ちゃおお願い

クラジュンです。
 
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この本は私が何度も読んでいますが
 
今回また、この本を読み始めました。
 
内容は毎回刺さる言葉が変わります。
 
今回は特に、この部分が刺さりました。
 
 
 
「私たちの環境を構成しているさまざまな状況は
どれもがみな、
それぞれに、その時点における私たちの全人格のあらわれである」
 
という意味ではありません。
 
「私たちの環境を構成しているさまざまな状況は
どれもがみな、
それぞれに、私たちの人格を構成する特定の重要な要素のあらわれである」

 

 

特定の重要な要素。

 

ここに意味があるなぁと思ったのです。

 

この特定の重要な要素。それを原因と結果の法則では

 

私たちが自分の人格のなかに組み込んできた思いの数々が、

私たちをここに運んできたのです。

 

思いが私たちを

私たちの思いに対応する場所に連れていく。

 

そういうことなのだと思いました。

 

一生懸命真面目にやっているということは共通なのに

ここに大きな成果が表れている人と表れていない人の違いが

現れるなと思ったのです。

 

例えば、Aさんは

 

本当に一生懸命仕事を行っています。

 

けれど、Aさんは常に、こう思っています。

 

「こんなに一生懸命やっても俺は一向に報われない」

この思いを抱えたまま、一生懸命頑張っているのです。

 

それに対し、Bさんは

 

「俺は、この仕事を一生懸命やっているが、それは

この理想に到達するためだ。だから頑張ろう!」

 

Bさんの思いのベクトルは

理想へと向かっています。

 

それに対し、Aさんは

 

「報われなかった」過去に向かっています。

 

すると、同じように一生懸命頑張っていたとしても

 

結果は全然違ったものになる。

 

そう、「原因と結果の法則」の中では書かれているのだと思いました。

 

全人格的に考えると分からなかったものが

 

「思いの方向性」と考えると見えてくるものが違います。

 

実際、私は色々な人のコンサルを行っていますが

 

成果が出ない人の「思い癖」は

語尾や口癖、そういったものに現れています。

 

途中までうまくいって自滅してしまうパターンを持っている人も

 

「思い」のどこかに

 

「騙されてなるものか!」とか「損するのは嫌だ。私が一番得をしたい」

 

「人のことは信じられない」

 

とか、そんな感情を持っていケースが多いです。

 

原因と結果の法則で考えると

 

「思い」そのものが「結果を引き寄せる」ということなのだと思います。

 

が、

 

「思い」は

 

「無意識レベルの思い」まで確認しないと見えてこないものがあります。

 

まさに、無意識レベルの思いこそ

 

特定の重要な要素 なのだと思います。

 

その思いが「純粋でクリーンなもの」である限り、その方の世界は

 

純粋でクリーンなものになる。

 

最近それを切に思います。

 

私自身も純粋でクリーンなものであるかどうかを

無意識レベルまで、確認しながら生きていこうと思います。