catharsis diary

札幌在住、chloe(24歳、♀)が、好き勝手に書いております。

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ここ一ヶ月のアタクシ。

ずっとブログ更新してなかったなぁ。

久方ぶりのダイアリー。

映画もたくさん見たはずなんだけど、ほとんど覚えてない。


日常生活に忙殺され、希薄になりゆく記憶。


感情体験の記憶が消えないというのならば、見た映画たちがあたしの魂、感情を揺さぶらなかっただけのこと。あるいは、ここ一ヶ月のアタシがリアルな感情体験の中に身を置いていただけのこと。


でも、やっぱり、見た映画の感想くらいは書き留めておきたい。

その瞬間瞬間に自分が何を感じ取っていたかを知りたい。

ただでさえ、忘れっぽいアタシなので、自分に渇~っ!!


にしても、ここ一ヶ月はいろいろあったなぁ。


実家に帰省して、幼馴染夫婦と束の間の享楽にふけったり、

高校時代からのソウルメイトたちと、ふにゃふにゃしてみたり、

そこであたまのなかのネジをゆるめる心地良さを再確認したり、

でも、そのネジの締め方を知らなかったことにも改めて気づいたり、

ふにゃふにゃしすぎで、家族から激しく攻め立てられたり、

久しぶりに母親とケンカしてみたり、

ふにゃふにゃのまま札幌に戻ってきて、皆に甘えたり、

「にゃぁにゃぁ」言い過ぎて、人間の言葉を忘れてしまったり、

でも、日舞の最後の発表会では、舞妓の気分で舞ってみたり、

家元や名取さんの粋な計らいに感嘆の涙を一筋だけ流してみたり、

酒に呑まれて、研究室の先輩に醜態を曝してみたり、

でも、そこで、先輩方との距離が激しく縮まったり、

精神が弛緩してたせいか、40度の熱を出して、夜中救急病院に行ってみたり、

そこで、点滴と座薬のダブル攻撃を受けてみたり、

熱で朦朧とした頭と身体を抱えた中で、ダーリンからの激しい愛を感じたり、

抵抗力のない身体で東京に行かねばならなかったり、

4日間風呂に入っていない身体で、飛行機に乗ってみたり、

東京で一泊した旅館は、ドライヤーも備え付けていないレトロな宿だったり、

ふらーっと立ち寄った美術館で大興奮してみたり、

都心のオフィスで配属通知を授与されてみたり、

横浜在住の友達に、着替えてるところを撮られてみたり、

東京土産のピエールマルコリーニの甘さにダーリンと酔いしれたり、

新しいメガネを購入して、舞い上がってみたり、

不安で涙の止まらない夜と朝をたくさん迎えたり、

かと思えば、隣でダーリンが微笑んでる素敵な朝も迎えたり、

ダーリンへの激しい愛に涙してみたり、

近くにいるようで遠かった「お友達」が、「友達」であることに気づいたり、

同じ心境を共感しあって、不安を煽ったり、安心してみたり、

4月からの住処が「3月14日以降にならないと確定しませんよ」と言われたり、

引越しの下準備の中で「過去のアタシ」と再会してみたり、

過去のアタシの書き殴った言葉を美しいと自画自賛してみたり、

シーフードの食べすぎで、一時的な発疹を出してみたり。


要は、一生懸命、一瞬一瞬をエンジョイしてたのだ、アタシは。

時間が限られたものであることをはっきりと自覚している今だからこそ、

こんなにも、一瞬一瞬がいとおしい。


でも、想い出にはしたくない。

時間の流れのごくあたりまえなものとして、過去~今~未来はつながる。

断片的な過去ではなく、アタシの一部として、命が宿る素敵な時間たちなのだー。

『バタフライエフェクト』

もし、あの時、あんな行動をとっていなければ、自分の人生が変わってきたかも・・・

そんな淡い思いは、誰しも一回くらいは抱いたことがあるはず。

だが、実際にその瞬間に戻って、自分の行動を変えてみたところで、それが自分の思い描くベストな人生になるとは限らない。それだけのみならず、他人の人生をも変えてしまう。


