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金平守人と呉エイジのまんが道



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金平です。




今回は私からの資料提供ということで、中学2年から付き合い始めた


漫画仲間の「夢詩人(ゆめしじん)君」の紹介です。


(※添付した画像は多分、高2ぐらいだと思う)




中1で同じクラスだったということもあって、親密になった呉エイジとも


中2のクラス替えで別れ、そこで出会ったのが夢詩人君であった。


彼は、頭脳明晰、成績優秀なうえに探究心と貪欲さを兼ね備えた人物で


さらにバリバリのアニメおたくという・・・。




そして、そこに惹かれた私が友達になりまんまとアニメおたくの世界に引きずり込まれるという・・・。




私の漫画人生における三大人物の一人で


「呉エイジ」から漫画愛を


「西布まさ」からライバル心を


そして「夢詩人」からアニメ愛を教わったのでした。






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彼が、私と出会う前にどれほど漫画を描いていたかはよくわからなかったが


少なくとも中2から高校にかけての画力の進化っぷりはハンパなかった。




正直、出会った頃は私よりも下手だったと記憶しているが


ほんの2年で確実に追い抜かれました。マッハで。


ーで「上手いヤツほど描かなくなる」の法則通り、やはり彼も途中でやめてしまった。


もともと、いろんなことに貪欲なタイプだったのだが


そんな彼が、当時こんなことを言っていた




「何故漫画にこだわる?楽しいと思うことをなんでもすればいいじゃないか」




たまにこの言葉を思い出し


「なるほど」と思う反面「自分にとって楽しいことは漫画しかないのだ」と思ったりもする。




結局、なんでも一つの物事を長く続けられるということは


「集中力」の賜物というだけではなく「欲の無さ」と「それしか出来ない不器用さ」が大きいのだな、と


彼のことを思い出すたびに考えてしまう。





呉エイジです。

あぁ、夢詩人。青春を共に過ごした鬼才。今はどこで何をしているのだろう。全くの音信不通である。

彼との思い出は尽きない。漫画仲間と夢前川の上流へ、テントを車に積み一泊二日のキャンプに出掛けた。

学校以外のプライベートでは野外で寝るなど私には初めての経験であった。

夢詩人はキャンプに慣れたもので、テントの作り方から、火を起こしてのキャンプファイヤーまで、旅をリードしてくれた。

そして川原に張ったテントで就寝。寝る頃から小雨が降り出した。

「大丈夫か?」

「大丈夫だわ。雨の日のテントも、おつなもんよ」

彼の言葉を信じてみんなで寝た。

翌朝、身体の周りがブヨブヨしている。回転ベットのようである。

一晩中降った雨のせいで川の水位が増して、テントの周りが水浸しになっていたのだ。

時間は朝の六時。

「お、おい、これヤバくない?」

「ち、ちょっとヤバイかな? みんな起きて全力で撤収!」

大急ぎでテントを片付ける。その一時間後、川は濁流になっていた。

あのまんま寝ていたら、きっととんでもないことになっていた。

全員ニガ笑いで、荒れ狂う茶色に濁った激しい川の濁流を放心しながら見つめていた。

奇跡的に全員無事。童貞のまま全滅だけは免れたのであった。
とろろいも創刊号(PDFのダウンロードリンク)


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カネヒラが中学二年の時に、ほぼ独力で作り上げたコピー同人誌、とろろいもの創刊号である。

この活動がカネヒラを更に上のステージへと引き上げた。

中学校一年の時、私と作った学級新聞と、二人の手製同人誌「少年ごっくん」それはとても児童雑誌テイストな同人誌であった。に比べれば、格段に洗練され、突然変異的な進化を見せている。

慌てたのは私であった。

奥付を見れば私の名前は無い。毎日一緒に登下校をしていたのに、いつの間にこのような同人誌を作っていたのか。

この作業は私に知らされることはなく進められた。

きゃつは私を驚かすことでモチベーションを上げているフシが昔からあったので、全部完成してから「どうだー!」的に見せつけてきたはずである。

私は目が点になって、それでも悔しいから「扉はアニメ雑誌をトレスしたんか?まぁまぁ上手く出来てるやん」と、本当は失禁寸前なのに強がってみせたはずだ。

奥付の二人の協力者、井垣君と大竹君、この二人が新しいブレーン(アニメの知識)となって金平の表現の幅を広げていったのだ。

中二の時に私は何をしていたのか。

思い出した。横溝正史の長編を一年間ぶっ通しで読み続けていたのだった。悪魔の手毬唄、犬神家の一族、悪霊島、三首塔でチンチンを少し膨らませながら更に読み続け、白と黒まで。

