ボランティアをはじめ、私に係わってくれたみなさん
皆さんに出会うことが出来て、本当に良かった


生きていてくれて本当にありがとう






角田さん、北九州のお二人、都さん、阿部一家、ワカメの阿部一家、ひろしさん、さなえさん、原田君、阿部君、その親戚の二人、おかみ、お風呂のおじさん、高橋さん達、太田さん、福岡の男の子、としさん、バイクのお兄ちゃん、モリモト氏、大石さん、共立メンテのお二人、谷本先生、東松島の三人、ちょいさん、陽子ちゃん、まさしさん、まっちゃん、けんじ君、幸夫さん、丸野さん、唐子さん、まりちゃん、かっちゃん、軽部さん、しがさん、林さん、なおちゃん、ちあきちゃん、山本さん、なっちゃん、丸山さん、あきおさん、森本さん、よしみさん、良恵さん、根岸さんとお仲間の三人、ようさんと三人のお子、福井さん、堀江ちゃん、ちえちゃん、石神様、高田さん、小関さん、本吉vcの方々、武田さん、まさゆき君、じゅんちゃんとあやちゃん、あけみさんと旦那さん、きんさんと奥さん、菊池さん、敦さん、たけひこさん、あきらさん、まことさん、山田さん、千葉船の皆さん、と一人、吉田さんとれん君、こうせい君とお母さん、えみちゃんとお母さん、ゆみちゃん、りょうたさん、まさひこさん、悦子さん、千葉さん、キャラバンのリーダー、中田さん、名古屋さん

やめさせてくれた会社、居酒屋のみんな

黒木基金の皆さん:お花教室のみなさん、きーくん、ゆずちゃん、はるちゃん、ふっちゃん、ごっちゃん、しのちゃん、みちるちゃん、あっちゃん、あきちゃん、はるちゃん、ゆかさん、ヨモギさん、よしまるさん、大樹さん、すえさん、丸山さん、増岡、こうすけさん、あいちゃん、マリコさん、しんくん、ごえもん、ももちゃん、てっちゃん、ゆみちゃん、川口君、あきちゃん、かやちゃん、マメ、まさみちゃん、バーニー、むしくん、しんちゃん、えびちゃん(敬称えびちゃんボードより)

その他多くの友達
お母さん、お兄ちゃん、おじさん
みなさん本当にありがとうございました
今回私が行ったのは正義感なんかじゃありません
誰も悪くないけど感じる違和感
何で?
毎日とても辛かった
地元での温度差に耐えられなくて、逃げ出しただけです


私のいた陸前高田は市街地が海沿いの平地にあり、大きな建物以外は全て無くなっていました
ホームセンターやドラッグストア・百均なんかもなくなって、何か物を買いに行くのはもいつも隣の市の大船渡まで行っていました(今は百均できたみたい)

新しい生活を始める為の物を求めてコメリは連日大盛況
仮設のお家にお邪魔すると、必ずと言っていい程コメリで見た品があった
"あ、これこの前買ったのと一緒のだ"
あー、大船渡のコメリは凄い儲かってるだろうから、早く高田にも作ってくれないかなー
そしたら雇用もできるし、高田にお金が落ちるのになー
でもほんとはホーマックの方が品揃えいいんだけどなー
なんて思ってた

向こうの人が、大船渡に街が残ってほんとに助かったって言ってた
そんな大船渡も中心部分は無くなってしまって、信号も無くって街灯も無くなって、夜になったら真っ暗
でも高田はそれ以上に真っ暗闇
ほんとに暗くて、やたらと星がきれいで街が残ってる方角が明るく光ってた
夜になると何もする事がなくて、出掛ける場所もなくて、居酒屋なんていうのも無なってしまって、コンビにが2件あるだけだった
日曜は基本的にお休みだけど結局遊びに行く所もないから、倉庫片付けたりとかしてた
ほんとに娯楽がないなーって。
すっごいさみしかった

夜に砂利道の所とか海沿いの街だった所を通るのとか暗いし怖いし危ないし、嫌で嫌で仕方なかった
特に砂利の所は昼でも通りたくなかった
砂利道は通称アップルロードなんて言われいて、広田半島の方に行くには絶対通らなければいけなくて、それなりに交通量もある所
雨が降る度に更にでこぼこが激しくなって危険極まりない道だった
なのに7ヶ月たっても放置されていて、なんであそこの部分だけ舗装されないのか聞いても、みんな分からないって言ってた
県道なのか市は、「県に言ってある」なんて言ってるらしい
凍結するようになったら危ない所の騒ぎじゃないのに
(今やっと舗装が始まったようです。もしかしたらもう終わっているのかも?)

色んな所に集められていたがれきは借り置き場に集められて、家は少しづつ解体されていってるけど、大きな建物はそのままの状態になってる
なかもぐちゃぐちゃのまま
海沿いでなくても地盤が下がって低くなった所は、雨が降ると水が溜まってしばらくは水がひけない状態になってしまう
今でもひん曲がったガードレールが放置されていて、細い道なんかは草が道に大幅に侵入してた
高田の町はほんとにきれいさっぱり何も無くなってしまったけど、津波の痕跡は今でも有々と残っているよ
それは他の所もそう
一部が奪い去られた所は誰もいなくって、あのまま町は消えてしまうのだと感じた


今は嵩上げするか集団移転するかってやってるみたい
嵩上げって可能性としてはある所もあるんだろうけど、地盤は期待出来ないしどこまで有効なんだろう
高さ15メートルの防波堤とかもどうなんだろうか
そんな威圧的な恐ろしい街に本当にしたいのかな?
結局また流されてしまう気がする
出来るならば元と同じ地域に住めたらいいのだろうけど、その為に途方もないお金を使うくらいなら土地を買い上げた方が建設的でないのかな
どんな時でも公務員の考え方は変わらないみたい
公務員というか、国かな。

