こんばんは。


今回は、息子の話しではなく

母の話し。


ブログに書こうか悩みましたが

同じ難病の方に、母と同じ辛い思いをして欲しくない思いと


私の気持ちの整理の為に書く事にしました。



母の異変に気がついたのは昨年の12月10日頃。

その日、

私は、片道1時間30分くらいの実家に行きました。


年末に帰る予定でしたが

何となく、母の糖尿病のお薬を確認したり、様子を見に行きたくなって


息子の作業所の送迎の合間に急いで向かいました。


実家の母は、炊事や洗濯、掃除もできており、

私の弟(母にとって次男)と暮らしてました。


弟はとても面倒見が良く、母を気晴らしにドライブに連れ出したり、手の込んだ(油や火を使う)料理は、弟がしていました。


弟は、母の通院があると

処方箋や検査結果などを、私に写メで送り

「見てやってくれ」と言うので

チェックして、分かりやすく今の状態や

お薬の確認などを母に電話で話してました。


週に二回くらい電話でたわいもない会話をして

母が様子が変わってないか確認してました。


ただ、実家には

年に4回位しか行ってませんでした。


なので、12月に会った時、

また歳をとってきたなぁと感じて寂しさもありましたが、

まだ78歳。

しばらくは安心だと思っていたのです。


お茶を飲みながら、ふと母の袖口から見えた腕に

赤いアザのようなものが見えました。


「お母さん、腕、どうしたの?」

私が聞くと


母は

「ああ、毎年、冬になるとかぶれるんだよ。

それで、暖かくなると治るんだよ。痒くてね。」

と、答えました。


私は母の糖尿病による皮膚症状も心配だったので

「足は?つま先は?」

と、確認しましたが異常ありませんでした。


翌日、保湿剤と痒み止めを送りました。


それから1週間位して

母から

「痒くてさ、あちこち痒くて、いつもの内科で見せたらお薬出してくれたんだよ。」

と話ししてました。


ステロイド剤と保湿剤でした。


そして、更に3日位すると

弟から連絡がありました。


「便座に血がついてるんだよ。どうやら皮膚が良くないみたいだ。水膨れができて潰れたみたいだ。あちこちできてるみたいだ。どうすれば良いんだか分かんなくて。」

と、少し不安そうでしたので


「悪いけど、皮膚科行ける?」

と話し


弟が皮膚科に翌日連れて行きました。


『水疱性類天疱瘡』との事でした。

糖尿病のお薬を止めて、服薬と軟膏がスタートすると言う事でした。

私はすぐに調べましたが


母は糖尿病もあり、高血圧もあり服薬しています。これから服薬するお薬はこれらを悪化させてしまうのでコントロールの為に入院して治療が望ましい事が書いてありました。しかも、検体をとらないと病名もハッキリしないようなので

そこがとても引っかかりました。


しかし、私は医者ではありません。

にわかに、調べた事が医師の治療と違っても

疑うのはおかしい事だと思いました。


とにかく、肌に刺激が少ない下着をすぐに買って送りました。



そして、ちょうどお正月で実家に行きました。

皮膚の痒みは、痒み止めで少し楽になってる気がすると言うのですが

水膨れは、身体のあちこちにできてました。


私は「先生は難病指定医なの?」

と、弟と姉に聞きました。

(姉は実家の近くに住んでいて、ほぼ毎日、実家に来てましたが、母と相性が悪く、あまり会話もしてませんでした。)