相当な量だ。今の中学二年は小説をこんなに読んでいるのだろうか。比べても多いほうだろう。

やはり思春期の頃に、私は活字中毒であったのだ。

アニメメインの雑誌であったが、私も参加したくてたまらなくなった。結果私は三号から参加することになる。

この同人誌を改めて読み返してみて、カネヒラの表現力は中学生にしてはやはり突出しているな、と感じる次第なのであった。


金平です。
まず、呉エイジの解説の訂正。
この「TOROROIMO(創刊号)」は中2ではなく、高校1・2年あたりである。
暗黒の高校時代を送りながら必死で生きるための逃げ道を探していた頃だ。

以前ここで紹介した中学時代からの漫画仲間「夢詩人(ゆめしじん)」君の
「BBジャーナル」というコピー誌に触発され、まるパクリで作ったのが
この「TOROROIMO」であった。
「BBジャーナル」は複数の仲間で制作されたバラエティに富んだ本だったが
高校時代の私にはそんな仲間がいなかった、ということで
結果的に一人で作っている。

更に、本を作って呉エイジを驚かせてやろうという気など全く無く
そもそもが、アニメおたくの私がアニメのことを書き綴る本だったので
当時から、アニメに対して全く興味の無い呉エイジを誘う理由が
なかっただけの話である。

ーが、どうやら、この本が呉エイジの「モノ創り魂」に火を点けてしまったようで
「TOROROIMO2号(レイズナーの表紙)」で私の一人遊びは終わり
3号から呉エイジ参戦、そしてニューウェーブコミック特集の同人誌へと
変わっていく。

思えばこの「TOROROIMO」のような「アニメ一人批評」みたいなものは
今だとホームページやブログで手軽に出来ていると思うが
本を作るという楽しさを経験できたのは
デジタル夜明け前のおかげであり、かけがえのない経験だったと思う。

ーで「TOROROIMO」の内容に関しては・・・
知識と教養と文章力のかけらもない驚くほどどうでもいい内容になっております(笑)
今見れば1986年にどんなアニメをやっていたかがわかる意味合いぐらいはありますが。

田舎物語(PDFのダウンロード)

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今回はおおひさしょう氏の「田舎物語」である。製本時のノリが原稿に染み出してきているので、他の原稿も早急にデジタル化しなければならない。

なんせ20年以上昔の手作りコピー同人誌である。

いろんな事を思い出す。この作品を読んだ時のこと。当時の私はツッパっていた。大友克洋や藤原カムイに心酔していた。

自分でもそのような才気あふれた作品が書けるはずだ。と妄信していた。だが私にそんな実力などなかった。

この田舎物語を前にして、あまりにも普通に流れる時間に物足りなさを偉そうに表明したかもしれない。だが、今読んでも分かりやすく、テーマが明確でタッチもムラがなかった。

全てが当時の私に欠けていたものであった。

おおひさしょう氏は姫路残留組で、筆を折った一人である。今更ながら惜しいとしか言いようがない。

私は小学校まではお山の大将を気取っていられたが、高校になって、おおひさ氏をはじめとした色んなカラーを持った同人に囲まれ、一緒に競う内に次第にコンプレックスに押しつぶされていく。

私の作品もアーカイブに加えたいのだが、以前にカネヒラに貸したまま東京に持っていかれてしまった。

カネヒラが東京に帰ったら郵送してもらう予定である。

そして私は漫画を創造する苦悩を書き綴った高校三年間の日記帳「雑記帳」というタイトルで三冊あるのだが、これを読み返せばかなり当時の事を補間できるのだが、この青春の三冊の日記を20年間、カネヒラへ貸しっぱなしになっているのだ。