そんな一面もあるけど、仮設店舗は増えていってて少しづつ街が出来始めてる
それは前あった場所とかじゃなくて、波のかぶっていない場所だったりする
まわりが何にも無くなっていても元の場所だったりする
店が出来るとやっぱりなんかちょっと雰囲気が明るくなる
そしたらそのまわりにまた店が建ち出して、人が来て、きっとその内に家が建ち出すんだと思う
国や市が方向性を決定する前に、そうやって住民が自主的に街を形成していってる
でもそれが自然な姿なのだと思う
それにみんな何だかんだと自分達で考えて動いてる
表現が難しいけど、街を取り戻そうとしているんじゃなくて、新しい街を築くんだと思う


みんな"復興"し始めているなんて勘違いをしているけど、まだ復興の段階じゃないよ
ようやく復旧で、これから復興に向けて動き出しているところ



一番初めに行った時、宮古市からずっと沿岸部を南下した
どの街も同じ景色で同じ色で、覚えてる所もあるけどそれがどこだったかだとか具体的な事はあまり覚えていない
ただ、その時受けた衝撃や感覚だけが残ってる
写真や映像のとおり、巨大な船が道のど真ん中にあって車もそこら中突っ込んでて、窓のなくなった所にカーテンだけが揺れてた
まだあの頃は避難所しかなくって、1ヶ月たっていて、みんな先の見えない不安で疲れきって見えた

岐阜に戻ってしばらくすると、「電気が通った!」って連絡があった
予定の頃になっても連絡がなくって、だいぶ心配だったから凄い嬉しかった
でもその時私は居酒屋に居て、電気もあって沢山のご飯があって
罪悪感でいっぱいだった

5月の終わりにまた行った
この頃になると多くの人が、がれき撤去のアルバイトに行ったりしていて昼間は人がいない時間が多くなっていた
夜になったらみんな暖炉に集まってお酒飲んだり、なんでもない話をして笑ったり

もう少ししたら仮設に入れる事になるって、建設中の仮設を見せてもらった
とても嬉しそうで、私もとても嬉しかった
その方のお家があった場所にも連れて行ってもらった
どこかに流れついていたりするのかと思って、どうなったのか聞いてみたけど、何にも無くなったって
たまに、これ家のだなーっていうのもあったけど、大体要らない物だ。って
それ以来その前の道を何度と無く通ったけど、最後まで敷地まで見に行く事はできなかった
明日から仕事に行くんだと、新品の作業着を見せてくれた

またしばらくすると、仮設に移ったと連絡が来た

7月、私は地元から出ていった
着いて直ぐに大きな地震があって、警報が鳴り響いてた
一度防災無線のような物を聞いたけど、車に乗っていたら何を言っているかさっぱり聞き取れなかった
それから毎日の様に余震があった
しばらく東松島にいた
この頃になると、再開されているお店も増え出して仮設もできて、落着きを取り戻している様に感じた
それでもまだ沢山の方が避難所にみえた

いつもの皆さんのいる仮設にお伺いした
当たり前だけど、みんな今までに見たことのない笑顔だった
今までの中で一番嬉しかった
南三陸は相変わらず何もなかった

用事があって、陸前高田に行った
3ヶ月前に通ったはずなのに、何も思い出す事が出来なかった
大きな建物以外は何も無くて壊滅的な被害を受けたにも係わらず、撤去の面や仮設店舗など他の町に比べて驚くほど進んでいるように見えた

少ししてからまた陸前高田に行き、それからはずっといた
その頃にはもう震災ボランティアなんてしてなくて、簡単に言えばただ働きだけど、
毎日いつもの製材所に行き、時々いかだ作りにいったり、お世話になっている施設のお手伝いをしたりして少しずつ知り合いも出来て普通に生活しだしてた
なんでもない話をしたり、減らず口をたたいたり、時には真面目な話をしたり
ご飯食べに行ったり、遊びに連れて行ってもらったり、BBQしたり
想像も出来ない様な出来事があって、沢山の人が亡くなって、沢山の人が大変な思いをして、今でも先の見えない不安で苦しんでいる人がいる中、
震災ボランティアの為に来たはずなのに、こんなに楽しい思いをしていていのかと思う程、毎日充実していた
私が夢みていた"人を思う心"を持つ人に沢山出会った
何も考えていない子供の頃以降、あんなに心穏やかに過ごした事は多分なかったと思う

言い方がよくないのかもしれないけど、最終的には"支援"なんてどうでもよくなってて、このままここに住みたいと思っていた
はっきり言ってしまえば、私が3ヶ月行って使った費用を全部募金した方がよっぽど何かの役に立ったのだと思う、支援という言葉に当てはめればね
でもそれは私は望んでいなくって、
津波を見た人も見てない人も、ボランティアもそうでない人も、全ての人が千年に一度の大津波のそれぞれの立場の生き証人だと思ってる
だから、私は私自身で見ていかなきゃならない、知らなくてはいけないと思ってた
だってテレビや新聞やネットじゃ分からないでしょ
それが自己満足って言われたらそれでおしまいなんだけど。

初めの頃に言われた言葉があった
「物はもういいから。もしこれからも付き合っていこうと思ったら、その方がいいでしょ。何も持ってこなくていいから。いつでも来て下さい」
ずっと心に残ってた
住民とボランティアそんな隔たりなくして、支援なんて立派な言葉とっぱらって、一個人同士として付き合いたいと思う様になった

仕事して、住む所をみつけて、一住民になりたかった
一緒に生きたかった

やり方も考え方も人それぞれで、他の人からしたらそれに何の意味があるの?って思われるかもしれないけど、それが私の最後に行き着いた答
でも何の為に?誰と?なんて難しい事を考えた時、理由がみつからなかった
それが岐阜だったら簡単に答えられる事

