中日ドラゴンズファンになった理由~ダウンスイング理論の弊害④~ | T2のももくんネコちゃんブログ

T2のももくんネコちゃんブログ

2003年生まれの普通の日本猫(♀雑種)、キジ白『ももくん』中心のブログです。

中学時代に指導者からバッティング矯正(ダウンスイング)をさせられ、

それが原因で野球が嫌い、進学後も野球とは無縁となる。

 

しかし、転機!就職先で軟式野球だが企業チームに入り、野球と再開する。

(前述のブログから)

 

硬式野球経験者もいるチームに放り込まれた俺だが

自分でもびっくりするくらいの秘めた長打力でルーキーながら

チームの主軸になる。

高校野球経験者を出し抜いてのだから有頂天だったし、

上位の大会でも結構、打っていたから

「野球なんてこんなもん」と舐めていた。(所詮、軟式野球だけど)

 

中学時代は、いやいや野球をやらされていた感だったし、

高校ではやってないし、だからいろんな意味(基礎・連携プレー・諸作法とか)の野球のイロハを知らないですよ。

でもこればっかりは常識の部類なんで自分で会得するしかない。

 

じゃ、どうしたか?

 

深夜、CXの「プロ野球ニュース」を観る事。

一時間番組だったかな、セ・パ全試合を徹底したダイジェスト版での

解説放送。

この時代のTVは、ゴールデンタイムの野球中継、巨人戦一辺倒だったが日陰者のパ・リーグも隔たりなく、プロ野球ニュースは公平にしていた。

観て、「こんな選手いるんだ、ピッチャーの配球やら、上手い打ち方するなぁ」と得るものは結構あったんじゃないか!

 

あと「パの球場、人がいない~」(苦笑)と再認識した。

 

出身が名古屋だからって単純な理由で

中日ドラゴンズ好きになった。

野武士野球・恐竜打線を率いた近藤貞雄監督

 

1番 田尾

 

2番 平野

 

3番 モッカ

 

4番 谷沢

 

5番 大島

 

6番 宇野

 

7番 中尾

 

8番 上川

 

判定に抗議する近藤監督

 

瞬間湯沸かし器と評され、退場も多かった人だが

策士でもあり、冷静沈着な面も持ち合わせていた監督だったと思う。

今でも好きな監督の一人です。

ちなみに好きな監督、順不同で 落合さん、ノムさん、広岡さん、関根潤三さん、稲尾さん、森さん(現 中日ドラゴンズ監督)とか。

 

82年当時、優勝した近藤中日ドラゴンズのメンバー。

 

今で言うと【埼玉西武ライオンズ】の山賊・野武士野球と似てる打線ではないか?

ただし、破壊力は今の所沢の方が凄いかもね。

 

のちにトレードされた田尾さん、上川さん、引退したモッカを除いて

星野さんが監督になると谷沢さんはユニフォームを脱いだ(脱がされた?)し、87年シーズンは平野、ゲーリー、落合、大島、宇野、中尾と

新恐竜打線を形成していたのだが、

翌年は平野さん、大島さんはパ・リーグに放出され、中尾さんは

レフトにコンバート~監督に尻に蹴りをいれられたり~巨人にトレードされ古巣のポジション(捕手)で中日に立ち向かうことに。

 

監督が変われば色々とありますからね///(近藤色の一掃?)

 

個人的には87年に落合さんが入った打線が当時の

ドラゴンズらしくて好みだけどね!

 

#7 宇野勝選手

自分のバッティングスタイルが宇野選手に近かったので参考にした。

 

ただ、宇野さんと同様に三振が多かったのも事実⤵

 

自分の持ち味の長打力をそのままに、

三振を減らして打率もアップさせる事ができないかと

ないもんねだり的な発想を画策。

 

そのヒントを仙台の県営宮城球場で、目の当たりにする。 

                                     続く。