あらそいをなくすということ 〜その1〜
こんにちは、bunです。「どんな世界をつくっていきたいか」この問い、1人ずつ答えは違うと思います。皆さんはどう答えますか?-----近年、毎年受講している、おうち整体®︎「こころセラピスト講座」。この講座は、座学だけで終わらせず、学びを日々の行動に取り入れ、実践していくことが本質です。先月の講座では、「世界をつくっているのは自分である」ことを踏まえ、「どんな世界をつくっていきたいか」について、グループメンバーと共に実践しながら考えるという課題がありました。・・・私、はじめは何も思いつきませんでした。自分が、世界に対して、どのようにアプローチしていきたいか、思いつくことがなかったのだと思います。といっても、これまで何も考えてこなかったわけではありません。むしろ、小さい頃から、人のために何かすることに憧れてきました。そして、一つの信念を見出し、そのために歩みを進めてきました。しかし気がつけば、その実現のため、私は過酷な競争に身を置く人生を進むようになっていました。私が居たのは、好きな道に進ませてくれるとても優しい環境でした。しかしそこに置かれた私は、自らの足を競争に進ませました。競争の中に身を置けば置くほど、更なる競争の中に進んでいく自分がいました。・・・競争は悪いものなのか?必ずしもそうではないと思います。かけっこ一等、試験の結果、試合の勝敗。おうち整体の施術コンテスト。・・・それ自体はいわば「結果」なので、それ自体に良し悪しがあるものではないと思います。その結果を祝うこともあるし、そこから奮い立ち飛躍する場合もあると思います。大事なのは、その使い方なのかもしれません。私の場合は、いつの間にか、競争の結果をそのまま人間の価値や優劣に繋げてしまう思考を持つようになっていたのだと思います。もちろん表向きにはそんなことには一切気づかずに生きてきましたし、自分がそんな思考回路を持っていたなんて思ってもいませんでした。しかし、潜在意識の中には、きっと潜んでいたのではないかと思います。競争の場に出て、勝つこともあれば負けることもあり、しかし勝ってもそれで満たされず、次のあらそいがくる。負けたら負けたで、うまく自分をなぐさめながら、社会のバランスの中で自分の存在意義を確認しながら再び生活していく…それを繰り返すたびに、いつしかその意味を見失い、何となく生きるようになり、自分の生き方に何となく疑問が晴れなかった…それが最近までの私だったのだと思います。そんな中で、心の学びに出会い、自分のことが少しずつ、わかるようになってきて、自分の生活のひとつずつを見つめてみた結果、私の考え方や、そこから生まれる行動の中に、いろんな形で、あらそいが含まれているのではないかと思うようになりました。自分の中のあらそいとは、目に見える喧嘩や闘争ばかりではありません。例えば、・他人より優位でいたい。・整体の手技が上手と言われたい。・仲間より先に悟りたい。(←こんなこと言ってる時点で煩悩ですね、苦笑)・なんか良いこと言いたい。褒められたい。・いいねがほしい。・弱いところを指摘されたくない。こんなことは、一見、あらそいに見えないかもしれません。他人にとっては、争いではないこともあると思いますし、こうした気持ちを抱いていること自体が悪いこととも思いません。これはあくまで私が私の中を観察して感じた例であり、これまでの人生で培ってきた私の課題なのだと思います。課題は、一人一人、表現も内容も異なるものだろうと思います。私の場合は、私の中に「あらそい」から生まれた棘がいくつかあって、それが私を痛めつけているように思えました。だから。まずは“自分の中のあらそい”を無くしていこう・・・それがあらそいのない社会をつくっていく、ことに繋がる気がしました。年齢的には、人生そろそろ折り返しかもしれない、そんな私ですが、これは新しい人生の目標だな、そう思いました。で、これでしばらく実践しながら模索していこうと思っていたのですが……やっているうちに新たな発見がありました。次のブログに書きます。