どーこだw しゅうちゅうごううではなびちゅうしw

今日は、7月22日は、夏ふーふースープカレーの日
ベル食品が制定。
同社のスープカレー商品を
食べてもらい、その美味しさを
知ってもらうのが目的。
日付は「な(7)つふーふー(22)」
の語呂合わせから。

北海道の郷土料理 
「スープカレー」とは
「スープカレー」とは通常の
とろみのついたルーカレーとは
異なるサラサラしたスープ状の
カレーで、北海道の郷土料理です。
今では北海道の郷土料理とは
思えないほど全国的に
普及しています。
「スープカレー」はごはんに
かけて食べてはいけないと
いうわけではありませんが、
通常はご飯と別々に出されて
スプーンにすくったご飯を
「スープカレー」にくぐらせて
食べるのが正式な食べ方です。
普通のルーカレーは甘口から
辛口までありますが、
「スープカレー」は基本的に
辛口の場合が多く、好みに応じて
辛さの程度を調節します。

スープカレー
スープカレーのスープは
辛口ですがスープの旨味を
追求している店も多く、
鶏肉や野菜で出汁をとり、
数多くのスパイスを調合して
旨味とコクを出しています。
具材は野菜は総じてブツ切りで
豪快に入っていますが
十分に煮込んでおり、
スプーンで具をほぐしながら
食べる事ができます。
野菜は北海道ならではの
じゃがいも、たまねぎ、にんじん、
他にもピーマン、かぼちゃ、
ブロッコリー、なす、オクラ
など様々です。
また、ダシは鶏肉でとる事が
多いですが、具としても
チキンレッグや骨付きのチキンを
丸ごと入れたり、豚の角煮、
ラムチョップや魚介類など
バリエーションがあります。
北海道の札幌市内には
「スープカレー」を提供する店が
200店舗以上もあるといわれ、
各店それぞれ味付けや具材が
異なる独自の「スープカレー」
があります。 

スープカレーの発祥・由来
スープカレーは北海道で誕生した
郷土料理ですが、
発祥は札幌市の喫茶店「アジャンタ」
と専門店「マジックスパイス」
といわれています。
富山県出身の「アジャンタ」の店主は
漢方の薬膳スープとインドのスパイス料理を
組み合わせた「薬膳カリィ」
を1971年に販売し始めました。
当初は「薬膳カリィ」と呼ばれていて
現在の様に具が全く入っていない
完全にスープ状のカレーでした。
その後、客の要望によりダシに
とっていた鶏肉や野菜を
入れるようになり具が入った
「薬膳カリィ」となります。
まだそれまでは「スープカレー」
とは呼ばれておらず、
はじめて「スープカレー」
という名称で提供したのは
「マジックスパイス」です。
「マジックスパイス」は
「薬膳カリィ」にインドネシアの
鶏肉のスープ料理である
ソトアヤムをアレンジして、
初めて「スープカレー」という
メニューで提供しました。

1980年代にはまだ「スープカレー」
の名前は使われていませんでしたが、
既に札幌では人気が高まり
専門店が増えていきました。
その後、2000年を過ぎる頃には
一躍ブームになり、
札幌市内には200を超える店舗が
「スープカレー」を提供するように
なりました。こうして「スープカレー」
は一気に札幌、ひいては北海道を
代表する郷土料理の一つとなったのです。

果たして、此れを郷土料理と呼んで
良いんでしょうか?
郷土料理の基本は、郷土に古くから、
伝わる食文化ではないのかでしゅw
文化無き料理は当てはまらないでしゅw
上記スープカレーは、
地域振興料理でしゅねw

どーこだw たこうあがったw

今日は、漬物の日
名古屋市の萱津(かやつ)神社
が毎年8月21日に行っている
漬物をお祝いするお祭り
「香の物祭」にちなんで、
全日本漬物協同組合連合会が制定した。