ただいたいから残りたいっていうのは駄目だと感じてた
でも今から思えば何が駄目なのだろうと思う
ここに残って一緒に生きたいと素直に感じた事の、何が駄目なのだろう
他の人で住む所みつけて仕事みつけて、しっかりと根付いてる人もいる
仕事なんてみんな選んでいるからないだけで、給料安くたって選ばなければ探したらあった

だから 私は弱かったんだと思う
もちろん岐阜でするべき事もあったし、一緒にいたいと思う友達がいたから戻ってきたのだけれど、
出来るなら
今からでも行けるのなら行きたいと思ってる
ただその前に、お前いらない。って言われるかもだけどね

なんだかんだ言って私は結局何もしていない
色んな事、やろうと思ったら出来たんだと思う
支援物資集めたり、支援金集めたり、これをやったら有効だろうなんて事一杯あった
在宅被災者の人を探して情報提供したりなんかもさ

でも私はやらなかった
そういう事がしたくなくなってた
と思いながらも本当はやりたかった
一人では出来ない事でも誰かと一緒なら出来た事もあったと思うけど、
でも今まで一人で生きてきて、人に何かを頼んだり相談する事とかが苦手で、
一歩飛び出す事は出来ても、一歩踏み込む事は出来なかった
だから、やれなかったじゃなくやらなかった
ただそれだけなんだと思う


色んな人と知り合ったけど
もっとお話して
お茶しに行ったりとか
もっと深く知り合いたかった
ほんとはもっと仲良くなりたかった
でも私のした事で嫌な思いをさせたら、せっかく知り合えたのにそれで嫌われてしまったら
それが怖くて、結局自分が傷つくのが怖かった
こんな事で悩むくらいなら、今までもっと人と話す事や係わる事をしておくんだったって後悔した
仲良く(?)なりたいと思えば思う程、言葉が出なかった
だから高田で時間をかけて知り合えていった事、とても嬉しかった



支援って一体なんだろうね
頑張れ日本、頑張れ東北
それさえつければ復興支援
言葉のアピールなんていらない
「清流国体で東北を応援しよう!」(今度岐阜でやるしょう害者のスポーツ大会)
「岐阜を旅行して復興支援!」(使った額の数%が募金される)
極めつけは高速で見た「安全運転で復興支援」
恥ずかしいにも程がある


それがありがたろうが何しようが、未だに震災当初と同じ考え方で一方的に物をあげる支援
誰だってもらえりゃ何でもありがたいはずなのに、それでもいらないと思われる物資
小さな物は買おうと思えば買えるんだよな
だけど高い物は買えないから本当は高い物が欲しいんだよな
石鹸1000個あるよりデジカメあった方が嬉しいやん

なんだかんだ言って、やっぱり一番はお金が助かるんじゃないのかな
それが本当に望んでいる事を叶えられる
もし今10万あったら、共感できる事ををやろうとしている人に渡すと思う
何かのプロジェクトの為に巻き起こるお金、それ全部送金したらな~なんて
出来るだけ現地で調達します!なんて言って実際は違っていたりとかさ。
どれくらいの事が本当に役にたっているんだろう

ツイッターなんていうので溢れてる情報は上っ面で、全然内にふれていない
被災者被災地壊滅しましたかわいそうです大変です
悲劇を煽って言葉っ面だけの人もいるし、熱い思いの人もいるけどちょっと熱すぎるんだよね
って思ってた
そういう時期もあったかもしれないけど、今はそういう時期じゃないと
そうかと思えばかる~いかる~い能天気な書き方されていたりすると、凄いイライラした

日に日に状況も変わっていくし、何が正しいなんてないし、誰かにとってはすごく助かることなのかもしれないけど、なにかずれてる気がすることが多かった
それは例えば、何もなかった当初の全て持参の炊き出しから、お店が再開しているのだから材料は現地で調達した方がいいんじゃない?といった様な事。
物を配るにしても、それこそ命懸けで再建した人が目に入らないという事。

今そこにいない私の考え方もずれてきているんだと思う
この1ヶ月で感じる事も変わってその度に書き直し続けてる

仮設で色んな物を作って売ろうとしていたりするけど、なかなか商売としては難しくて商品として耐え得る物まで至らない
おしゃれな街のクリエーターなんていう人はそういうのに知恵をだしてくれたり、売ろうなんて考えずにワークショップやカルチャースクールくらいにしてみたりしてくれたらいいのに
なんにしてもそうだけど全て一概ではないのだから、その土地にあったやり方がある

中途半端な支援なんてもう必要ない
何を望んでいる?
もし私だったら
未来が欲しい


今私がやりたいとすれば、廃業起業のマッチングシステム
どんな小さな事業でも、再建するためにはとんでもないお金が必要だなんて私でも分かる
廃業する同業者から買うか譲ってもらうか出来たらいいのにってすごく思う、それに楽だし
商売がなければ雇用も出来ない
仕事がなければ人は離れる
店がなければ街にはならない

マッサージや散髪を筆頭に様々な職種の無料支援があるけど、なんで再建したい同業者と繋がろうとしないのかよく分からなかった
同業者だからこそ分かる、再建に必要な物やネットワーク
そんな支援をしたらいいのにって
難しいんだけど


もうすぐしたら1年
あれからもう1年

まず、大多数への一方的な支援から個人個人への柔軟な支援に変換する時期なんじゃないかな
今までの期間でそれなりに信頼関係も生まれたんでしょ
あなたの大事な人を一生懸命応援したらいいと思うよ

