同じ香港の話題です。
40年ほど前に〇藤さん(SMの項で登場)と
香港経由で中国へ遊びに行った時のことです。
このときはツアーで参加をしたのですが、
現地のツアーガイドより
フリータイムの過ごし方の説明がありました。
オプションではなく自由行動を選んだ人たちに
「九龍城砦」の中には入らないよう注意喚起がなされました。
今は解体されて公園となっていますが、
当時はダークプレイスとして有名な地区で、
中に入ると迷路のようで、案内人なしでは脱出できないとのことでした。
ここでは、
興味本位で入った外国人が行方不明になることが多いといわれていました。
迷路に迷いは言った挙句に金品を奪われ、
そのまま殺害されて「点心」にされてしまうなど、
まことしやかに言い伝えられていましたが
真偽のほどはわかりません。
私たち2人は中に入ることはありませんでしたが、
英国領の時代のことなので、
アジアと欧州の文化が交じり合う
混沌とした街でした。
WIKIより抜粋
1960年代後半から1970年代にかけては鉄筋コンクリートのペンシルビルに建て変わったものの無計画な建設のために九龍城砦の街路は迷路と化し、「九龍城には一回入ると出てこられない」とも言われるようになった。
また行政権が及ばなかったために売春や薬物売買、賭博、その他違法行為が行われ、中国語で「無法」地帯を意味する「三不管」(サンブーグヮン)の地域と呼ばれるようになり、黒社会(暴力団)である三合会の拠点となっていた。
そのため、イギリス領である香港領内での認可を受けておらず、
中華民国および中華人民共和国内のみで通用する免許で開業した歯科医院や
海賊版の出版物の出版、コピー商品の製造、麻薬の取り引きなどが半ば公然と行われていた。
また衛生法上許可し難い環境下での中華料理の点心製造などがあったが、
最盛期には香港のホテルや飲食店で使われた点心のかなりの割合を請け負っていたとの説もある。
城内警備においては1970年代後半から1990年代にかけて住民達が一丸となり自警団を組織し治安の改善を図った。
事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となる。
香港政庁の力が及ばないこの場所に
その後スラム街として肥大化する。
無計画な増築による複雑な建築構造と、
どの国の主権も及ばずに半ば放置された環境から
「東洋のカスバ」(アルジェのカスバ参照)、「東洋の魔窟」と呼ばれ、
「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。