漬物の日の由来・言い伝え
名古屋市の萱津(かやつ)神社では、
毎年8月21日に漬物文化を祝うお祭り
「香の物祭」が行われています。
このことから、漬け物業界が
毎月21日を漬物の日、
とさだめて漬物の普及に
取り組んでいます。


漬物の日には、
こんな言い伝えがあります。

毎年8月21日に斎行される
香乃物祭(漬物祭)
漬物発祥の御神威を称え
漬物文化の興隆を祈るお祭りです。
この土地は、尾張平野と言われる
肥沃な土地であり、また、
当時は海岸に面しており、
土地の人々がこの神前に
ウリ・ナス・蓼(たで)等の
初成りを供え、海から取れた
藻塩もお供えし
五穀豊穣をお祈りした。

神前の多くの供物が
腐敗するのを惜しんだ里人が
社殿の傍らに甕(かめ)を置き
その中に入れたところ、
神の思召しか程よい塩漬けになり、
当時の人々は雨露にあたっても
変わらぬ不思議なその味を
神からの賜りものとして
万病を治すお守りにしたとあり、
これが我が国の漬物の始まりで
あるといわれております。


神前のお供え物がすぐ腐って
しまうことを惜しんだ里人が
たまたまカメの中に置いたところ、
偶然に塩漬けになり、
日持ちするようになったのですね。

漬け物はすぐに腐らないことや
時がたっても変化しない
不思議な味を、神からの賜り物として
尊び、無病息災の食べ物として
食べられるようになり、
備蓄できる食材としたそうです。

こういった逸話から、
神様に感謝の気持ちを伝えて
お供え物をする「香の物祭」として
行われるようになったのですね。
昔は冷蔵庫といった保存のための
ものはありませんから、
日持ちするお漬け物は
とても重宝したのでしょうね。
その感謝の気持ちを込めて
行われる「香の物祭り」は、
各地から漬物業者が集まり、
祝詞奏上の後神饌をささげ、
巫女の舞が奉納されます。
その後、一般参拝者も参加できる
漬込神事が執り行われ、
ここで漬け込まれた野菜は
万病の妙薬として珍重される「
香乃物」となり、
熱田神宮に奉納されるのです。

なぜ8月21日?
なぜ21日なのか、
の由来は分かりましたが、
それでは何故8月21日
だったのでしょうか?
さて、祭典神事は
毎年8月21日に
斎行(さいこう)されます。
何故この日なのか定かでは
ありませんが、漬込む野菜の
収穫期や塩の生産と大きく
係わりを持ち、
自然の恵みに適合した
この時期に斎行されて
きたと思われます。


なぜ8月21日なのか?は
催行している萱津神社でも、
定かではないようです。

漬物の雑学
漬物とはその名の通り、
漬ける物です。
古来から人間は春夏に野菜等を
収穫していたのですが、
冬なると野菜が採れないので、
春夏に収穫した野菜を保存しておく
必要がありました。

しかしながらただ放って
おくと虫が来たり、腐ってしまったり、
有害な腐敗菌によって
食べられなくなってしまいます。
そして大昔には冷蔵庫などと
いう便利なものはありません。
古来の人間は野菜を保存するために
塩を使いました。

野菜の塩漬けです。
こうすることで冬にまで
野菜を保存することに成功したのです。
そして保存した野菜には
うま味が増していることにも
気が付きました。
乳酸菌が野菜の糖分を
分解してうま味を産出したのです。

こうして野菜の塩漬けは
その保存能力もさることながら
『長期間寝かせると美味しくなる!』
ということも相まって
『漬物』として一気に
広まっていったのです。

漬物と発酵
先の話のように漬物と発酵には
大きな関係性があります。
野菜の保存期間のうちに
乳酸菌が入り込み、
野菜の糖分を分解して
うま味や独特の香りに
変えるので確実に発酵が
行われています。
これが
『長期間寝かせると美味しくなる!』
という事実の裏付けでもあり、 
発酵することで漬物として
完成するといっても
過言ではないわけです。
本来の漬物は発酵食品なんです。
『漬ける』という言葉のなかに
「保存」と「熟成発酵」という
意味が隠されているのです。
ちなみに発酵による独特の香りから
「香の物」とも呼ばれたり
「古漬け」や「ひね漬け」
とも呼ばれたりしびます。