時間の不可塑性。

感情記憶の潜在性。

人間の可謬性。


だから、人は生きていけるのかもしれない。

『SHINOBI』

原作はちょろっと読んだことがあるだけ。

オダギリジョー、かっこよい。


忍者版ロミジュリ。

わかりやすい表現だ。

『PROMISE 無極』

母と妹と、レイトショーへ。


制作者の意図とは裏腹に、あたくし、作品の中で何度も爆笑してしまいました。

牛よりも早くハイハイをするチャン・ドンゴン。

凧のように空に舞い上がるセシリア・チャン。

いかんともエロい真田広之。

めちゃくちゃあたし好みのフェイス、ニコラス・ツェー。


家族と見にいく映画はいつもこんな調子です。

『リリィ・シュシュのすべて』

冒頭のネット上でのやりとりのシーン。

痛くて痛くてどうしようもない心の叫びが、淡々と映像となって綴られていく。


リリィ・シュシュを心の支えにするHPの管理人、フィリアこと雄一(市原隼人)は、同じクラスの星野(忍成修吾)にいじめられる日々を送っていた。


そして、ダークな現実から逃げるかのように、過去のしあわせな日々が回想される。中学校入学、星野との出会い、剣道部の仲間達との他愛もない日常。仲間との夏休みの沖縄旅行。

ところが新学期。何が幸せな日常の歯車を狂わせたのか、全ては一変する。

荒れ果てる毎日。星野からの悪質ないじめ、星野に命じられた万引き、カツアゲ、レイプ・援交の斡旋。とても残酷だ。

中学生という年齢とその無邪気さが残酷さを余計に際立たせる。
そして、全体と通しての綺麗な映像が、さらに残酷さを際立たせる。


ただひたすらイタイ。

心が不安定になる。

えもいわれぬ感情をただただ涙で吐き出したくなる。


どんなに気分の良い時であっても、私はこの映画を見る気にはなれないだろうな。だってとてもいい映画だけれども、心が痛くてたまらなくなるだろうから。

『1984』

G・オーウェルのデストピア小説の映画化されたものをようやく見ました。

前から『1984』を読んでみようと思いつつも、家にあるペーパーバックに手を伸ばすことなく、早1年以上・・・。ビデオ屋さんで映画を発見して即借りです。


時代は1984年。

国はリーダー的存在であるビッグ・ブラザーのもとに全体主義を敷き、他国と戦争を繰り返していた。ウィンストンの勤務する記録局では、過去から現在までの記事や文書など事実に至るものまで国家の意向で修正、削除し、国民への情報操作に余念がない。市民レベルにおいても警察が厳格に取り締まり、個人の自由が制限されていた。そんな中、ウィンストンはいつしか国家体制に疑問を抱き始める。ある日、若い女性ジュリアと出逢うウィンストン。やがて、二人は恋に落ちる。しかし、恋さえも禁じられた全てが管理される社会で逢瀬を重ねた二人の行き着く先は・・・。
 

人間は恐ろしい。

人間を「モノ」として徹底的に監視しようとする「人間」も恐ろしいが、苦痛を与えられたことで自分自身の意志を失ってしまう「人間」も恐ろしいし、洗脳されてしまい、そういう現実に慣れてしまった「人間」も恐ろしい。

そして、社会に疑問を抱いてしまった人間は、過度な肉体的拷問による「思想矯正」の後に、死罪にされる。つまり、社会論理を受け入れない人間の存在自体を認めていないのである。一個人の些細な反体制思想を抹殺するためには、その人間の存在自体を認めることはできない。それゆえ、その社会の論理を受け入れた(正しくは洗脳された)上で、社会の一員として「存在」し、そして「死」を以って反体制思想の罪を償う。


私が今生活している日本は、『1984』で描かれたような徹底的な全体主義の世の中ではないが、知らず知らずのうちに私も管理されているのかもしれないし、洗脳されているのかもしれない。


「2+2=4」

2+2=3、あるいは5と言わなければいけないような社会になった時、私は、なんと答えるのだろうか。 

氷濤

マイナス15度の世界で繰り広げられている氷のお祭りを見に支笏湖へ―。


平日の夜なのもあって、人が少なくて良かった良かった~

想像していたよりもすごくキレイで、自然の寒さと湖の水の青さ、それを創った地元の人たちなど諸々にうっとり。

寒くて30分くらいしか会場にいられなかったけど、人が多かったら「子ども用」滑り台なんてできないのに、人が少なかったので余裕でGO!

