた”なっち”がお気に入りだったのですが次第に私の目は”福田明日香”に目が行くようになります。

彼女は加入時12歳でもちろん最年少でしたが、歌唱力は年齢に見合わず既に完成されたものでしたが、その事より、彼女の最年少でありながら

物怖じしない態度や立ち振る舞いの方が気になりだしたと思います。

今でいう「推し」と言う言葉は当時無かったと思いますが、私の気持ち的には完全に”福田推し”の状態になりつつありました。

こんな子供にまさか自分が、という気持ちも有りましたが一度気になったものはどんどん膨らむばかりで、その後も福田を目で追う日々は続く事になります。

 

モーニングの活動も順調そのもので世間の知名度もぐんぐん上がって行く中、アサヤン番組内でつんくから又も衝撃発言が!

「メンバー増やしましょう!」と、これまた当時のアイドルグループで何も問題ないのに突然メンバーを増やすなどという事をすっと言ってしまうつんくさん!

これには初期メンバーも「嘘でしょ!」と超困惑顔!

そりゃそうですよ、自分たちは最終オーデまで残り頑張ったけど落選の屈辱を経験し、与えられた試練を乗り越えやっと掴んだ栄光の道に

知らない奴らが何の苦労も無しに入って来るとのかと言う気持ちでしょう!

でもつんくが決めたこと!よござんしょ!でも初期メンバーと上手くやっていけるのかなぁ~?

しばらくして、保田圭・矢口真里・市井紗耶香の3人が加入した。

案の定最初は「なんやこいつら」的な感じムンムン、よく番組で流れていた、レコーディング後の中澤の説教シーンが有りましたが、実際も最初はあんな感じだったのでしょう。

まあそうとはいえ、時間が経てはある程度馴染んでくるのは当然ですが、保田も卒業後に言ってましたが「ゆうちゃんとまともに喋ったのは卒業した後です。」言ってましたが

しばらくはお客さん感が抜けきれなかったのだと思います。 

 

そして・・・そして、アサヤン番組内で今度はつんくではない人の衝撃発言が!

「私は今年の春にモーニング娘。を辞める事になりました。」

福田明日香の口から発せられた言葉は余りのも突然で、余りにも衝撃な一言でした。

なんで?何が有った?ちょっと待ってよ~!明日香ちゃん!それはないよ~!

メンバーも一様に驚きの表情です。まさか!ですよね!

推測できる理由さえ思い浮かびません!

でも福田明日香が決めたこと!よござんしょ!とはこの時ばかりは思えませんでしたね!

この当時は今の卒業と言う概念が無かったので、突然のグループ脱退ということになるのです。

後にネットで、イジメにあったとか、ハブられたとか、家庭の事情だとか色々言われてましたが、本当の所は彼女自身でないと知る由は有りません。

たとえその様な噂が本当だったとしても、彼女が在籍していたモーニング娘。のダークな部分を自ら告白したとしても、誰の得にもならないことは彼女自身よくわかっていると思います。

 

そして、モーニング娘。のメンバーとして僅か1年7か月とういう短い活動を終える事になります。

卒業の曲を披露するTV番組にも何度か出演しましたが、どんな気持ちで見たらいいのか分かりません。

残念ながら地方在住の私は、現場で彼女の最後を見届ける事も無く、そっと私の気持ちから彼女に「卒業証書」を渡しました。

 

~第2回に続く~