絶滅寸前の発酵漬物
もともと漬物は塩漬けでの
発酵過程が基本に
なっていますので、
昔は全ての漬物が発酵漬物
だったのです。
そういった背景もあり、
全国的にも様々な発酵漬物が
生まれてきました。
『沢庵漬け』
『野沢菜漬け』
『しば漬け』
『すぐき漬け』
『すんき漬け』
『蕪漬け』『
高菜漬け』等、

多種多様な発酵漬物
が存在します。
皆さんも一度は
聞いたことのある
お漬物の名前だと思います。
しかしながら現在の
沢庵漬けや野沢菜漬け等は
【発酵されずに商品として完成】
しているのです。

漬物を実際に発酵させて
作るのは弊社の沢庵漬けのように
非常に手間がかかります。
これはしば漬けや高菜漬けでも
例外ではありません。
手間もかかれば時間もかかります。
現在は冷蔵技術の発達や
運送のインフラ、化学添加物
の進化により、発酵させずに
調味液の液漬けでつくる漬物が
主流となっているのです。
現在私達のまわりにあるお漬物は
保存が目的の漬物とは違い、
調味液の味付けされた液漬けの
漬物がほとんどなのです。
発酵という過程を経てつくられる
漬物は手間や労力、
コスト面から年々減少しており、
今では絶滅寸前の漬物
とさえ呼ばれるように
なっているのです。


発酵漬物の保存能力
さて、今では本当に
希少な存在となっている
発酵漬物ですが、
もともと保存が目的で
つくられているため、
その保存能力には
目をみはるものがあります。
たとえばpHです。
乳酸菌が発酵の過程で生み出す
乳酸や酢酸は強い酸度があります。
なんとpH2(低いほど強い)
程の酸度にまで達することがあります。
この酸度になればあの酸に
強いと呼ばれる『O157』でさえも
やっつけてしまうほどです。

このように乳酸菌によって
pHを低下させることにより
有害な菌や悪玉菌を寄せ付けない
環境を作ってしまうのです。
もちろん塩漬けによる塩の
浸透圧による保存性も
さることながら、
さらに乳酸菌による酸性環境が
その保存性をさらに
高めているのです。

健康食としての漬物
近年この絶滅の危機に瀕している
発酵漬物が実は健康食として
注目されつつあるのです。
それは『乳酸菌』です。
しかも漬物や味噌、醤油にしか
発生しない『植物性乳酸菌』です。
漬物と乳酸菌の中でも
説明していますが、
チーズやヨーグルト等は
『動物性乳酸菌』です。
 動物性の乳が母体となって
繁殖する乳酸菌だからですね。
逆に野菜が母体となって繁殖する
乳酸菌は『植物性乳酸菌』と呼ばれます。
そしてこの植物性乳酸菌には
健康対して優れた効力を
発揮するということが
科学的にも明らかになって
きているのです。
漬動物性の乳酸菌はミルクという
バランスのいい環境でぬくぬく
育った乳酸菌です。
植物性は漬物や味噌など、
塩度もあれば酸度も高いという
細菌にとっては劣悪な環境のなか
力強く生き抜いて発酵する
わけですから、
菌自体の生命力も高く
腸に対して好影響を与える
と言われています。
もちろん動物性の乳酸菌も
カラダにとって良いと
言われているのですが、
植物性はそれ以上に好影響を
与えるという点から、
近年発酵のお漬物や味噌は
健康食としても、
非常に注目される存在に
なってきているのです。

漬物の存在意義
現在、漬物市場は年々減少
の傾向にあります。
やはりメインの料理ではなく、
料理の脇役的存在だからです。
そのせいもあってか、
添加物によってコストや手間を
抑えた液漬けの漬物が
主流になってきているので、
深みのない味の漬物であったり、
不自然なうま味を持つ
漬物が多くを占めます。
そういった漬物は瞬間的な
ウマさはあったとしても
コアなファンを生むには
至りません。
やはり化学的に作られた
味ですので後味も悪ければ、
強すぎるうま味が故に舌を
飽きさせるのです。