とかなんとか言って、私は貧乏だからお金が掛かる事は無理だし、普通に遊びに行くくらいしか出来ないんだけどね


よく街が残ったとかいうことを書いたけど、それは街が残ったから大丈夫っていう意味ではないんやよね
ただ、小さかった所が何も無くなってしまったていうダメージは計り知れなくって、町の存亡の危機に関わる事態になっている
元々人口流出の問題も抱えて、さらにこの震災で合併せざるおえなくなるかもしれないっていうのは事実だから


3ヶ月の間TVも新聞もほとんど見れなかったから、帰ってきてからの方がよっぽど情報量がある
確かに震災の報道は激減しているけど、全くない訳ではないし
TVでも新聞でも何かしらは載っているし、気にとめているかどうかはその人次第だと思う


私は決定事項や細かな他の土地のことは知らないに等しいし、TVとか無縁だったから今書いてるこれも間違いだらけかもしれない

でも知ってる事もある
家が建っていた所には草がボーボーに生えすぎて、土台が見えなくなる程だったりだとか
がれきの山にも茂っていたりとか
最初はセピア色だった風景がだんだんと雑草の緑色になって、その内建物が解体されてまたガランとした物悲しい風景になったりだとか
信号機がたたなくて未だに手信号だったりだとか(今でも手信号なのかな?)
しかもそれが8:30~17:00くらいまでしかいなくって、お昼とかもちゃっかりいなくって、信号機より人件費の方が高いだろうしなんなんだろうなぁ。って思ったけど、経費は大阪県警もちだからまあいいのか。って思ったり
街灯がないから子供(大人も含む)は反射ベストを着て暗闇を下校していたりだとか
街が残っている方向の空は明るかったりだとか
蛇口をひねって水が出なくても何とも思わなかったりだとか
仮設トイレにもランクがあって、きれいだと嬉しかったりだとか
ずっと橋の上に残っていた家が撤去される瞬間を目にしたりとか
家が3日で更地になったりだとか
車で10分20分の所は大変なことになっているのに、まるで何事もなかったようなイオンの中の人達だとか
道端で神様とお話しているおじさんとか


水道のありがたさ、電気のありがたさ、洗濯機・電子レンジ・ポット、なんと便利なことか
いつでも気軽にトイレに行けてお風呂に入れる事
日本では全てそれは当たり前に等しいけど、みんな物資物資っていうけど、
世界の国の中には、食べる物がなかったり、毎日ゴミの山をあさる子供がいたり、ゴミの中に住んでいたり、見世物として金を得る為に親が子の手足を切り落したり、飲めない水しか飲み水がなかったり、生まれた時から戦場だったり

もちろんそれと今回の事を引き合いに出すつもりはないけど、友達が「6点全て手に入れられるのはお金持ちしかとうてい無理っていう国がほとんど」ってコメントしてくれて、本当にその通りだなって思う
この国の人達は日本人として生まれた事、その幸福さをどれだけの人が理解しているのだろう
当たり前のこの平和や豊かさが何とありがたいことなのか
その平和への無関心こそが今、自分達の平和を奪う事になるなんてね



今こうしているここは、震災の影すら見えない
誰もそんな話もしていない
TVでやっていた内容についてたまに口にするだけ
報道なんていうのもNHK以外は半分が放射能
くだらないゴシップや動物なんかしかやっていなかったりすると、アホかと思う
そんなここに違和感を感じるし、今でも戻れるなら戻りたいと思う


思うだけでは何にもならない
仕事と同じ
その過程はその人にとっては意義のある事かもしれないけど、何をしたかではなくどんな結果を生んだか
結果が一番大事

でも忘れないで欲しい、何にもならないけど誰にも届かないけど、時折でもいいから思い出して真剣に考えてみてほしい
あの時見たこと感じたこと行動したこと
あの時の心に戻してみてほしい



あの日沢山の人が亡くなった
沢山の人が大切な人や場所や仕事を失った
津波が海一面から押し寄せ街を飲み込んでいった
バリバリと音をたてほこりを巻き上げ、ついさっきまであった街が海になった
その中にも沢山の人がまだ残っていた

流された
必死に木にしがみついた
目の前で人が流されていった
降り返ったら家族がいなかった
助けてと叫ぶ声に応える事もできず、手を離さなければと、今でも悔やんでも悔やんで悔やんで悔やんでも悔やみきれない人もいる

明るくなって街に下りてみれば、すっかり変わり果てていた
家に戻ればぐちゃぐちゃのリビング
残されていた家族
跡形もない家
繋がらない電話
探せど探せど見つからない
何日もかけて歩いて帰った家
生きていた喜び
家族だけじゃない、友達ご近所知り合い全て
無事だったの!って泣きながら抱き合って

日に日に増す悲報
これからの事、明日への不安
復興しなければいけないという重責
生きていただけでよかったはずなのに、なぜ生き残ってしまったのかと考えなければいけない現実、孤独、喪失感
頭では理解できていても、心では「もしかしたら」と


私が対面したご遺体
私の見た限りでは、手も足もなくなって胴体に頭が付いている状態だった
皮膚は肌色から灰色になって、頭部の一部が白骨化していた
漁師さんによるとエプロンを着けていて、歯もしっかりあったから若い奥さんじゃないかといっていた
多分、新聞の"死亡が確認された方"の欄に載ったのだろう
例え変わり果てた姿になっていたとしても、きっと遺族の方は対面したいと望むのだろう
どんな状態であっても、見つかってよかったのだ



一度岐阜へ戻れば震災は終わっていた
でも向こうは永遠に終わることはない

でもそんな中でもみんなにも生活があって、日々を生きる為に頑張っている
それに口に出さないだけで本当はみんな気にしているし知りたがってる
忘れてなんていない


無理してボランティアに行く必要はないとは言ったけど、それでも出来れば直接その目で知って欲しいと思う
言葉では伝わらないものがあるから
何年たってもいい、行ける時が来たら訪れてみてほしい


