1960~70年代は、
ベトナム戦争反対や70年安保闘争などの学生運動が
連日、ニュースのトップ記事にあげられるほど盛り上がりを見せました。


しかし、
私の大学入学の年

1972年にはほぼ消滅して、
残り香が漂うという表現が適切なほど
学内は落ち着いていました。

 

思想的背景はなく、

サークル活動の一環として

学生運動に参加するものとばかり思っていたので、

意外な感じがしました。

 

思想的なサークルといえば、
原理研(統一教会)やモルモン教
第三文明研究会(創価学会)の宗教系

政治系では

新左翼は地下活動に方針を転換していたので

民青(日本共産党)の姿しかみられませんでした。

民青に心がときめくはずもなく、

当時の社会風刺のコピーだった

「右手に角棒、左手に朝日ジャーナル」は

幻と化してしまいました。

 

数年前までは
中高校生も政治に関心を持ち

学生運動に憧れを抱きながら
反戦高協や反戦中協などいう組織が立ち上がりました。

しかしその反動は大きく、

10代から20代の若者たちの多くが

社会問題から関心が遠のく大きな転換期でもあったと思います。

「微熱少年」という映画がありましたが、
左巻きであることが美しい思えた最後の世代が

私たちだったのかもしれません。

左手に「朝日ジャーナル」は
慰安婦問題(後に誤報と謝罪)・沖縄のサンゴ問題(自作自演発覚)等

近年では保守系の論客の批判にさらされている

朝日新聞社から発刊されていました。


当時は、社会問題を提起する新聞社として
読売新聞と肩を並べるほどの発行部数を誇りました。

インテリは朝日新聞、巨人ファンは読売新聞と
購読している新聞で家庭環境がわかるようなことも
実(まこと)しやかに語られていました。

その朝日ジャーナルより特化して発刊されていたのが
「週刊アンポ」です。

 



べ平連代表の小田実が主宰として発刊された雑誌で
大江健三郎や高橋和巳、鶴見駿介、野坂昭如、横尾忠則、埴谷雄高 野間宏等

 

後に今川焼の店主になった深沢七郎(楢山節考)なども寄稿していました。

このような文化人の反戦の動きに対して

当時の政党(社会党・共産党)は 自ら一線を画すことを表明し、

新左翼は好意的にとらえたインタビューが残っていますので、

活動は反代々木に近いものだったようです。

私は0号は手に入らず、1&2号の2冊までは購入して読みました。
政治的色彩が強かったためか書店での取り次ぎがなくなり、
3号以降は読むことができませんでした。

私が高校生の時に発刊されていますので、
こまっしゃくれた「左巻きの微熱少年」だったことには

間違えありません。

千葉多田屋銀座店で購入しましたが、
中核派の新聞「前進」も一緒に並んでいました。
しかし
共産党の機関誌「前進」はありませんでしたので、
やはり、

学生運動の世間の認知はファッションだったのかもしれません。

 

活動を促すマル秘指令(1号より)





大学に入るや否や、政治活動には関心がなくなり

サーフィン、山登り、ディスコ等に明け暮れ、

読む雑誌もメンズクラブや、アメリカの雑誌に洋画三昧。

反米から憧れの米国文化へと変わってしまいました。


反戦活動を政治活動と結びついているわけでなく

あれはファッションだったのでしょう。


おかげで、いろいろな作家の作品と巡り会えたので、

知識だけは豊富になりました。