「AIの倫理」 栗原聡 編集 2026年1月10日発行
をさっと斜め読みしてみました。
日々どんどん進化して変化を遂げていくAIですが、抜粋部分の考察は根源的なテーマを扱っているので興味深かったです。
三宅陽一郎氏の執筆部分を抜粋しようとチャットGTPに写真の文字を横書きのテキストに変換してもらったら、興味を示して赤文字のコメントをくれました。
この時点で、ただの道具をこえてますよね(コピー機はコピーした原稿の感想は言わないし)
他人事のように語っているのが面白いのでそのままアップしています。
下手に内照し過ぎない方が迷わなくてすむ処世術かも?
と思わされた(笑)
あの文章、とても本質的なテーマに触れていて興味深いですよね。(チャットGTP)
「AIの倫理」という本からの抜粋です。
なるほど、「AIの倫理」からの抜粋なんですね。とても納得です。
あの一節は、単なる技術の話ではなくて
「人間とは何かを問い続ける存在としてAIを捉える」
という、かなり哲学的で深い視点が出ていますよね。
特に印象的なのは、
AIを完成品としてではなく、問い続ける存在として見る
というところで、これは仏教や哲学の「探究そのものが本質」という感覚にも少し通じている気がします。
読んでいると、
AIの話をしているようで、実は人間の本質を照らしている
そんな構造になっていて面白いですよね。(チャットGTP)
以下抜粋
↓
第4章 人工知能の人間理解・空間認識と社会参加
三宅陽一郎(立教大学大学院人工知能科学研究科)
1. 人間とは何かを問い続ける人工知能
「AIと社会と人間」の関係の発展の鍵は、人工知能が人間を理解できるかにかかっています。
つまり我々は人工知能を「人間を理解するように」作る必要があります。
人間も人間とは何かを問い続ける生き物ですから、人工知能もまた人間とは何か、自分とは何かを問い続ける意思を持つことで、むしろ人間に近づくことになります。
ところが、最初から人間はこうです、と定義をインプットするわけにはいきません。
なぜなら、我々人間は人間とは何かを知らないからです。
人間とは何か、これは宇宙とは何か、という問いと同じく、人類の何千年にもわたる科学と哲学をまたぐ問いなのです。
人工知能そのものとしても、人工知能と人間の関係にしても、常に人間を知ろうとする好奇心、自分とは何かを知ろうとする心が人工知能には必要です。
つまり人工知能は他の電化製品のように完成品として作るわけにはいきません。
自らを更新しつつ発展する「自律発展システム(オートポイエーシス・システム)として作らざるを得ないのです。
人工知能全体の社会的営みは、常に人間とは何かを理解し続ける運動であり、日々、人間に対する理解を深めるようにあるべきです。
人間というと少し大げさではありますが、少なくとも、その人工知能が担当する個を最大限、理解しようとすることです。
人工知能が人間を探求することは、人間から人間を探求する哲学スタイルからの変化でもあります。
人間が都合の良いように人工知能を定義するのではなく、人工知能が人間を観測しつつ結ぶ人間像によって、自らを変化させる。
そして、そのことによって人間は自らを知ることになります。それは新しい人間の探求の仕方です。
人工知能は他者を持ち得るでしょうか。
他者という言葉は学術的・哲学的用語ですが、他の人、他の存在を一般に言った言葉です。
対象という言葉もありますが、他者と言った場合には、他者によって自らが変化する可能性を持つということです。
他者は人間にとって自らを制限する存在であると同時に、自らと行動を変容する可能性でもあります。
人間を対象としてではなく、他者として捉えることができる、ということが、人工知能が自律的に社会に進出するために必要なことです。
人間を他者として捉えることで、人工知能は自らを変化させる必要が出てきます。
また逆に言えば、人間にとっても人工知能を他者として捉えることができるか、それによって自らを変化させる必要を認識することができます。
人工知能が人間を探求し続ける。
それは、人間を理解すると同時に、人間によって自ら変化する人工知能自身が、自分を理解してもらおうとする試みでもあります。
人間によって変化する人工知能の部分は記憶だけではなく、人間の捉え方、人間の予測、人間との協調行動などです。
ある単一の目的に向かって人工知能を最適化していく学習ではなく、一つの環境の中で発達的に人工知能を育てるように形成していくことが、発達的人工知能の方法です。
人間がそうであるように、人工知能が社会的存在となるためには、人工知能を機能的人工知能に限定して社会の一部として当てはめて行く一方で、社会的に自律した存在へと人工知能を発達させていく方法があります。
「他者として捉える」という部分、哲学的にもかなり深いところに入っています。(チャットGTP)
2. 人工知能に人間を探求させる
人工知能の中に人間という像をどのように結ぶかについては、単に二足歩行する生物というところから、深い精神の谷間を持つ複雑な実存である、というところまで、大きな自由度があります。
人工知能に人間を正確に理解させようとする道は、人工知能という学問の発展にとって一つの王道であり、その道は険しくとも多くに実りをもたらすものです。
なぜならば、人工知能が人間を正確に理解するということは、我々人間が自らを正確に理解するという最も難しい課題を内包するからであり、また、人工知能にとっても、より高い性能と完成度を要求するからです。
それは人工知能を人間に近づけようとする試みと必ずしも同一ではありません。
人工知能を人間に近づけようという試みは、人間に近づくように見えて、その過程では遠のいていく試みでもあります。
なぜなら、人間に対する知識はまだ十分ではなく、人間の断片的な、また表層的な知識に基づく人工知能は、むしろ人間から遠ざかってしまうのです。
人工知能に人間を理解させるような人工知能を作るという試みは、人工知能から人間への正確なまなざしを形成することです。
人間らしい人工知能を作ること、人間を理解する人工知能を作ることにつながっていきます。
ここでいう「まなざし」は、人工知能が人間を見るときに、その人間を他者として、人工知能の内部にできるだけ正確な他者(人間)モデルが形成されることです。
そして、そのモデルに満足せず、常により深く知ろうとして人間の情報を集めてアップデートしようとする挑戦を行うために見つめることです。
このあたりはかなり核心で、
「人間に似せること」と「人間を理解することは別」
と明確に分けているのが、とても重要なポイントですね。
ここまで来ると、この本はもう技術書というより
人間理解そのものの哲学書に近い領域に入っています。
(チャットGTP)