普通の街にいると思う
今、目の前の景色が全て崩れさったら
自分の家が、職場が、育った街が、学校が
見なれた景色が何もかも無くなって、そこら中で「助けて!!」って悲鳴が響き渡っていたら
友達の住んでいる所がそうなったら、遠くにいる家族の場所だったら
私はどうするのだろう


日本は津波先進国だなんて言って海外へ救助に行っていたけど、日本で津波があったことなんて知らなかったし、なんでだろう?ってずっと思ってた
でも今回の事で一番恐ろしい自然災害は地震ではなく、津波だと言う事がよく分かった
と同じに、何が津波先進国だ!って思った
でっかい防波堤も崩れ去って、対策も何も出来てないじゃん
ちゃんとどこまで来るか調べてたくせに、想定外で済ますなよ

東海は絶対来るって小さい頃から言われ続けてる
でも津波は岐阜には来ない
だからその時は私達が真っ先に助けに行く番
岐阜にどれ程の被害が出るか分からないけどその対策もしなければいけないし、東海の沿岸に助けに行く事も想定しておかなければいけない
自分達の代なのか子供の代なのか孫の代なのか分からない

復旧も遅いし、真っ先に駄目になるのは電気水道ガス交通
行政に頼らずに復活する方法
その身一つでどう切り抜けるのか
それまでの間、どうするべきなのか、何をするべきなのか考え続けなければいけない
それが岐阜県という立場だと思う


自衛隊について色々と批判的な事をおもったりもしたけど、それでもあの人達は凄くって、
まだ何もかも散乱している中、黙々と道をあけ、人命救助から遺体捜索、物資に風呂に炊出しに、そんな事までやるの?っていう事までやってた
そして静に去っていった
上の命令を待つしかなくて、現場の人で歯がゆい思いをした人も少なくないと思う
もし彼らがいなかったら今の状態はない

阪神の時もそうだったけど、人の役に立ちたいと自衛官に憧れる人が増えている
これからまた災害時の活動の為の訓練も増えていくかもしれないけど、間違っていけないのは、災害の為の救命軍ではなく他国の脅威から日本を守る事が一番の任務だという事
いざとなったら人に武器を向けなければいけないという事

もし本当に人の役に立ちたいのならレスキューや消防に入った方がいい
原発の事もそうだけど、いい加減自衛隊の立ち位置を明確にしなければいけないと思う
それをするのは国民自身
いつまでも誰かが変えてくれるのを待っている姿勢を変えなければ
いい加減、日本人は動くべきだ



非被災者のするべき事
しっかり働いてしっかり稼いでどんどん税金納めて復興財源を生むこと
街を取り戻す為に必死で頑張っている人達が、安心して日本をまかせておけるようによりよい日本に変えること

私達は曾じいちゃんやじいちゃんや曾ばあちゃんやばあちゃん達が必死で守ったこの日本を、次の世代の為に繋げていかなければね。



ここは平和だ
みんなそれぞれ色んな事を悩んでいるだろうけど、未来への不安もあるだろうけど、
昨日と変わらない、そんな日々がどれだけ尊いものか
家族が無事で元気に過ごしているという幸せ
今あるこの日々を大切に生きて欲しい





戻ってから1ヶ月以上が過ぎた
早く言葉にしなければと思っていたけど、なかなか前に進まなかった
見てきた事や感じた事、書ききりたかった
思っていることなんていくらでもあるけど、それをどう言葉として表していいのか分からなかった
今でも分からない


「何か変わりましたか?」
「行ってよかったですか?」
よく聞かれる
具体的に何が変わったかなんて分からないし、根本的な事は何も変わってない
それでもいい方にも悪い方にも変わったのだと思う
行ってよかったと思ってる
他の人に言わせればそんな事してどうなるの?って事かもしれないし、馬鹿じゃないの?って思ってる人がいるのも事実だろうけど

自分の今までの生活がまるっきり揺らいで、今後もどうなるのか分からなくなってしまっても、
それでも私は一つも後悔してない




被害にあった土地が再建するには、何年も何十年もかかると思います
阪神大震災で直接関係しなかった物が、だんだんと忘れ、過去の出来事になってしまった様に、今回の震災も多くの人々は忘れていってしまうでしょう
でも私は忘れません
この先変わっていく歌津を、南三陸を、石巻を、気仙沼を、福島を、東松島を、大船渡を、陸前高田を、全ての町々を
元あったであろう、穏やかな景色になるまで私は見つめ続けていきます


そんな事くらいしか出来ないけど、今あるこの普通の幸せを大事にしながら
いつか被災地被災者なんて言葉がなくなるその日まで
沢山の人の穏やかな日常が戻るまで




東日本大震災ボランティアブログ 終わり
私が行っていた3ヶ月、向こうにいると何も変わってないように感じていまたけど、やっぱり少しづつ変わっていっていて、
仮設店舗も増えて、まだまだ作っていたり「あそこに出来るらしいよ」っていう話しだったり

仮設住宅も女川の2階3階建て等を省き、最後まで残っていたのは色々な事情を抱えていた方のようです
仮設の寒さ対策の補修工事や、車椅子のスロープの付足し等も早い所ではすっかり終えていました
福島や岩手では割りと早い段階で着手していたのですが、宮城はそういった事が本当に遅く完成は12月中だと発表されていました
とても間に合わないように感じます

早いとか遅いというのははその自治体がどんな所かというので明暗を分けてる気がする、というか分かれ過ぎています
悲しいくらい。

そう思うと一番心配なのは石巻だと感じています
それも中心地ではなく、市町村合併により吸収された地区
元々都会で範囲も広すぎて“対応仕切れない”という感じで、市も見て見ぬふり感が拭い切れません


