映画「砂の女」の監督は、勅使河原宏でした。
勅使河原宏といえば、「草月流家元」です。
40年ほど前の昔の話です。

草月ホールで
勅使河原宏さんが舞台美術を担当した
能「重衡(しげひら)」という舞台を見に行ったことがあります。

落雷で裂けたあすなろの古木が闇の中に屹立するだけの舞台表現でした。
演者は観世栄夫で、
極まるころ、古木は満開の桜樹となる演出でした。

(ネットで探しても、これしかありませんでした。)



能には興味はありませんでしたが、
「何でも見てやろう」との好奇心から
友人の誘いにのり

鑑賞に至りました。

スーパー歌舞伎などと奇をてらった
伝統芸能がもてはやされていた時代でしたが
さすが能の世界
舞台美術は簡潔で、新鮮な仕掛けが潜む世界、
 
満開に咲き誇る桜の木の下で、
重衡が激しく舞う姿だけが印象に残っています。

永遠に成仏できない深い悲しみを表現しているとのことでしたが、
後にも先にも能のライブ鑑賞はこれっきりでした。


連れの言うことには
「歴史や年月を経て洗練されていくものがあるとすれば、
 能は古式を守り続けていく文化だ。」
などとどこかで聞いてきたようなことを語っていましたが、
私同様、理解して鑑賞をしていたかは怪しいものです。

草月流家元の勅使河原宏さんの話に戻ります。

亡くなった大正生まれの母親も「草月流」でした。

私の姉妹が池坊なので

母も「池坊」だとばかり思っていたのですが、
母親の終活を始めたころ、
手すき和紙に書かれた免許状が出てきました。
落款も押されており、
達筆すぎた「草月」の文字。

 

草月流の歴史から言えば、

日が浅いので手書きでも賄えたのでしぃう。

 

母の棺の中に入れてしまいましたが、
手元に残しておいてもよかったと後悔しています。

とはいえ、
私自身は生け花には何の縁もゆかりもありませんが、
どこかの言葉を引用し、
「動かない静的なものと変化する植物とのぶつかり合いの美」
だそうです。

 



彼は「華道」の他に「茶道」にも見識が深く
「利休と秀吉」という映画の製作もしています。
この映画は
「砂の女」とは違い、友人に誘われて鑑賞をしました。

歴史や茶道に関心のある方には評価の高い映画でしたが、
当時の私には
時代背景や人となりの知識はなく、

テーマも重いので
数時間が長く感じられた作品でした。

権力と切り結ぶ芸術家「利休」とのコピーがあり、

切り結ぶの意味が理解できなかったのですが、
70才にして「権力と切り結ぶ」の意味がわかるようになりました。

利休の有名な言葉で、
「花は野にあるように」と言うのがありますが
素朴な写実主義ではなく
花が自由に咲き誇っているように「自由に生けよ」ということだそうです。

「法則などに縛られるな」ということを伝えたかったといわれています。

 

勅使河原宏は

「他人の顔」や「燃えつきた地図」も映画化されていますが、

名画座で鑑賞しただろうという曖昧な記憶でしか残っていません。

そほど「砂の女」は印象の強い映画だったと思います。

ちなみに時と場所を替え3回は鑑賞していますので、

当時の若者たちに強い影響力を与えていたに違いありません。

 


 

勅使河原語録を集めてみました。

 

ものを習うということは、
一度自分を違う世界に入れて
ある緊張感を味わうことかもしれませんね。
そこで体験したことが自分にふさわしかったら続け
束縛ならやめればいい。
ものを習うということを、人生のきっかけにすればいい。
自分の今までの生活にゆさぶりをかけていく、
ということでしょう。

 



最近驚いたことは、
ロックを聞きに行ったとき、
若者たちが完全に一つのスタイルにのめり込んでいたこと。
立ち上がって両手を頭上にあげて拍手して。
全員一緒のことをやっている。
それを見てすごく怖かった。
今ほど自由に解放されて、日本ほど自由な国はないと言われる。
その若者がやっていることが完全に画一化されてしまっている。
しかも、
ロックコンサートという、自由なはずの空間で。

 

音楽や、そこにこめられたメッセージなど

どうでもいい感じでね。
皆と一色になりたいために出かけている。

 

 



昨今の若者は主体性がないと聞いていましたが、
本当ですね、今や。
僕たちのように、軍国主義に目隠しをされて、
画一化された檻に入れられていた時代の人間と、
こんなにあふらんばかりの自由がある時代の人間とが、
まったく重なる、ダブってしまうというのが不思議ですね。



今の人間は皆、
きちんとしたます目の中に入りすぎている。
関心のあるものは何でもやっていいのに、自分で自分の壁を作ってしまう。
そういう場に自分を閉じ込めないと安心できないという生き方もあるでしょうが。
しかし、そんな帰属意識はなくした方がいい、人間は。

 

勅使河原さん、没後20年以上たっているのですね。