
「下手でも上手くても一生懸命な方が観ていて面白い」という僕のエンターテイメントにおける"幼稚園の運動会"理論は置いておいて
究極、作品を作る上で受け取る側が完成したものを面白いと思えれば
その制作過程で作り手側が一生懸命だったかどうかなどということはまるで作品には関係ないということは
ほとんどのアンケートに「一生懸命だったか?」という評価項目がないことからも証明されている
今まで、自分以外の製作陣が一生懸命じゃないことに怒ったり憤ったり
観客に自分が一生懸命だったことを評価されずに嘆いたり悲しんだりしていた時間は
全部無駄だったんだ
唯一、意味があるとすれば
「一生懸命やったときの方が面白かった」という実感だけ
全員がそうかはわからないが、少なくとも自分だけは演じようが作ろうが
一生懸命やったときの方が面白い
そして、一生懸命だったかどうかは自分にしかわからない
もっともっと出来る
ひとつひとつの仕事をこう思いながら
一生懸命やっていこうと
元気な日は思ったりする