暖房に関してもどうするつもりかと思っていましたが、国の方針で仮説全戸配布が決定し、岩手では仮設に向け既に配布も始まっていました
みなし仮設についても12月を目標に配布が決定したそうです
宮城については分かりません。
いつかは配布するのかもしれないのですが、仮設の補修工事しかりきっと後手後手で冬真っ盛りな頃に配布になるのではと思っています

夏場は「扇風機」と値段的に手が出し易かったせいか、多くの方々が扇風機支援に奔走されていました
そのせいか同じ所にいくつも届く事もあり、一家族で5台集まったという話しも聞いています
暖房器具には電気ストーブ・こたつ・ホットカーペット・電気毛布と様々なので、同じ物が幾つもということにはならないかもしれません
それに暖房器具というのはそれなりに値が張る物も多いので、扇風機のように数を集める事は大変に難しい事だと思います
現在でもいくつかの団体・個人が仮設等に向けて配布を行っていると聞きます
向こうにいるとなんとなくそう言うのを感じる事ができましたが、もうインターネットでしか分かりません

国経由で配布される暖房器具、最終的には国に返すそうです
仮設に備え付けられているエアコンやガスコンロ、実はこれらは退去時6点セットの様に持って出る事は出来ません
お金の出所が違うと言う事でしょうか、これと同じ扱いという事だそうです
え?って笑ってしまうような話しですが事実です
配布の際に「返却下さい」という手紙が入っているそうです

今回建つ仮設の予定総数は約52,000戸
余剰分もあるので入居されない所もあるのでしょうが、調べた中にはそのように発表されていました
全ての方が退去されたとして、それに等しく出る返して下さい的な物
最終的には災害時の為の備蓄品かそれとも民間に売却なのでしょうか
52,000のエアコン52,000のガスコンロ・暖房器具、管理出来るのでしょうか
公的に暖房器具の配布が決定したといっても、最終的には民間から贈られた物の方が助かるのが現実です


それに加え仮設に釘を打ってはいけないという事
人が2年住めばそれなりに傷みも出ます
リースにせよなににせよ、無傷のまま返せというのは余りにも無情な気がします
仮設は約2人に四畳半1部屋の割合で割り当てられていて、本当に狭いです
多くの場合が2人~4人で2DK1棟、5人~は2DKが2棟という計算です
部屋の中にテレビとテーブルがあるだけでも、かなりの圧迫感を感じます
家族の少ない世帯はまだいいでしょうが、4人にもなると物を収納する事すら困難を極めます
仮設は仮設であって住みやすさは念頭に入っていません

押し入れの2段目は無駄に天井が高く、物を積み上げる事しかできない状態です
各世帯、創意工夫されている所もありますし、なすがままの所もあります
きちんとそのお達しを守っている所は、元あった釘を少し出してそこに物引っ掛けるなどしています
本当にそこまでしなきゃいけないのでしょうか?

押し入れはなんとか釘を使わずに3段目を作る事もできます
しかし更に有効的に空きスペースを活用するには、釘は打たざる追えません
仮に釘を打たずに収納場所を確保する方法があるとしても、それは普通の人にはなかなか思いつくことは出来ないですし、技術もありません
また市販の収納用品を買えば対処出来ることかもしれませんが、更にお金が掛かるばかりです

大工さんやそういった知識や技術を持った方、是非ボランティアで棚等を作って欲しいですし、コンテナの物置を団地内に設置して欲しいと思います。
それならいつか引っ越しても利用出来るし喜ばれるのではないかと思います。


例えば阪神の時、仮設解体後実際どうだったのかリース会社はどう再利用するつもりなのか、本当に釘は打っていけないのか、より快適な暮らしを送る為にも柔軟な対応を望みます


仮設にも格差があって、メジャー級の仮説(主に立地)には物がまわってくるのですが、被害を受けていない隣の市や山奥にある所や戸数の少ない所には"支援団体"はあまり行きません
そしてこれはもうずっと言われている事ですが、真っ先に自立した人達。
それはお金があるからとかそういった問題でなく、例えば障害があったりとか、介護が必要だったりとか、小さい子供がいていずらかったりだとか、あといい意味での意地だったり。

また、みなし仮設(借り上げ住宅)というのがあって、プレハブの仮設ではないけれどお上が家賃を払ってくれるという制度です
そこへも一応6点セットは配られたのですが、そういった人達はどこにいるか見えにくく仮設のように何だかんだと物資がまわってくることはあまりというか、ほとんどというか、全くありません。
それにそういった方々は避難所にいる期間が短い、もしくはほとんどいなかったんだと思います
だから避難所時代に先を考えて物資をためておく事も出来ませんでした。
最初の頃に物等をもらいに行ってももらえなかったり、嫌な事を言われたりして…

物資に関してだけでなく、嫌な思いをした人は本当に多いです。
いざアパートに住んでみたはいいけど、古いアパートしか残っていなかったり、地震で壊れていても実費で直さなければいけなかったり、宮城は払ってくれるはずの家賃すら払われていなかったりと、さんざんな目にあっている人もいます。

6点セット、これは本当は大規模半壊のお宅にも届けるべきだったんだと思います
全壊でなくても仮設に入れることはできて、その間に家の修理をしている方もいます
そして家に戻る事ができるようになった時、6点持って出る事ができます
仮設が出来始めた頃、入居後すぐに6点持って出て行く人がいる。という話はよく聞きました
道徳的にどうなのか、というだけでいけないことではありません

詳細はあまり知らないのですが応急修理制度というものがあって、52万円の支給を受けるかわりに仮設に入る事は出来なくなります
でもそれと家電をもらえないのとは別問題で、家を放棄しなければ6点もらえないのでしょうか?

