先日、せせらぎロードを通って、安浦町の市原地区へ久しぶりに行きました。
あの頃のことを思い出しながら・・・
(2019年4月末)道は綺麗に舗装されていました。
(2018年7月半ば)前に進めず・・・
塞がっていた道が通れるようになっていました。
そして、一応仮処置はされているものの、あまり変わらないようなところもありました。
(2018年7月半ば)
(2019年4月末)今も生々しい災害の後
こちらも日常の暮らしに追われ、発災後はほぼ毎日行っていた災害の現場への足はだんだんと遠のき・・・自分にできる事を探しながら、ずっと気になりつつ・・・
その間もずっと現場でコツコツ作業しているボランティアチームに申し訳ないような心持ちでしたが、これから暑くなるときに役に立てば、とヒヤロン、ウォータータンク、テントなど支援物資を届けて、少しヒアリングをすることができました。
(2019年4月末)傾いた電柱がなくなり、空が広くなったよう。鯉のぼりが泳いでいました。
ずいぶんすっきりと土砂は無くなっていましたが、広大な荒地の中で、地道に活動するボランティアチーム。田んぼに水を流す水路を復旧させるため、いまだに泥まみれで格闘しています。
(2017年7月末)災害状況を把握するために、ドローンを飛ばす石田カメラマン
(2019年4月末)同じ場所には、今もこうしてボランティアのチーム青山が入り、重機が入るのが難しい場所は人力で土砂をかき出し、水路の復旧を目指しています。
それぞれ、平日は会社員や主婦だったり、建設関係とは無関係の生活をしています。土日を中心に集まれるときに集まる、という感じで続けています。
小さい体を活かして、泥の中を物ともせず潜って作業する頼もしい女子も!
この日は、水をたっぷり含んだ重い泥を肩の上まですくい出すきつい作業。
それでも、時折ギャグも出るほど和やかな現場でした。
国や県の圃場(ほじょう)整備計画が出ることを念頭におき、住民の方々の意見を聞きながら、慎重に作業を進めています。
この市原地区の中村自治会長も、バリバリ作業をしています。
「なんとしてでも、この市原に緑や田んぼを取り戻したい!」という情熱が突き動かすのです。
そして、ボランティアチームも「中村自治会長の負担が少しでも減ればいいね!会長が一人では出来んことをお手伝いしようや〜!」という思いで作業をしているのです。
時には、業者さん、自治会長、ボランティアメンバーが集まっては現場を覗き込みながら「ここはど〜やって進めようかね?」と確認し、それぞれの作業内容を話し合います。
いつも何かしら問題が出てくるので大変です・・・
ボランティアをしてると「まだボランティアやってるの?」とか、「いつまで関わるつもりなん?」とか、「ええかっこしいか!」など、心無いことを言われることもあります。
いつかは圃場整備計画で修復されるのだろうけれど、いつかは何年先か何十年先なのか。
それよりは、今年の田植えができるよう、半歩でも前へ進めるよう、自分たちの出来ることをお手伝いするだけ。
ボランティアとか、そんなんどうでも良い、というのが彼等の本音です。
目の前に困ってる人がいたら、何か出来んかな~と思って手を差し伸べる、それだけ!
その思いに、深く共感します。
4月29日のみなと祭りでは、コミサポひろしまさんが、写真を展示し、募金を募っていました。こちらも、天応町や小坪、倉橋町とニーズがあるところに駆けつけて、息の長い活動を続けています。
続けることって、誰にも出来ることじゃないなぁ・・・とあたらめて思います。
そのほかのご報告としては、「KUREP」のボランティア活動は、新聞やラジオなどで紹介さたり、大きな組織から表彰されました。
思ってもみなかったことで、びっくり&嬉しい繋がりに感謝です。
そして、「ボランティアしてないくせに」「売名行為」「許せない」「はずかしい」、様々な言葉も耳に入ってきました。
クレアライン4車線化が決まりました。
災害復興住宅の建設が決まりました。
選挙も二つありました。
「災害復興」のイベントがたくさんありました。これからも開催されます。
令和の時代になりました。
GWの呉は観光客で大にぎわいでした。
災害から10ヶ月。
もう少ししたら、また、あの雨の季節がやってきます。
皆さんは、心をどこに持っていくのでしょうか。
備えましょう。
思いを寄せて行きましょう。
みんなで良くなりましょう。