米国の歴史学者ハーディング博士が本紙の「ヒューマンライツ55」に登場(5、6日付)。
 米国の公民権運動と学会の民衆運動との共通点を語り、反響を呼んだ
 M・L・キングの盟友である博士は、キングの意向をもとにスピーチ「ベトナムを越えて」の草稿を作成した。
 ベトナム戦争反対を表明したこのスピーチは、キング暗殺の引き金になったとされる。
 それに関わった者として博士は深い自責の念にかられた。
 だが、一つのエピソードが博士を救った。
 それは運命のあの日。キングは、労働者の地位向上を訴える行進のためメンフィス地に来ていた。
 暗殺計画も囁かれ、仲間は皆、行くことに反対した。だがキングは強要でも無理強いでもなく、自ら望んでその地に行ったのだった。
 同様に、戦争反対を訴えたことも、キングにとって命をかけても惜しくない理想そのものだったに違いないと博士は思った。
 ならば、その理想を自分は受け継いでいこうと(池田SGI会長との対談「希望の教育 平和の行進」から)
 後継の人がいる限り、理想の灯消えない!!
 それどころか、その理想や夢とともに、後を継ぐ人の胸の中で、亡くなった人もまた厳然と生き続ける。
 生と死は不二であり、生命の対話永遠である!!

少女は4歳で失明した。見えなくなったことが理解できなかった。
走り回っては柱にぶつかる。生傷が絶えなかった。あすは見えるようになるかもしれない。少女はまぶたをいっぱいに見開いて、見る練習をしたという。
悲嘆と絶望を乗り越えて、一家は強く立ち上がる。少女は今、外資系通信社に勤務。ピアノもプロ級。随筆家としても活躍する。彼女・三宮麻由子さんは綴っている。人は、〝絶望の温泉〟に漬かりがち。「希望に向かって邁進するよりも、絶望した泣き暮らしているほうが楽」だから。(『人生を幸福で満たす20の方法』NHK出版)

池田名誉会長は、宿命に泣く高等部のメンバーに「信心は感傷ではない。泣いたからといって、何も解決しないではないか!」と渾身の激励を送った。1966年(昭和41年)鳳雛会・グループの野外研修の折である。
御書に「日蓮は・な泣かねども・なみだ涙ひまなし」(1361㌻)と。

私たちはここに、感傷に流されない、たくましい慈悲と同苦の心を見る。
他方、〝絶望の温泉〟という名の感傷に浸り続けるのが、念仏思想であろう

勇気と希望を鍛えるための日蓮仏法である。立ち上がって生き抜くための、創価の人間のネットワークである!!

恩師からいただき、大切にしている時計がある。
古くなり、こまめな手入れを必要とするが、ずっと愛用している。
人生の喜怒哀楽を一緒に過ごしてきた時計に、時刻を知らせる機械、を越えた価値を感じるからだ。
物に思いを託す時、物は「モノ」ではなくなる。命を宿し、「心」を表す象徴となる。
福島県のある青年部のリーダーは、「負けないで」と書かれた紙片を、常に財布にしのばせている。
中越地震2004年の救援で新潟県に赴いた際、支援物資のおにぎりに添えってあったメッセージカードだ
これを目にした被災者が、感激に震え、勇気を奮い起こしていた。その美しい情景を忘れまい、と一つ譲ってもらい、持ち帰ったという
東日本大震災の発生後、彼らは被災者のためにシールを作成し、全ての支援物資に貼り付けた。
物資を受け取ったひとは、決まって、シールに記された言葉を声に出した。
「負げでたまっか!!」と。
年の瀬になると、今年の流行語がニュースになる。
いつしか消えていく言葉もあれば、心に残り続ける言葉 もある。
「負げでたまっか!!」ーそこには、断じて人生に勝ってみせるという決意と、負けないでほしいという励ましの心が宿っている。
不滅の学会精神がある!!