みなさん、こんにちは!![]()
宮城県栗原市でベビーマッサージ講師として活動しています、佐藤ゆうかです!
今回は旦那氏との出会いから4人家族になるまでのお話しを書かせていただきます!!
3歳下の妹が産まれた頃から両親の仲がとっても悪くなってしまい荒んだ家庭環境で育ちました
そのせいか私は早く家を出たい、結婚なんて良いものじゃない、いつか別れが来るから深く関わることは良くないことだと思っていました。子供は羨ましいけど、私に子育ては無理だ、きっと良くない人生になるだろうから![]()
そう思ってました、付き合ったり、別れたりをなぁなぁに繰り返していたらあっという間に25歳、縛られ続けた家のしがらみからもようやく解放され、人質のように囚われていた兄弟たちも自立し私の役目は終わった
私は生きる希望がないけれど結局死ぬ勇気がない
痛いのも怖いし、死んだ先になにがあるのか分からなくて怯えていた
だからいつかくる死を待ちながら適当に生きていた、婚約するときも適当に返事をした。。。
でも、なんだか嫌になってやめた、相手もふらふらしていたしお互い様だね![]()
そんなとき後輩から呑みに誘われて行った居酒屋で後輩の先輩とやらに出会った
後の旦那氏である
会話したり、トランプで最後は必ず仲良くジョーカーの押し付け合いをした
旦那氏はババ抜きが弱いのだ、久々に笑ったのを覚えている
名前を聞いたら「北島三郎だ」と言ってきたが確かに顔が昭和っぽいし面白いからそれ以上聞かなかった![]()
旦那氏になんであの時名前教えてくれなかったの?と結婚後に聞いたら「おちゃめでしょ?てへっ☆」と…は![]()
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まぁ、似たもの同士だったってことかな
それから約一ヶ月連絡先も知らないので忘れかけていた頃後輩に誘われて旦那氏に再会、その日はご飯食べてライン交換して自宅へ帰ったけど、予定があって出かけた私が自転車で盛大に転んで足を負傷……
家を出てたったの2分で大惨事…もちろん家に帰りました![]()
仕事終わりの深夜にお見舞いのシュークリームを持ってきた旦那氏
そのシュークリームは食べることなく消費期限が切れた…ごめんなさい…![]()
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なんとその日から今日までずっと一緒に暮らしています
もはや笑い話です
次の日の初デートはうみの杜水族館でした
彼はなんと…
スーツで初デート&生き物観察![]()
付き合ったばかりだしなにも言えなかったけどちょっと笑いこらえてた1日
でもね、生きる希望なんかなかった20数年の中で初めて思い出に強く残った笑える日になったよ
だからこの瞬間から私は少しずつ変わっていけたんだと思う
私の出発地点の出生後、決して「普通」じゃなかったけど色んな困難や挫折があってなんとかこうにか乗り越えてきたから今がある。
困難に負けても起き上がれた私はここにたどり着いたけど、最初はこんな風には考えられなかったよ
もし知っていたとしても頑張れたかどうかは分からない…
恨むより、認めて受け入れることのほうがよっぽど辛い過程だからこそもう負けちゃってもいいかもって思った時も1度や10度じゃない
何度も言うけど死ぬ勇気がなかったから生きていただけ勇気の出す方向の違いだけでたまたま、たどり着いた場所
だけど良いことにも出会えたということを伝えることができる、誰かも同じ気持ちでいる、だからこのことをインスタやブログに書くことを決めました
旦那氏に出会えて、血の繋がりのない私たちを最愛の息子が繋いでくれて家族になれた
大好きでなにをしても幸せだった息子との時間
トイレさえ行けず膀胱炎を繰り返したけどそれでもいい、嫌だというならずっと側にいるね
だけど我慢できないときは移動式のベビーベッドを引いて見える場所でトイレや炊事を済ませた
だっこしてお風呂掃除したし、泣いて料理ができないなら自分は別に食べないでいいとすら思った
それだけ私にとって息子は生きる意味であり希望だった
妹がほしいと言い出した息子、不妊治療を5年したが妊娠しなかったから返答に困ったが、うん、そうだね!と明るく答えた
山ノ神神社で祈願するという息子と一緒に12月新しい家族が来ることを願った
なんとその2ヶ月後に妊娠
息子がまた愛おしい繋がりを呼び込んでくれて可愛い娘が産まれてくれてた
出産は切迫早産で緊急手術、娘は別の病院のNICUに運ばれた