寒いし凍りそうだったけど、はしゃぎました。にゃー。


素敵な写真もたくさん撮れました。宝物レベルです。

そして、温泉に一泊。

ホテルの朝食はうまい。

『クロコダイルの涙』

感情とは形にならないものであるように思われがちだが、血の中に確実に流れており、肉体を駆け巡っている。そして、それは極限に至ると「結晶」となる。

その血の中に流れる感情を味わわなければ、結晶が作られてしまうほどの極限の感情を味わわなければ、自らの肉体、そして命を維持できないスティーブン(ジュード・ロウ)。

スティーブンは、愛した男に殺される瞬間の感情(私が想像するに、ほのかに残る愛情、そして愛する男に殺されてしまうという失望、絶望)といったそれら感情を自らの生の糧とするために、女性と関係を作っては、殺すことを繰り返す日々を送っている。しかし、次の獲物として関係を持った女性をいつしか本当に愛するようになってしまう。

彼女の「感情」を味わわなければ、自分の体は崩れて死に至ってしまう。

しかし、「愛」ゆえに彼女を殺めることをためらう反面、吸血鬼としての自分の性が彼女の「愛」の流れる血を追い求める・・・


ストーリーはこんな感じ。


邦題が素敵です。

人間には三つの脳があって、人間の脳、その奥に哺乳類の脳、そのさらに奥に爬虫類の脳がある。

映画の中では、哺乳類=馬、爬虫類=クロコダイルを挙げてました。

そして、クロコダイルは獲物を食べる前になぜか涙を流すそうです。

自分の命の維持のために、生きとし生ける「他者」の命を摂取し、命をつなぐ。

脳の奥にある「クロコダイル」としての自分が、涙を流させるのでしょうか。

「人間」としての自分が、涙を流させるのでしょうか。

変態的性向としてではなく、人類の進化の過程のうちに淘汰されてきた動物的本能的なカニバリズムは、もしかするととても人間的な行為なのかもしれません。

(ジャック・アタリ『カニバリスムの秩序』をきちんと読み返したいと思います。)

早すぎるキノメツワリ

最近、とにかく情緒不安定です。

楽しいことがあった次の日の朝は、途方もなく寂しさを感じます。

「時間が戻ってこない」ことを強く自覚するようになりました。


暦の上ではまだ立春を迎えてすらいないのに、木の芽悪阻。
雪の下で耐え抜くつぼみたち。そのエネルギーは美しい。
The Roseの歌詞を読み返してみたりしました。

When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the storng
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose

この歌詞を読んで、あたし自身がつぼみなんだと思えば、この情緒不安定さ=つわりにも耐えれるかもしれません。

うまく言葉にならないけども、 今を愛してて、守ってくれる場所のあまりの心地よさに不安になります。しばらくハイとローの間をうろうろすることになりそう。

オイスター祭り

ゼミの後輩が「牡蠣」と「あさり」を大量にゲットしたとこのことで、我が家でオイスター祭りを。

味噌風味の牡蠣鍋と生牡蠣と蒸し牡蠣とあさりの酒蒸しと、あと、うまいお酒とちょこちょことしたおつまみと。


・・・実は、あたし、牡蠣食べれないんですよ。

牡蠣から出るエキスは好きなんですが、あの食感がとにかく苦手で苦手で。


まぁ、そんなこんなでしたが、研究室のメンバーと先生を家に招待できて良かったです。あたしの部屋からあたしの性格・趣味嗜好も少しは理解していただけたと思いますし。


別れが近づいてくると、あたりまえの環境がとてもかけがえのないものに感じます。あまり積極的にコミュニケーションをとろうとしてなかったあたしでしたが、ホントは皆さんのこと大好きだったみたいです。

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