こんばんは、Mihoです。

先日、オンラインでの大学見学会があったので、参加してきました〜!

私も来年、受験生なので、そろそろ自分が目指す場所を絞っていかないと……。

その大学は私が気になっているところで説明に加え、在校生の方からもお話を伺えました。

その方たちは、私が在籍している通信制高校の卒業生さんです。

結論から言うと更に興味が深まって、今のところ、そこが志望かなぁと。

私が大学で学びたいこと、やりたいことが、その大学は揃っているため、理想に近い大学ですね。

今年はコロナの影響で実際に大学に赴くことができず、大学そのものの雰囲気を感じ取ることは難しいですが、在校生さんのお話を聞く限り、とても充実した大学生活を送っていて、楽しそうでした。

小学校の頃から「大学」という場所に憧れを抱いていたので、自分の本当にやりたいことができる大学に行けたら良いなと思っています。

そんな感じで高校2年っぽく(?)過ごしていました(笑)

 

さてさて、カンボジア旅行記、番外編ですね〜。

カンボジア最終日、夕食を取った後に行った討論会の様子を綴っていきます。

長々とした文章をずらずらと綴るだけになりますので、ちょこちょこ休憩を挟みつつ、読んでいただければ良いのかなと思っております〜。

 

討論の内容は「キリングフィールド」、「トゥールスレン虐殺博物館」で見たもの、感じたものを考え、まとめて自分の考えと共に発表するというもの。

ブログという自分の考えや感じたことを綴る場所がある私ですが、内容が難しかったのもあり、自分の考えをまとめるのが大変でした。

普段、日本で過ごしている中では、考えないような言葉の意味、自分が感じ取ったものを言葉にする。

上手く言葉を探すのも難しかったです。

その中で私が考えたのは「人間性」というものでした。

 

「トゥールスレン虐殺博物館」の音声案内の中に「人間性が奪われた瞬間」という案内がありました。

まず「人間性」とは一体、何なのか。

音声案内の中では、収容された人々が名前や「彼」、「彼女」という三人称ではなく、「あれ」や番号で呼ばれた瞬間を「人間性が奪われた瞬間」と言っていました。

しかし、番号で呼ばれることに焦点を当てたら、刑務所では、囚人番号が使われ、番号で呼ばれることになり、名前は呼ばれない。

他にも、悪意あるあだ名や良い意味ではない言葉を誰かを指すことに使ったり。

「人間性が奪われる」。

そんな瞬間は残酷な歴史上だけでなく、私たちが何気なく過ごしている日常の中にもあるんじゃないかと考えました。

 

そもそも「人間性」を言葉で表すのは難しく、どういったことが「人間性」なのか。

ネットで調べると、人間に生まれつき備えている性質を指す言葉、と出てきます。

でも、それだけが正解じゃなく、人それぞれが持つ、考える「人間性」というものが世の中にはあるのだと考えました。

なので、カンボジアには「暗黒時代」と呼ばれる時代が歴史として残っているのではないでしょうか。

 

しかし、人を人として扱わないというのは意外と身近なものでもあるとスタッフさんが話してくれました。

LINEやメール、SNSの類。

文章で相手や不特定多数の人たちにものを伝えます。

その場合、相手を「ユーザー名」、「アイコン」などの数字や記号化しています。

そうすることによって、コミュニケーションを楽にしているのではないか、と。

簡単に自分の伝えたいことが伝えられる、言える。

その一方で言ってはならない言葉も簡単に発信できてしまう。

普段、使うことのないような言葉、口にしてはいけないと分かっている言葉を文字で伝えることができてしまう。

それは生身の人間同士が向き合っているのではなく、そこにいるのが数字やアイコンに置き換えられた分身のようなものだから。

でも、受け取った数字やアイコンの中にいるのは「人間」。

 

文字や言葉で伝えるのは「難しく」もあり、「簡単」でもあるのだと思います。

 

自分の考えをまとめて、文字にする。

自分の思っていることを文字にする。

 

文字にする前に考え、どの言葉が適切なのか、時間を置けば分かることですが、相手を数字化、アイコン化することによって、その「考える」という行為を省いているのかなと考えました。

 

皆さんはLINEやメールなどで受け取った文章などを一つひとつ相手が何を思って、書いたのかと確認することはありますか?

確認する人はほとんどいないのではないかな、と思います。

私もすることはありません。

それは相手を知っていたとしても、通しているのは「スマホ」、「パソコン」などという機器で相手の表情、声、仕草が見えない、聞こえない状態。

だからこそ、伝える手段が「文字」だけにな流ことによって、普段、使っている「文字」が武器になってしまう。

相手を数字化、記号化することによって、コミュニケーションが楽になるぶん、考えて、発信することを怠ってしまうのではないか、と考えました。

それが私が討論会で発表したことです。

 

その時は考える時間も短く、上手くまとめることができませんでしたが、時間を置いて、再び考えてみるとこういうことでもあるのかな、と思う節がいくつかあり、その部分もこちらに書かせていただきました。

「人間性とは」。

難しい題材ですが、考える良い機会になりました。

 

皆さんは「人間性」とはどういったことだと思いますか?

 

正しい「人間性」。

間違った「人間性」。

その境目はとても難しく、存在自体すらあやふやなものなのかもしれないですね……。

 

今回は「私」が考えたことをお伝えしました。

次回は他の方の題材に触れたいなと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!