「差別解消法」が4月からスタートして、公的機関での合理的配慮の義務化が行われる一方で、私立の機関へは努力義務を課すという、理解に苦しむ法制度になっている。
先日、筋ジスの学生さんとアメリカに行ってきたが、ADA(障害のあるアメリカ人法・1990年)によって、大型バス(リフト付き)や鉄道は車いすの乗降も楽であった。バスの前には、自転車を乗せる設備までついていて、車いすも自転車も同じ乗り物として、市民が違和感なく受け入れている。
9月下旬、アメリカ議会でADAを成立させるときに上院議員だった方が来日し、講演「ADA、26周年記念講演」があり、聞きに行った。「イギリス(ロンドン)では、タクシーにも車いすが乗れることが義務付けられている。アメリカは、まだそこまでいかないな」と言っていたのが印象的である。日本では、26年も遅れて、合理的配慮が法制化されたことになるのかと、ため息が出た。
イギリスの差別禁止法(DDA)は1995年に成立し、現在は平等法(2010年)として、引き継がれている。
イギリスの差別禁止法で注目したい内容として、障害を理由とした差別で苦しむ人の救済対象として、障がい者介護者にも範囲を広げたことがあげられる。介護者とは、「無償で、私的に障害者を介護するもの」ということで、主に家族が想定される。
この制度によって、介護者(家族等)が、完全にその就労が継続・保障されたかと言えば、必ずしもそのようにはなっていないとのことであるが、家族介護が、自助努力に組み込まれている日本とついつい比較してしまう。また、ため息が…
DDAの成立の背景に、障害を持つことにより、個人が他者依存的な存在として認識されることへの拒絶にあることや、DDAに課された使命が、主体的な個人としての平等実現にあることなど。この日本で、どのように推し進めていくのか。今、日本がそのスタート地点に立ったと考えるようにしたい。
保護者であろうと報酬の伴う介助者(制度により保護されている)であろうと障がい当事者個人の生活からいえば、すべて必要な介護や支援であり、その質に差はない。
制度の谷間や狭間の課題は、個別のニーズに特化しているために、制度として浮上してこないのかもしれない。
しかし、その個人からすれば、極めて重要な人生にかかわる支援の必要な手立てであることも多い。
How many roads must a man walk down
Before you call him a man ?
いったいどれだけの道を歩めば
人として受け入れられるのだろう
ボブディランがノーベル文学賞だそうだ。この歌詞に「ほんまやねえー」とうなづく。
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