本当は支援団体もそういった所にこそ届けたいと思ってはいます
でも在宅避難者の人達はどこにいるのか見えにくく、人は住んでいないのかと思ったら夜にポツンと明かりが灯っていて驚いた事もありました
役所も把握しきれていない事を、2泊3日でやって来る人達が分かるわけないんです

だから私は、「仮設には物が行くけどここには何も来ない」なんてつぶやくんじゃなく、きちんと組織を作らないとだめだと思うんです
物が欲しいと勘違いされるのが嫌なのかもしれません
でも、よりよい生活環境を作る為にも誰が動かなければいけないと思います
実際支援団体は、仮設でも自治会があったり区長さんがいる所は行きやすいから行くんです

ある人が1階部分が被害にあったお家を「1階がスケルトンになった」という表現をしていました
表現方法としてはいささかどうかとも思いますが、そう言う事なんですよね

窓も玄関も壊れ、家の中がぐちゃぐちゃになったものをきれいにしたら、向こう側がすっかり見渡せるようになってしまった
生活の基盤はだいたいが1階にあり、台所もお風呂もトイレも全て直さなければならない

保険金や義援金といった物ももらえるかもしれません
被害の程度によっても違うでしょうが、失った物に比べれば到底それだけで補える額ではないのです
仮設1棟に掛かる500万円の事を考えたら、2階に住んでくれた方が本当は助かるはずで、その代償が52万円というのもどうかと思います

2階に住めるんだったら大した事ないわけでなく、未だに窓の無い家も、床板の無い家も沢山あります
業者が来てくれるのを待っている状態のお宅もありますし、金銭的な事情で修理できないお宅もあります
だったら仮設に入ればいいのにって思われるかもしれませんが、誰だって、自分の家に住みたいんです



ボランティア。
最初の頃は何でもいいから、とにかく見るだけでもいいから!と思っていましたが、今は少し違います
まだ全てが撤去されたわけではないですが、今でも建物や船や車もそのままの形で置き去りになっている所もありますが、今の様に仮置き場に山積みになった姿をみて
「8ヶ月経ってもこれだけしか進んでいないのか!大変だ!」って安易に思って欲しくないと感じてしまいます
それでもあれだけの物がここまでになったのです

確かに復旧段階以降は遅いんです
住民の皆様にしてみれば、これからこの街がどうなるのか、高台なのかかさ上げなのか
新たな市街地はどこになるのか、道路
はどうなるのか、駅は港は直せるのか、
復興計画が進まず不安と苛立ちの日々だと思います

でも私はまさかあそこまで早く進むとは思ってもみませんでした
それにブルーシートの窓が本物の窓に変わったりなど、修復されているお家も増えました
解体もされていってます

私は一番最初を見ていませんが、写真や映像を見た限りではあれだけのものがよくぞここまで、と夏頃までは本気で思いました
もちろん片付いてきたというだけで、これからどうするかの話し合いも始まったところですし、やっと始まった。というのが現状です


ボラセンに行っていなかったので正確な事は言えませんが、あの頃の主体は草刈でした
今でも撤去や泥だしをやっている所もあります
床下の泥を出しただけで、床の張られていないお宅も多いです

季節に準じて日に日に変わっていきます
作業は団体が優先的に割り当てられるますし、もしかしたら何時間も何万円もかけて来るには値しないと思う作業もあるかも知れません
もし自分が「こんな事するくらいなら」って思ってしまう様なら、それを受け入れるだけの覚悟がないのなら無理していかなくてもいいと思います、特に初めていくような人は。

実際、「ボランティア不足しています!是非お願いします!」と叫んでる所に行っても何百人って来てたり、
今まで個人を大切にしてこなかったくせに、ボランティアの減少に伴い団体が減り始め、急に個人を集めだしたりとか、
行っても作業ないとか
でも不足しています!ってネットでは叫んでいたりします

たまにすごいことしてるなー、参加したかったなーと思う時もありますし、正直行かなきゃわかりません
合う合わないもあります
ただ拠点の提供がなくなりつつある今、個人であるのなら当初あったような自己完結出来る人が再び求められているんじゃないかと思います
自炊風呂無し車中泊が出来れば問題無いレベルですが
もしくはそれなりの能力者。
落ちつきを取り戻した今だからこそ、ボランティアなのか観光なのか区別がつかない方は論外だと思います

私のごくごく個人的な考えとしては、今無理して時間やお金を使うよりも1年後2年後もう少し落ちついた頃に、
あの場所がこんな風になったんだ。と感じて欲しいな。とも思います

それまで思いを向けて欲しいです
当事者でもない私がこんな勝手な事を言える権利はないのですが、素直にそう感じるから。
今やっとようやく落ちついて、「あーこれ頼みたいなぁ」と思う事があるのも本当だと思うし、未来へ向けての新たな取り組みもあるので"もういらない"といは思っていません
でも特に一般ボランティアって今でもそんなに必要ですか?

「ボランティア全然足りません!」と叫ぶ前に、仮設の方々の中でする事がない…と閉じこもっている人もボランティアとして参加したらどうだろうと思います
冷たい意味ではなく、なんというのか、
ただ作業しに行く一方的な奉仕ではなく、地元の人達と交流ができるボランティアの形がいいなって思うので
半年以上経った今なら可能だと思います
実際、土地の方と一緒にした作業は今でも心に残っています

おばちゃん元気かな。
いかだのみんなは元気かな。


関わったボランティアの人達。
今でも毎週通っている人や、最終的には住み着いている人
長い間掛けて築いたボランティア同士の絆
社会福祉協議会なんかより、ずっと現地の事見てたし考えてる人達もいた
やってる事もさまざまで、
物を配る人
仮設に自治会を作ってる子
泥出し炊出し解体何でも来いな団体
都会で色々考えている人
地元の人に還元しつつお土産作ってる子