帝王切開した次の日には病院を抜け出そうとして婦長さんに止められ、3日目は息子の幼稚園最後の運動会だったので痛みより行きたいが勝ってリハビリを頑張ったから外出許可が出た、本当はダメだけど!と念を押されたが時間限定で許された
わくわくしながら市をまたいで自宅に戻り運動会に参加した
保護者会会長として挨拶もしてきた、息子が司会をするから私は絶対にこの約束だけは守りたいとそれだけだった
息子が手を引いて挨拶台に案内してくれた
練習にも予定にもなかったことだ
我が子の成長と思いやりの深さに涙を堪えながら瞬きも惜しんで一生懸命な息子を見つめて運動会はあっという間に終わった
午後からはようやく娘に会いに行けるのでまだうまく出ない母乳を頑張って搾乳して持っていった、パパとにぃにからの伝言を眠っている娘に伝えた時、抱っこもできないし目もガーゼで覆われて、暴れないように固定され、口には大きな酸素チューブがあり鳴き声すら出せない状況だと説明されていた娘が動いて泣いたのです
母である私にだけでなく看護師さんも担当の医師の方にも聞こえて驚いていました
涙が出そうだったけど、罪悪感も含む涙は流したくなかった、ごめんねって何度も思った、堪えきれず毎晩泣いたけどこの子は必死に生きようとしているのに失礼だと思って力を振り絞って前を向いた
私はただ信じて返事ができない娘に声をかけ続けた、口が動く、愛おしい娘がなにか言いたそうにしている
「どんなわがままだって聞くよ、だっこしてと言われたらあなたが飽きるまでだっこする、おっぱいだっていつだって必要な限りあげる、だから元気になって、お願い……神様どうか…」毎日そう声をかけた
許された時間はめいいっぱい側にいた、おむつも変えられるようになってできることはやりまくった

36週の当日に産まれたにしては大きい2680㌘だったのでそこが唯一の救いでした
それがあったから回復が早かったと後から聞きました
医師からは危険だと言われていた3日間を家族から離れ1人で必死に生きようと頑張ってくれた娘
私は必死にできることを探して無事に帰ってきた後のため母乳を絞ったりできることをした
兄になった息子の祈りが届き6日で自力で呼吸が可能になり産院に戻れる事になって迎えに言った時、初めて対面したにぃには「おかえりふうちゃん、今日からはにぃにが守るからね、ママもふうちゃんもよく頑張ったね」と言ってくれてパパも驚いていた
パパも産まれてすぐ呼ばれて救急車を泣きながら追いかけて行き、私の代わりに説明を聞いて面会してくれて、私を慰めてくれて息子を立派に9日間安全に楽しくワンオペしてくれた
そしてベビーマッサージ講師になりたいという私に「ゆうかだけができること、伝えられることがあるから応援するよ、一緒に頑張ろう!できるサポートは全部するから」って言ってくれた
それは出会って9年、結婚して8年目の今も守ってくれているここ2年間の夕飯はパパが作ってサポートしてくれている
もちろん完璧じゃないし、ろくなことしないし、危ないし、息子抱っこしながら階段踏み外したり、花壇から転んできたり情けない部分も、子どもたちに怒られたりしている毎日だけど、この結婚は私にとって大きな意味があったと感じています
こんなこというと旦那氏調子に乗って怒られるような自体に発展するからあまり言いたくないけど、やっぱり一番に感謝している人のことから書きたかったから…
それからはなにもなかったかのように順調に、元気で表情豊かに新生児期を過ごし私達は幸福の時間を過ごした
このことがきっかけで、ベビーマッサージに出会った私
息子のときは予定日当日で産まれて次の日には母乳を40㍉も飲んだ元気いっぱいの3154㌘の赤ちゃんだったので深く考えずただただ幸せだった、でも娘の時の経験が私には大好きなネイルよりも大きくなっていた
この子の負担にならない働き方がしたいと思った
家で見ながら在宅の仕事、スケジュールも我が子に合わせた仕事じゃなかったら今の仕事を変える必要はない
だけど思ったよりもこの学び自体が我が子を育てるうえでとてもいい知識だった
それだけでも価値がある、その上で我が子を愛しているママの手助けができるこの働き方、そしてなにより遊び歌が苦手な私はこのシンプルな歌で我が子とただ向き合えるこの時間が好き
名前を歌うと笑ってくれて、1歳なのにマッサージしてほしいと「てて!てて!」と言って求めてくれるようになった我が子が可愛くて愛おしくて、成長を肌で感じた
だからこそ自身を持ってお伝えできるベビーマッサージ、赤ちゃんとの時間に取り入れてみてほしいと純粋に思います
最後まで読んでくださりありがとうございました!
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