そういった経緯がこの漬物市場の
減少を招いた結果でもあると
樽の味は考えます。
樽の味は昔ながらの製法にならい、
発酵によるうま味と後味の良さ、
コアなファンをつかめるような
深みのある味を目指して
日々精進いたします。

沢庵は二切れが良い
理由はその昔、お侍さんが
いる頃の話です。
料理屋でご飯の最後に
お漬物を食べるのですが、
そこで皿にのっている
お漬物が一切れの場合は
一切れ=人を斬れ
という風に繋がってしまうので、
縁起が悪く、
三切れだと
三切れ=身斬れ=切腹
という風に繋がってしまい、
これも縁起が悪く、
四切れだと
四=死
という風に繋がってしまい、
これも縁起が悪い。
消去法になってしまいますが、
二切れが縁起が良いと
いうことになったのです。


沢庵と沢庵和尚
沢庵漬けは沢庵和尚が考案
されたと言われています
(他にも諸説あり)。
江戸時代の臨済宗の僧・沢庵宗彭です。
沢庵宗彭が創建した東海寺では、
最初は名も無き漬物だったが、
ある時徳川家光がここを
訪れた際に食べたところ、
とびきり気に入り、
『名前がないのであれば、
沢庵漬けと呼ぶべし』

と言われ、沢庵漬けが誕生した。
と伝えられています。
ただし、東海寺では禅師の名を
呼び捨てにするのは
非礼であるとして、
沢庵ではなく「百本」
と呼ばれています。
どうして百本なのかというと
樽の中に大根を
百本漬けるからだそうです。


日本の伝統漬物
日本を代表する漬物

『ぬか漬け』
さてまずは、ぬか漬けの
歴史についてお話しますが、
意外にぬか漬けの歴史は塩漬けに
比べると浅いのです。
ぬか漬けが生まれたのは
江戸時代だと言われています。
というのもこの頃から
白米として食べる習慣が
根付いたからです。
それまで大半の人は
玄米を食べていました。
白米が一般的に広まってくると
『ぬか』が余ってくる
ようになりました。
そこからぬかの別の利用方法が
考えられるようになってきました。
そのひとつがぬか漬けなんですね。
それまで漬物といえば
ほとんど塩漬け一辺倒
だったのですが、
ぬか漬けという
新しいジャンルの漬け方を
確立するに至ったのです。
こうしてぬか漬けは
各地でされるようになっていき、
今や家庭の味として
定着しつつありますね。
また、ぬか漬けは健康食品
としても今非常に
注目されつつあります。
『ぬか』には
ビタミンE、
ギャバ、
鉄、
マグネシウム、
ポリフェノール、
フェルラ酸、
食物繊維等の
ミネラルや栄養素が
ぎっしりと詰まっています。

さらにそこから
乳酸発酵させますので、
ぬかのたんぱく質が
分解され天然のアミノ酸となり、
発酵食品特有の後味の良い
うま味に変わります。 
しかもぬかは発酵の働き
によって野菜には少ない
ビタミンB群を作り出してくれます。
こういった発酵の働きによって
うまみと栄養素が
ぐんぐん野菜に浸透していきます。
そして、ぬか漬けにされた
野菜は乳酸菌の働きによって
糖分からうま味成分へと
変えられるので、
ダブルで美味しいんですね。 
ぬか漬けにすることで
野菜には少ない栄養素を
作り出したり、
うま味成分の相乗効果によって、
美味しく、健康的な漬物に
することができるのです。