2人は

「難病指定だよ。」

と答えました。


私は、入院を勧めない事に不信感が増しました。

感染症を起こしやすい状態で、処置も通院日しかできないですし、

しかも、お薬が効いてると思えなかったんです。


そして、今だから思える事。


私が、悪かった。


不信感があったのなら

母を自分で総合病院に連れて行けば良かったんです。


すべて、弟に押しつけていたんです。


母や弟を、苦しめる事になったのは

私のせいなんです。


その後、何度か通院があり服薬が続きました。

入浴はあまりしてはいけないと言われたらしく

時々シャワーを浴びているようでした。

感染症が心配でしたが

医師の指示なら正しいものと思いました。


そして、

1月22日

母は動けなくなりました。


朝、弟が電話してきました。

朝、6時でした。

「動けなくなってるんだよ。手伝おうと思っても

痛いからって、触るのを嫌がるんだよ。

あと2日で通院日だから、それまで我慢するって言うんだけど…。どうにも俺にはできなくて...。

今日、9時に病院に連れて行こうと思うんだけど、どうすればいいのか...。」


弟は震える声で泣きながら言いました。


私は

「救急車呼ぼう。動けないんだから。

もう、限界なんだよ。病名言って、通院している事、悪化して動けなくなった事を伝えて、呼んで。」

そう伝えました。


弟はすぐに救急車に電話。


救急隊の人にも痛がって泣き叫んでいたそうで、

自分の毛布に包んで搬送されたそうでした。


姉にすぐに電話して

病院に向かってもらいました。


弟の事も心配でしたから。


弟は、この時、私に電話するのも迷ったのだと思いました。

私が、息子の事で日中かかりきりになってる事、

夜勤をしている事、

そういう事を知っているので、色々相談できなかったのでしょう。

現にこの時も、いつもマナーモードにしている事が多くて、普段なら着信に気がつくのが遅れたかも知れなかったんです。

たまたま、夜勤が終わったところで携帯に目をやったら弟から着信があったんです。


私は、

ダンナが有休をとり、息子を見ていてくれるというので

そのまま病院に向かいました。


もう、1秒でも早く着きたくて焦ってましたが

何とか気を鎮めて向かいました。


着くと、姉がロビーに下りてきました。


そして、私に

「近づかないで!」

と、言いました。


私は県外の人間です。


コロナ対策の関係上、

私は、入院患者に会えないと言う事でした。


なので、私に近づいて

姉まで、母に会えなくなると困るからでした。


2メートル位離れた位置から

母の状態を聞きました。


入院になる事、

弟が付き添って、色んな検査に回っている事、

皮膚からガーゼや下着や服を剥がす処置が激痛で、泣き叫び続けて病棟に母の声響き渡り、

弟がたまらず泣いてる事。

この処置が今日一日続く事...。


私はせめて処置が終わり、弟がくるまでは病院の側にいる事にしました。


病院から500メートル位離れた薬局に

入院の時に必要になりそうな物を買いに

1人で歩いて行きました。

涙が溢れて止まらなくなってました。


そして、薬局でボンヤリしていると

姉から電話。


「今、検査が終わって

入院になるんだけど、今のタイミングなら

少しだけ会って良いって。すぐ来て!」


急いで薬局を飛び出しました。


多分、学生の時以来の全力疾走だったと思います。お母さんに会いたくて必死で走りました。

「お母さん、お母さん」

いつの間にか口から声が出てました。


そして、病院に着くと

姉がロビーにいて、いっしょに処置室へ。


まだ、処置中で

病棟中に母の泣き叫ぶ声が聞こえました。

廊下に弟がいました。

「ダメだ。聞いてられないんだ。」

と、泣いていてトイレに向かいました。


20分くらいして処置が休憩に入り、処置室へ。


冷や汗と涙でびっしょりの母が横たわってました。

もう、指一本動かす事はできないそうでした。


もともと、目も悪い母。


私が声をかけると

「ああ。来たんか?」

と私の方に顔を向けました。


「うん。来たよ。

お母さん、痛かったね。

けどさ、病院に来れて良かったんだよ。

これで安心だね。看護師さんも優しいし、

先生もいるから大丈夫だね。

お母さん、今日が1番痛いんだよ。

これからは少しずつ楽になるからね。」

と、声をかけました。


母は、

とても、病院や施設などに不信感が強い人でしたが

「そうなんだよ。看護師さん優しいし、

ここにいたらボケないね。先生がいるから良かったよ。」

子供みたいに、すがるように言うのでした。


先生がいらして

病状の説明をしました。感染症を起こしていて

しばらく入院になると話されました。

また、治療により糖尿病が悪化する可能性が強いので

内科と連携する事や、これから予測される処置の説明、検体検査をする事、予後の見通し(退院時も水疱は1から2個は残るし出来続けるとの事)、これから先、ずっと通院と服薬は続く事になる事を説明されました。


