大学生時代にはまって読んだ作家のひとりに

大江健三郎がいます。

 

日本共産党との思想的なつながりが深かったようで

9条を守る会のポスターに

名を連ねています。

 

 

ここから今日の話題です。

 

10代後半では大江健三郎の作品をかなり読破しました。

 

 

全集から始まり

エッセイ集も買い揃えました。

 

一度はまると、

片っ端から買いそろえる性格は、

今の若者たちがフィギアや

押しの子に全財産を投げうつ姿と同じで、

文学少年だった訳ではありません。

 

当時の風潮は左翼系作家の時代であり、

その考えに共感することが正義でもありました。

 

しかしWIKIでは

日本共産党といわゆる新左翼勢力との関係は、敵対関係が続いており、

お互いが「権力の手先」「修正主義」「反革命」などと非難しあっている

と書かれている通り、左派の過渡期でした。

 

民青は新左翼に対してはニセ左翼と批判し、

「暴力で自らの少数意見を社会に押し付けようとする、自由と民主主義の敵対者、という規定だ。外見的に左翼的な主張をしていても、その本質は民主主義社会に敵対する反社会的な暴力集団で、極右や反社会集団(通常、右翼的な傾向を持つ)などと同質のもの」と評しています。

(日本民主青年同盟中央委員会『ニセ左翼暴力集団批判』(1987)

 

 

網羅するほど読んだ大江健三郎も

あれから50年たちましたが、

エッセイ集のなかでも記憶に残っているものがあります。

 

「厳粛な綱渡り」もしくは「持続する志」のどちらかだと思いますが、

長野県の幼稚園に訪問した時の話が綴られていました。

 

園庭の遊具の中に、キノコ型の家が数棟たっていました。

 

幼児の安全のため、

家の入口(解放部)は職員室の方向に向けて設置されていましたが、

一棟だけ他方を向いていたので理由を尋ねました。

 

園長の説明では、

先生に怒られた時にひっそりと泣くための小屋とのこと。

 

注意をされて泣く姿は

幼児でも見られたくないものなのでそのための施設。

園長の幼児への思いが書かれていました。

 

これを読み

自分が園児だったころの話です。

 

遊び時間が終わり教室へ入るように促されたのですが、

砂遊びの区切りがつかなく友達と続けていました。

 

先生がしびれが切れたのでしょうか

「いつまでも遊んでいなさい。」

言われたので友達と遊び続けました。

 

そのうちに

他の先生がきて園長室へ連れていかれ、

しばらく待機させられた後、

「なぜ、ここにいるのかわかりましたか。

 わかったら教室へ戻りなさい。」

とのお言葉。

わかりませんでしたが、教室へ戻りました。

 

このエッセイを読んだときには

子どもへの深い愛情を感じ取りましたが、

「個人的な体験」から

園児に大人の思いなど感じ取れないだろうとの見解。

 

ちなみに

灰谷健次郎(教育評論家・今でいう尾身ママ)

「ウサギの目」という著書には

 

「子どもには発達段階がある、

 理屈でいっても理解できるわけがない。

 悪いことをして見つかれば、こんなひどいめ目にあう、

 だから、悪いことはやめたほうがよい。

 このような指導法もある」

 

とどのつまり、

「理屈抜きで、逃げ場なく、徹底して怒れ。」

のようなことが書かれていたような一文があったような気がします。