すんき漬け
長野地方で古くから伝わる
お漬物で、一口でいうと菜漬けです。
特徴はなんといっても
「塩」を使わないことです。
もともと内陸地方であるため
「塩」そのものが貴重な
調味料であったので、
塩を使わない漬物が
発達したと考えられています。
普通は塩を使わないと
浸透圧の関係で乳酸菌が
繁殖する前に雑菌や有害菌が
繁殖してしまうのですが、 
このすんき漬けは前年に
仕上げたすんき漬の残りを
種(乳酸菌の元となるもの)
として漬け込み時に使うので、
乳酸菌の発酵を初期から
促進させてpHを下げることで
発酵を成功させます。
漬け方はすんきの種と
かぶ菜の葉と茎を交互に
漬け込んでいきます。
最後にフタをして
軽めの重石をのせておけば
すんき漬けができます。
塩気はまったくないのですが、
ほどよい酸味がとっても
さっぱりしていて、
酒のさかなにも喜ばれる逸品です。
ただし、気温が高いと相性が悪く、
茎がやわらかくなり
歯ごたえも悪くなるのですが、 
高冷地であれば茎の歯ごたえも
良いまま仕上がるので、
本当に自然の環境が大きく
味に影響する昔ながらのお漬物です。

高菜漬け
九州地方で古くから
伝わるお漬物です。
九州で栽培がさかんな高菜を
主原料とし、塩漬けにし
乳酸発酵させて食べるのが
一般的でした。
近年は発酵させず調味液で
浅漬けにしたものも生まれ、
後者は「新高菜漬」とも呼ばれます。
ただし、今では悲しいかな
後者の方がポピュラーに
なってしまったため
「新高菜漬」を単に高菜漬け
と呼んでいます。
主にどちらも細かく刻んだのち、
好みにより醤油を
たらして食べます。
細かく刻んだ状態で
売られていることも多く。
高菜漬を油で炒めた
「高菜炒め」も美味だが、
乳酸発酵させたものを
炒めた場合には独特の匂いがあり、
この匂いが苦手な人も多いです。
最近ではラーメンのトッピングに
辛子高菜という唐辛子を
利かせた高菜漬けが使われ、
人気を博しています。

 

漬け物は、自宅で作ってましゅたが、

今年の暑さで10年続いた糠味噌が、

ついに変色してしまいましゅたw

残念でしゅが、9月まで様子を見て、

再開しましゅw

どーこだw うまーくさがしてねw

今日は、7月20日はハンバーガーの日
日本マクドナルドが制定。
1996年に、1971年の東京・銀座
マクドナルド日本第1号店
オープンから25周年を記念して。
日付は7月20日がオープンした
日であることから。


ハンバーガーの歴史や由来とは?
ハンバーグとの違いや語源は

ファストフードの代名詞
とも言うべき存在となった
ハンバーガー。

日本ではかつて、屋台で出される
寿司などもファストフードとして
存在しておりましたが、
生ものということで管理が難しく、
現在では持ち運びも便利な
ハンバーガーが不動の地位を
築いているといえるでしょう。

ハンバーグの歴史
 ところで、ハンバーガーと
似た言葉に「ハンバーグ」
というものがありますね。
その類似性から推測ができるように、
ハンバーガーの歴史や由来を
考えるうえでまず「ハンバーグ」
というもののルーツを
知らなければなりません。

遡ること13世紀。この時代は
ユーラシア大陸にモンゴル帝国が
大帝国を気づいていた時代です。

チンギス・ハンやフビライ・ハン
などの名前は世界史に疎い方でも
聞いたことがあると思います。
モンゴル帝国というとまず
想像されるのが騎馬民族
ということですが、
彼らは一人あたり数頭の馬を
引いて移動をしており、
その中で老いた馬を食料
としていました。

この馬肉はとても硬くて
筋張っていたために、
細かくしてパテ状にして皮に包み、
鞍の下におきました。
そうすることで馬を走らせる
衝撃によりうまい具合にこねられて
柔らかくなったのです。
そして柔らかくなった肉に玉ねぎ、
胡椒などを混ぜて生肉の
まま食べていました。


