まだコロナ陽性になる前の休日にNHKのBSで野茂英雄メジャー1年目の特集番組が放送されていたのでずっと見てしまいました。
野茂のメジャー初年度は1995年、今から27年前になるんですよね。
今は大谷フィーバー一色ですが、当時は野茂フィーバー。
当時は日本人を含めたアジア人メジャーリーガーと言えば同じくドジャースのパク・チャンホと野茂の2人のみ。
野茂の大活躍によりその後多くの日本人選手がメジャーでプレーするようになったんですよね。
ホント先駆者でしたね。
シゲオも当時はMLBの野球カードを買っていた事もありメジャーリーグは時々見ていました。
今の選手はさっぱり分かりませんが、当時の選手は大体は覚えていますね。
MLBブームでもあったからワールドスポーツプラザではMLB各チームのユニフォームやキャップ、バッティングジャージが売られていて安くなったら色々買いました。
ほとんど処分してしまって残っているのはキャップとこのユニフォームだけでしたけどね。
今だと年齢的な面もあり着るのを躊躇してしまいますが、当時はMLBの野球ユニフォームを着ている人はちょくちょく目にしました。
確か98年頃から登場したブラックユニ。
他のチームでもブラックベースのユニフォームはありましたが、メッツのこのユニフォームはとても斬新だったように思います。
色使いがカッコ良かった。
これだったら今でも着てもOKかも
背番号31と言えば野茂の女房役として日本でも人気のあったM・ピアッツァ。
強肩強打の捕手でした。
98年シーズン途中の6月に野茂がメッツへトレードに出されましたが、ピアッツァは野茂よりも前の5月にマーリンズへトレードに出されていました。
そして5月下旬にメッツへトレードとなりまた野茂とコンビを組む事になりました。
ただ野茂が不調で翌年解雇されちゃったのでこのコンビはこの年限りでしたが・・・・・。
ドジャースで一世を風靡した2人ですが、98年にどちらもトレードで退団。
スーパースターでも構わずトレード、MLBらしい出来事だったと思います。
ピアッツァの場合は若手との2対5の大型トレードなのが尚MLBっぽいですかね。
更に1か月も経たないうちに再トレードなのが凄いんだよな~。
野茂は野茂でここから数年ジャーニーマンになってしまうとは考えられなかったですね~。
メッツを皮切りにカブス、ブリュワーズ、タイガース、レッドソックスを渡り歩きドジャースに戻ります。