書いた本人もその日記にどんな事が書かれていたのか、今ではすっかり忘却の彼方である。

カネヒラは仕事に息詰まると、今でもその雑記帳を取り出しては眺め、お互い漫画に明け暮れた青春の日々を思い出してはヤル気を奮い起こしているそうだ。

作者としてはそのような使い方をされて光栄ではあるが「オマエどんだけワシのファンやねん!」と、20年間敢えて言わなかったツッコミをここへ残しておくことにしよう。

今日は佐野元春のスポークンワーズを聴きながら作業した。ニューウェーブの漫画や佐野元春の実験音楽に当時、魂をガッチリ掴まれていたのである。

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そしてこの時の同人たちとの切磋琢磨の中で脱落し、漫画の筆を折った私は、失意の中、活路を文章とネットに見出し、精魂込めて組み上げたホームページ「Kure'sHomePage」を立ち上げるのである。

この時の敗北感がバネになっているのだ。

そのホームページは一日に平均で三千人から五千人読者が訪れた。一日で、ですよ。昔は相当ブイブイいわしておったのですよ。エッヘン。

今では信じられない数字である。「だめなやつら」を頑張ってみても一日100人が限度である(笑)

「Kure'sHomePage」の思い出や喧騒はまた断続的に書くこともあるだろう。あのホームページが今の「我が妻との闘争」に連綿と繋がってくるからだ。

そう。捨てられなかったのだ。創作から。結婚してもやっぱり私は物を考えて組み立て、それを披露して喜んでもらったり、意見をもらったりする世界が好きで、ずっとそういう世界に浸っていたかったのだ。
メイキングノスタルジア4(PDFのダウンロード)

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さて、今回は西布まさの登場である。メイキングノスタルジアシリーズの第四弾。

これで青春時代を漫画で競ったメンバーが出揃った事になる。

呉エイジ、金平守人、おおひさしょう、野武慎吾、そして今回の西布まさ。

夢詩人君も同人ではあったが、結局完結作を提出できず、会合には参加して話はしたのだが、結局作品は残せずに終息してしまった。

で、西布くんである。これは現在の状況を書いていいのか迷う所である。現在西布くんはペンネームを変えて東京で漫画に携わって生きているので、デリケートな話題になるため伏せて話を進行する。

このブログは至って私の独断の、勝手なノスタルジー保管庫であるからだ。

西布くんとは金平を介して知り合った。

色々と破天荒なエピソードを会う前から耳にしていた。学食代を浮かせ、水を飲んで空腹をしのぎ、浮いたお金でワープロを買った。など「とんでもない奴が来たな」と思ったものだ。

私も結構漫間(マンゲン、漫画人間の略)であったが、西布くんの前では霞んでしまった。

前回の野武くんも速筆であったが、西布くんは更に速筆であった。

ブルドーザーのように矢継ぎ早、作品を発表し続けた。

この当時はペンタッチも荒く、未完成であったので、そのイメージで西布氏の本質が覆い隠されてしまっているが、西布氏の特徴は、真面目で正当な、時に心情を過剰に吐露する、漫画的な表現を多様し、雑ながら色々な世界観を描いた所にある。

技術は作品を出す度に上達していった。

私は西布氏に底知れぬ物を感じ取っていた。作り手としては恐怖に近い感情だったかもしれない。うかうかしてられないぞ、と。

漫画にしがみついた執念と情熱で、西布くんは上京し、漫画家の道を目指す。

さて、この本で私とカネヒラはオールドタイプというコーナーでゲスト出演している。

ゲッターロボのコーナーである。この本を屋根裏から出してスキャンするまで、このコーナーの事はすっかり忘れてしまっていた。

で、読み直してみたのだが、これが超面白い。この文章アプローチは既に私の物書きの原型になっているではないか!と驚いた次第である。

絵にコンプレックスを持って、払拭できなかった私は、次第に文章へとシフトしていくことになる。

それはそのまま次の私の表現方法であるホームページ、Kure'sHomePageへと繋がっていくことになるのであった。


金平です。
彼は専門学校で知り合い、ほぼ同時期に上京した漫画仲間である。
呉エイジの存在は別格として、中学・高校時代の「夢詩人」に次いで
私にとって脅威の存在でした。
思っていること、考えていることを物凄いスピードで作品化出来る能力
これは、やはりモノを作る人間としては十分に嫉妬の対象であったし
そして、何より個人で同人活動をし、既にコミケにも参加していたという
アクティブさは、我々漫画仲間の間でも確実にトップクラスだった。