仮設でわずかながらでも雇用を生み出そうとしている人達は意外と多いです
海で使う用の重りを入れる袋や、刺しゅうでコースターを作っていたりします
大槌のコースターは飛騨の刺し子の方がお手伝いしている様です

ブログを通じて知り合った方が、悩みながらも活動を続けていて「今度卒園式のお手伝いをする事になったんです!」って電話がきた時は凄く嬉しかったです

また直接面識はありませんが、私がお世話になった地区の方々に養殖に使う"浮玉"を届けている人もいました
その方のブログに知った顔や名前が出て来て嬉しく思う反面、何も出来ていない自分に悲しくなったりもしました

他にも小さな事から大きな事まで沢山



写真。
ごめんなさい悪意があるわけでも上から目線なわけでもないのですが、帰ればいいのに。って思う事も正直ありました
交通量も多い中、突然車を止めて写真を撮ってる姿を何度も目にしたし、
大型バスとかも集積場のところに入りこみ、わらわらと降りてきて写真を撮っていて、入り口の警備の人も迷惑そうでした

どうせブログやツイッターなんかに「被災地まだまだです!!」とかって載せるのかな…って冷めた目で見ていた
まだまだか…。
あれだけの事があったのに、そんなに簡単に復興なんてしないよ…だからみんな困ってるのに…って。
ただ写真とるなって思ってるわけではないけど、作業そっちのけで撮ってる人もいたりとか勝手にカメラ向けてくる人もいたりして

今の様子からは想像できないかもしれないけど、今あなたが立っているその場所で沢山の人が亡くなったということ、あなたがカメラを向けているその車で誰かが亡くなっていたかもしれないっていうことだけはせめて考えてみて欲しいと思う

どっかの都会の写真家が感傷的に撮った写真集を見る度に何か違和感があった

そこを知る人が、その前もその時もそれからもこれからも、1年5年10年と変わっていく姿を撮ってくれたら、それを見たいな



そして瓦礫処理問題
地元の新聞に載っていた、放射能に汚染されたゴミを持ちこむな!って
京都だけの話かと思っていたら、日本全国で思っているなんて

この事、ほんとうに辛い

感情論ではなく現実的に、高濃度で汚染された物は原発周辺で処置するしかないと思う
でも、東北=放射能だから駄目だ!って言う前に、せめて測定して現実的に処理方法を考えるまではして欲しいと思います
何もしない内からどうしてそんなことを言えてしまうのだろう
福島第一を中心としたら石巻は茨城の水戸、陸前高田は千葉や新潟、宮古に至っては佐渡島や長野ほど離れているというのに
例えば東京や新潟で解体した物だったら受け入れるのだろうか?
被災地だからだめ。そう言っているようにしか聞こえない。
これは感情論?

なんなんだろう、この途方もない虚しさは

もちろん言いたい気持ちも分かる
特に京都は世界的な観光地で敏感にならざるおえないのかもしれません
別に悪い事ではないと思います
だけど、特に理由がない限り京都には行きたくないし行かないと思う
申し訳ないけど、京都の人って聞いたら反応してしまうと思う
そんなこと言っていたら日本中どこにも行けなくなってしまうんだけど、今は感情的にはそう思ってしまう
最終的には燃やしたのだし京都としては何も悪くはないんだけど、これはいわゆる瓦礫処理問題とはまた違うから

自分でも馬鹿みたいだと思うし、なんと子供みたいな..って思われるかもしれないけどそう思ってしまう
内容は違えどこれも風評被害の一つなんだろうね
今まさに西の人が抱いている感情となんら変わらない事
みんな自分の所は大丈夫なんて思っているだろうけど、世界からみたら日本全部汚染されてるって思われてる
それに対して風評被害だって言えるのかな

もしボランティアとか行ってなくて向こうの事知らなかったら、私もみんなのように思ってしまうのかな
そんな自分になるくらいだったら、私はボランティア、行って良かったと思う


これは東北だけの問題じゃない
原発事故さえなければ受け入れてくれたのでしょ
だったら、処理する事が出来なくなったのは、今まで原発について無関心だった全国民の責任
核爆弾を落とされた国が、核の恐ろしさを一番知っているはずの国が、
欲に負けて嘘だと気づいていても面倒な事から目を背け続けて、そうして今があるんでしょ
ここは大丈夫だなんて言って未だに作ってるんだよね
東電や福島だけに押しつける問題ではないはず
その為に税金が上がっても仕方がない、福島が戻るまでの費用は永遠に払い続けるべきだと思う
放射能は目に見えない、でも実際に自分達のお金が徴収されたら本気で原発無くす気になるんじゃないかな


ずっと思い続けてきた
自分達さえよければいいのかって


反核を訴える人、デモする人、とても素晴らしいと思う
でもお願いだから中部の人間だったらせめて、もんじゅや浜岡が廃炉になるまで続けて下さい
そして六ヶ所六ヶ所言わず、その近くで今正に建設されている(中断中)大間を建設中止にして下さい
脱原発を表明するのが目標ではなく、ネットで原発の恐ろしさをつぶやくのが行動ではなく、原発を無くすのが目標にして欲しい
表現が難しいから伝わるかは分からないけどさ

今の様子はどうしても一時的なブームの様に思えてしまう
もちろんそうでない人がいるのも分分かっているけど、ファッションでしかない人がいるのも事実でしょ
デモ以外であなたは何をした?
その知識でがれきを処理する方法を考えて、お願いだから





みんな一言で「瓦礫」って簡単に言ってしまうけど

それは元々街だったり家だったりしたものであって

必死で稼いだお金で建てた家を

代々受け継いできた家を

生まれ育った家を

泣く泣く取り壊したもので

すごく沢山の人の思いでの品だから。



そんな事を、少し思ってみて欲しいです