1996年の事でした。
ちょうど助監督業も軌道にのったころ。戦後50年・1995年の最後を沖縄戦の映画撮影で迎えた後の事。
知り合いの大道具さんが、「長野の実家へ帰るので、ある家のお手伝いをずっとやっていたんだけど、後を任せたいから紹介するね」と言ってきました。
ハテナと思い、聞いていると。
「岡本喜八監督のお家」と
『殺人狂時代』『独立愚連隊』『日本のいちばん長い日』『血と砂』『侍』などなど、王道一直線の映画を撮るかと思いきや、変化球でどんどん押しまくるユーモアな作品を送り続けていた大好きな映画の監督だとの事で興味はドンと倍増しました。ちょっと前に五反田で行われた映画音楽作曲家佐藤勝コンサートでお見掛けし、「ダンディでシャイな方だなと思っていたところでした。その時は、縁のない方であると思っていたのでしたが……
出会いと言うのは分からないですね。
すぐさま頷いたのは言うでもありません。
知り合いに連れられて、今はもうない川崎の山小屋を模した自宅に伺ったのは昨日のように覚えています。
気難しかったらどうしよう、そう思う間もなく、この若輩ものに、タバコを燻らせながら同じ目線で、いろいろと話しかけてくれた優しい方でした。
『来るものは拒まず、去るものは追わず』のハートを持った喜八監督は、交代要員として受け入れてくださり。
そんなこんなで、喜八家にお手伝いをしに通うようになり、やがては喜八監督自身の本作りのお手伝い(1ミリ程度ぐらい)なども、助監督業と並行しするようになっていったのでした。
言葉数の少ない喜八監督でしたが、今となれば貴重なハートを教えていただいたのでした。
喜八監督が亡くなって11年が経とうとするとき、この先の不透明な時代とともにリンクする喜八監督が実現できなかった企画をやりたいと思ったのでした。
それが『青い眼の赤トンボ』でした。
ですが、1975年に書かれたその作品は、今となっては内容的・使用する用語が放送自主規制用語に引っかかるものがあり、商業映画化というのは現実に不可能となっていました。
主人公の日米ハーフのパイロットに対する蔑視用語が主流ですが、言葉を変えればいいのか、という訳にはいきません。
変えると喜八監督の色が出ないのです。
なんとか、そのままでカタチに出来ないか。そういう想いが、ぐるぐると巡って、放送自主規制が及ばない舞台演劇ではいけないかという発想がひとつ生まれたのでした。
この先にはまだまだ映画用脚本を崩さず舞台にどう置き換えるかという問題は山積みでしたが。
まずは、そこから今回の舞台企画は始まったのでした。
【昭和20年 日米ハーフのパイロットは 儚き愛と青春のために 練習機赤トンボに乗り込み 大空へと舞った】
脚本 岡本喜八 企画・演出 黒川礼人 特別協力 喜八プロダクション
主催 劇団一の会
主演 大平原也 粂川鴻太 せつ子 泉川萌生
期間 8月6日~15日 全16ステージ
8月
7日(火) 19:00 B
8日(水) 19:00 A
9日(木) 14:00 B
10日(金) 14:00 B 19:00 B
11日(土) 13:00 B 18:00 B
12日(日) 13:00 A 18:00 A
13日(月) 14:00 A 19:00 A
14日(火) 14:00 B 19:00 A
15日(水) 14:00 A 19:00 B
A 大平・泉川 B 粂川・せつ子
当日3200円 前売り2800円 シニア2500円 学生2000円
場所 江古田 ワンズスタジオ 練馬区旭丘1-10-10 050-3379-2826