1238年、蒙古による
モスクワ侵攻で、
この生肉料理がロシアに
持ち込まれるとロシア人は
「タルタル・ステーキ」
と名付けました。

東ヨーロッパ人はモンゴル人
のことを「タタール人」
と呼んでおり、そこから派生して
「タルタル」という言葉が
作られました。
要は「タタール人のステーキ」
というわけですね。

ロシアから今度はドイツ人
船乗りたちによってドイツに
広められ、17世紀になると
これがヨーロッパ風にアレンジ
されて生肉ではなく焼いて
食べる料理へと変わっていき、
18世紀の大航海時代になると
ヨーロッパ全域に広まっていきます。


そして今度は18世紀に、
多くのドイツ人がドイツの
ハンブルク港からアメリカへと
移住すると同時にこの
タルタルステーキも持ち込まれると、
それを見たアメリカ人は
「ハンブルク風ステーキ」と呼び、
そこから転じてハンバーグステーキ
と呼ばれるようになります。


まとめると、
モンゴル→ロシア→ドイツ→アメリカ、
そして日本へ辿るという遊牧民も
驚きの大移動を果たしてやってきたのが
ハンバーグ、ハンバーガー
というわけなんですね。


ちなみに、タルタルステーキが
東方に伝わったものが
韓国料理のユッケです。
こちらは元祖タルタルステーキ
と同じように生肉を使っていますね。
いうなれば、ユッケとハンバーグは
兄弟弟子のような関係だった
というわけです。

ハンバーガーの歴史
アメリカへと渡り「ハンバーグ・ステーキ」
という名前になったこの料理は、
テキサス州のアテンスという
小さな町で変革を遂げます。
フレッチャー・デイヴィスという
人物がハンバーグを茶色い皮のある
分厚いパンにはさんで玉ねぎの
スライスを好みで付け加える
というものを考えだします。

これが町で大人気となり、
1904年にアメリカのセントルイスで
開催された世界博覧会にて
スタンドを開き、
オールド・ディブズ・ハンバーガー・スタンド
(Old Dave’s Hamburger Stand)

と言う店を営業し、これがやはり
大人気となりました。
ハンバーガーの誕生です。
そして1921年には初の
ハンバーガーチェーン店が
誕生するのですが、
マクドナルドではなく、
ホワイトキャッスルという店です。
マクドナルドの第一号店はそれよりも
だいぶ遅れて1955年のイリノイ州
シカゴ郊外のデスプレーンズ
というところでした。

そして日本で初めてハンバーガーが
作られたのは長崎県佐世保市。
戦後の1950年ごろに駐留米軍基地
からレシピが伝わったのが
由来とされており、
基地周辺の飲食店で作られて
地元の人に評判となりました。
あのマクドナルドが日本に来るのは
1971年のことで、銀座の三越の1階に
マクドナルド日本第一号店
が誕生しました。
この第一号店は椅子席なしの
テイクアウト専門店ということで、
ハンバーガーを頬張りながら
銀座の歩行者天国を闊歩するわけです。
それは当時の人たちにとっては
とてもスタイリッシュに映り、
よい広告塔になったことでしょう。
そこから日本における
ハンバーガー人気は爆発するわけです。
ちなみに、アメリカでは「ハンバーグ」
という言葉を用いても通用しません。
それはドイツのハンブルクのことを
指すからです。アメリカでは、
ハンバーグのことは
「ハンバーガー」と言うそうです。

ややこしいですね。
さらに言えば日本ではテリヤキバーガー、
チーズバーガーというメニューが
あるように「バーガー」という言葉が
独り歩きしていますが、
通常アメリカで肉をパンにはさんだものは
「sand」という表現をするので、
余計訳が分からなくなっています。

ということで、その呼び方や
料理の仕方などもオリジナル
のものとはかけ離れて、
割と雑な仕上がりになっているのが
現在のハンバーガーと言えるでしょう。
しかし、その雑さがファストフード
にはちょうど良いのかもしれません。

 

マクドナルドのハンバーガー100円以下な頃、

小腹が空いたとき、よくかじってましゅたw

此処しばらくは、

ハンバーガーは食べてましぇんねw