彼の漫画に対する真摯な態度に当時の私はかなり影響され
周りから見れば、みっともないほどライバル心を燃やして
対抗していたと思う。

中・高時代の呉エイジとの真面目ではあるが、半ばじゃれ合いのような
創作活動に喝を入れられ、本格的にプロを意識し始めたのは
彼と出会ってからだと思う。

まさに私の漫画人生を加速させてくれた、大事なブースター的存在の人である。


のちに「ALICE」という傑作大長編を描きあげるのだが
それは、私が大事に保存しているので、ここで紹介されるかは不明である(笑)
(何せ、大長編なので・・・)

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中学二年の後半か、三年の頭頃に書かれたと思われる呉エイジのショートショートである。

タイトルは「質問」となっている。

屋根裏に保管してある同人活動の記録をしまいこんだダンボール。何十年も封をしたままであったのだが、2012から刊行された藤子不二雄A先生の「まんが道」の愛蔵版を買って読むうちに、若い頃の漫画に打ち込んできた青春の日々が蘇り、一人で勝手にヒートアップしている始末なのである。

相棒のカネヒラは「ブラックでダークサイドな記憶が蘇る」と迷惑顔であるし、関係者の方々も「何を今更そんなに一人で勝手に熱くなっておるのだ」と苦笑していることだろう。

今回の中学時代のショートショート、こういう短いものは記憶から完全に抹消されている部類の創作である。中学二年にしては破綻なく書けているとは思う。オチの伝達の仕方が少々分かりにくくて伝わりにくくパンチに欠けるところもあるが「その年齢で君らそんなことしてみたの?」的な遠回しストーリーである。

こういう物は一晩でパッと書いて、別にカネヒラにも見せるわけでもなく箱にしまいこんだ作品だ。

私は当時一体何がしたかったのだろう。こういうものを書き溜めて短篇集でも編むつもりだったのであろうか。

この頃は相棒のカネヒラが夢詩人くんとアニメべったりの時期で、マクロスやオーガスライクなロボット漫画を書いていた頃だ。

デッサンやメカ描写がてんでダメだった私は、丁度フラれた格好になり、乱歩や横溝で得た興奮を自分なりに再現してみたく、一人部屋にこもって誰に見せるアテもない小説を書き溜めていたのだ。

結局、漫画でスタートした私は、思春期の結構な時間を小説と折半した御陰で、漫画は挫折したが物書きとしてはかろうじて生き残っている結果となった。

やはり思春期に熱中や吸収したものは、一生の武器になるのである。


金平です。
いや、実際困惑はしていないし、40歳も過ぎて一度自分の人生を振り返るのも
いいことだとは思うわけです。
ただ、一つ問題があるとすれば「若い頃の青春の日々」を今も延々と繰り返しており
100%地続きなので私にしてみれば、何を先週食べた焼肉を遠い目をして
「あの肉おいしかったなぁ」とか言うてんねん?という感じなのだ(笑)

時の流れは、過去を美しくしてくれるモンですが
その「時」が私にとっては短すぎてリアルすぎて、出来事と同時に
後悔の気持ちも思い出されてしまい、決して美しくはならないわけです。
まぁ、もともとダークな記憶しかないというのも事実ですが(笑)


呉エイジの言葉
「思春期に熱中や吸収したものは、一生の武器になるのである」
ーは、本当にそうで、あの頃アニメばかり見ていたおかげで
まさかこの歳になって役立つとは思いもしませんでした。

好きなモノは、それが何であれ
創作の肥しには必ずなるものです。

名画や名作を見ることだけが良いことではありません。
重要なのは、どれだけ好きで身も心も委ねられるモノか?
ということです。
人生に無駄は無いと痛感している今日この頃です。

ーあ、呉エイジのショートショートに全く触れてなかった!
中2で、あのブラックジョークが書けるとは・・・オマセサン!(笑)