1 家族に連絡。
 2 昨日の夜からずっと同じ短パン・Tシャツなので着替えたい。
 3 それほどはひどくないにせよ、多少は汗臭いと思うのでシャワー浴びたい。
 4 一週間ぐらい伸ばしっぱなのでヒゲ剃りたい。
 5 田舎なので救急車が来ると近隣の人が驚くと思う。かといって町内じゅうに知らせる時間も術もない。が、せめて両隣には知らせよう。
 6 救急車が到着すればストレッチャーを運びながら大声で色々と確認や呼びかけしつつ何人もの救急隊員がドカドカと家の中に入って来る画が予想される。そうなると二匹の猫、あいつらぜってー最大級のパニックになる。
  猫のパニックを最小限に抑えるためできれば救急車は家の外で出迎えたい。
リストアップはこんなもんだろう。他にもやっておきたいことは山ほどあるが、今は時間も行動力もごく限られている。次にリスト項目が行動可能かどうかの判定だ。
 まず4だが、胸の痛みに耐えつつ風呂場か洗面所まで移動できたとして、そこからヒゲ剃りという一連の行動を想像しながら最後までやりきることができるのか考えたが、どうも自信がないので却下。まあ、無精ヒゲがあろうが救急車には乗れるし、手術も問題ないだろう。
 同じ様に3も諦めたが、たまたま手の届くところにコンビニでもらったおしぼりが数枚あったので、脇の下とデリケートゾーンくらいは拭くことができた。
 もしうまく救急車が来てくれる運びになったとしても、消防署から家までの到着には最低15分はかかる。1・5は救急車の到着を待つ間でいいだろう。
 そうなると後は体がどこまで動けるかだ。着替えはこれまたラッキーなことに今横になっているベッドのすぐ脇に部屋干ししたままの洗濯物がある。超スロースピードで起き上がり、なるべく体に振動がこないよう慎重に歩いて洗濯済みの短パン・Tシャツ・トランクスを手にベッドに戻った。
 この間も胸の締め付け感はあったが、それも行動の妨げになるほどの激しさではなかった。また、目まいもほとんどなく多少頭がクラクラする程度だった。神様ありがとう。
 再びベッドに横になり着替えた。そして次は最後の難関、車までの移動だ。しばし横たわったまま、もしかしてスタミナを回復できないかとじっとしていた。ありがたいことに体力は緩やかだが回復傾向であることを感じることができた。
 と、そこにクロが外回りから帰ってきた。「ニャー(ただいまー)」この子は現在では私とほぼ『一心同体』と言えるほど濃厚接触な間柄だ。
 普段から私が立っていれば肩に乗って来るし、寝ていれば脇の下か胸の上にとりあえず乗っかってくるのだ。どんなに蒸し暑かろうがとりあえずあいさつ代わり的な感じで乗っかって来る。
 この時も例にもれず真っ直ぐベッドに跳び乗ってきて一点の迷いなくやや仰け反り気味の私の胸の上で箱座りをした。体重で言うと3キロほどの小柄な体型で、いつもならどこに乗っかられようが全く苦にならないし、基本拒絶は無しで時間の許す限りなでなでしてやるのだが、
 「く、苦しい……クロ、今だけは勘弁……」
さすがにこの時だけは丁寧にかつゆっくりと払いのけてお降り願った。
 

 (いやでもこうなっちゃったらもう自分の力でどうこうなる状態じゃなくね?たぶん。できることと言えば神様に祈るぐらいっしょ)
と、割と冷静に考えた。そのあと色々な思いや考えが浮かんでは消えを繰り返した。
 (心残りと言えば残してく家族のことだな。でも子供たちは皆成人して自分にはもったいないくらい立派に育ってくれたし)
 (親やきょうだいには逆縁てのになっちゃて申しわけないけど、そこまで『早死に』というわけでもないし、まあ良しとしてもらうだーね)
 (享年56ってか。短いかもしれんけど、ずっとちゃらんぽらんな人生だったし、割と好き勝手にやってきたし、このまま死んだとして、だからどうってこともないかな)
とかとか死に臨んでまあありふれた考えが浮かんではいたが、遂に死後の世界、人間死んだらどうなるのかが分かると思うと、ちょっぴり嬉しい気持ちにもなった。そんな中ふとそれまで続いていた息苦しさが幾分和らいでいるのに気が付いた。
 (おおっ!これはもしかしてワンチャンある?)
だんだんと意識して呼吸を深く長くしていった。呼吸の深さに比例して、冷たかった手足の先に血流と温かみが戻ってくるのが感じられた。
 (ラッキー!どうも自分で救急車呼べそうじゃん)
目覚まし時計としても使っていたので携帯電話は幸いすぐ手の届くところにある。そうなると心に少し余裕ができた。現在時刻は17時09分。苦しくて身動き出来なかったのは15……いや20分くらいだから発症した時刻は16時50分くらい。
こうなったら慌てて救急車を呼ばなければならないこともない。そこで頭の中で『救急車呼ぶ前のtoDoリスト』を作った。
 

 その日(7月25日)も朝からはっきりしない天気だった。ずっと雨、というわけでは無いが時折ザーッと、それなりの降りを見せていた。朝からずっとベッドでごろごろしていたが、天気もそんなに良くないし、出かけるきっかけをつかみそこねたまま夕方になっちゃったみたいな感じだった。
 夜もその日は何も予定はなかったが、朝からほぼベッドの上でほとんどろくなものを口にしていなかった。
 (炊飯器でご飯ぐらい炊こうかな。でもなんかめんどくせー。)とか考えてた時だった。
 発症の瞬間は意外にも『血圧の急激な変化』というイメージとはあまり結びつかないタイミングだった。寝返りというより、ほんのちょっと腰をそらしただけ……
 その時ふいに胸のど真ん中で、イクラが一粒『プチッ』と弾けた感じがした。
 (え?なにこの感覚初めてだけど、なんなん?どっかの筋切れた?)
と思った次の瞬間、そのプチッという小さな振動は冷たさに変わり、胸の前面にじわじわと広がり始めた。
 そして冷たさの広がりとは逆に、胸の中心では赤ちゃんぐらいの手が食道と気管をがっちりつかんで、きゅうううーと締め上げてきた。
 赤ちゃん並みの大きさなのにその手は容赦なく、『決して緩めないぞ』という覚悟を持っていた。
 (これヤバくない?筋じゃなくなくない?もしかして血管?大滝詠一?)
 だんだんと息苦しさが増してきて、苦痛が少しでも緩和される仰け反った体勢に自然となった。同時にこんどは両手足がそれぞれ指の先の方から徐々に、氷水に浸けたかのように冷たくなり始めた。視界が少しずつ黄色いチカチカで覆われてきた。
 

 (やべ、このまま意識を失ったら死ぬかも)