そして、もう退院まで会えないと話されました。


私は「お母さん、ここにいれば大丈夫だよ。

家で、ちゃんと処置できなくて、どんどん悪くなって怖かったよね。もう、家に帰ってもそうならないようにするから、先生や看護師さん達に治してもらおうね。」

そう話しました。


母は、

「そうだね。入院できるから良かったよ。

またね。」


そう答えました。


私は母の顔を忘れないように見ました。


先生と看護師さんにお願いして処置室を出ました。


まだ、2時間くらい処置がかかると言う事で


姉と私は入院準備を揃えに実家に行きました。


母のパジャマ、下着は、

洗濯しても落ちない血液の跡がありました。


それをすぐに処分して

必要な物を買い揃えました。


「服も下着も靴もたくさんあるから要らないんだよ。」

が口癖の母でしたが

ヨレヨレの物が沢山あって悲しかったです。


退院してもキレイな服や下着を着て欲しいのでたくさん買って置いてきました。


それから、弟を病院に迎えに行きました。

(救急車に乗っていったので帰りはタクシーで帰ると言ってたので、姉と迎えに行きました。)


母のガーゼや下着やパジャマを剥がす処置は途中までしかできなかったようでした。

(一日がかりでしたが、身体中に張り付き

滲出液も凄くて、これ以上は危ないとの事で

分けて剥がすそうでした。)


弟は、

『家を買っても1人になったな。』

と悲しそうに話しました。


私は、そのまま家に向かいました。

帰りの車の中でむせび泣きました。


母の痛がる声。冷や汗で疲れ切った顔。

呂律も回らなくなってた事。

随分、入浴できてなくてベタベタした髪だった事。

最近まで動き回ってたのに、指一本動かす事が出来なくなって事。


それを弟が1人で悩んで抱え込んでた事。


母との電話で

「痒み止めが効いて良くはなってきてるみたい。」

て言葉を鵜呑みにして、分かろうとしなかった事。


もっともっと、会いに行けば良かった。


色んな感情と想いで涙が溢れてきました。


運転できなくなり、途中でコンビニの駐車場で泣きました。

ダンナに電話しました。

「お風呂入れるようにしたから

帰ったらゆっくり入りなね。」

ダンナは優しく言いました。


お母さんもお風呂入りたかっただろうなぁ。

そう思ってまた泣きました。


今、こうやってブログに書いてても涙がどんどん溢れてしまう。


家に帰って、

お風呂に入って、

息子とおしゃべりをいつも通りしました。


けど、息子は私が泣いた事に気がついているようで心配そうにしてました。


その日の夜、

私は

母が家に帰ってきたら

出来る限りの対策をとって、

2度とこんなに苦しまないようにしないといけないと思いました。

弟が1人で抱え込まないように


総合病院の患者支援センターに難病指定を受けられるか?受けられるサービスを使用するかどうか別として、分かる範囲で教えて欲しいと

ファックスしました。


そして、朝になって電話しました。


先生も読んでくださっていて判断ができたら

すぐに連絡しますと話してくださいました。

(数日後、すぐに弟に説明してくださり申請もできました。)


コロナ禍の今、

看護師さんのお仕事がとても増えている事が改めて分かりました。


本来、家族がお見舞いに行きながら荷物を片付けたり、

本人に欲しい物があるか聞けば良いのに、

それも全て看護師さんがしてくださってるのです(感染対策上、面会禁止なので)。



嫌な顔せず、「大丈夫ですよ。」

と言って荷物を預かる看護師さんに有り難い気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。


今、抗生剤が効きが悪くて

新たな水疱もでき始め

滲出液が止まらず

血液製剤を使用し始めました。



かなり深くまで水疱で皮膚が炎症を起こしてるので、入院は2ヶ月以上はかかります。


今、本当に2ヶ月で退院するまで回復できるのか不安です。


正直、いつかまた母に会えるのか

それさえも分かりません。


毎日、少しですが電話で会話できるのですが

なるべく自然に会話したいのに

変に励まそうとしてしまいます。


そんな中、弟が寂しくないように

姉が毎日遅くまで実家で過ごしてくれるので助かります。


私も、出来るだけ

ダンナや息子の前では普通に過ごすように努力していかないといけないですよね。


なんだか、暗い話しですみません。


私も母親です。

大切な息子のためにお母さんに戻ります。


ブログを書いて

ちょっとだけ気持ちの整理ができる気がします。


息子の子供達に作った趣味の動画、

良かったら、身近なお子さんに読んであげていただけたら嬉しいです