先日、祖父がなくなり
クリスマス、お葬式でした。。
3連休初日の訃報、
すぐに山形へ
お通夜にお葬式のクリスマスとなりました。
おじいちゃんのことを書きたいと思います。
88歳だったおじいちゃん、
長い闘病生活でしたので、親族みんな心の準備も少なからずあったのではないかと思う。
会ったときは元気そうにみえたおばあちゃんが、
納棺のときに号泣したのを見たときは、さすがにみんなもらい泣きでしたが、
生まれた順番を考えれば、順番どおり、、、であったし、
娘と孫に看取られて息をひきとりましたので、
こんなこと考えるのも変かもしれないけど、
それは幸せな逝き方なんじゃないか。。と思ったのでした。
子供のころは夏休みとか冬休みのたびに会いにいっていたし、おじいちゃん大好きでした。
筋トレが趣味(笑)でマッチョでした。
よく人間シーソーやってくれたなぁ・・
(おじいちゃんが寝た状態で足首に子供が乗っかって、腹筋によりシーソーになるという、おじいちゃんの筋トレ且つ孫の遊びにもなるという一石二鳥なものでしたw)
そのため、体力には自信のあるおじいちゃんでしたが、
アルツハイマーを発症し、徐々に進行し、入院や退院、施設などを転々とする闘病生活になって14年。。
体が丈夫なことは、脳の病気には関係なく。。
一番身近にいてずっと看病をしてくれていた親族の方からは、本当に大変で辛い時期があったことも聞いていました。
赤ちゃんで生まれて、大人になって、年をとって、また子供に戻っていくのですね。
徘徊したり、暴れたり(病気前はそんなことない優しい人でした)、
赤ちゃんのようになっても、体力自慢の男性の力はとても強い。。
雪降る夜、病院からパジャマで抜け出して、迷子になってしまったこともあったと聞きました。
探しても探してもいなくて、捜索願いをだす。
タクシーの運転手さんが見つけてくれたとき、
おじいちゃんは病院から遠くはなれた田舎道を、
雪のなか裸足にパジャマで歩いていました、何時間も何時間も。。
また別の時、
私がお見舞いに行く前日のこと、
おじいちゃんは私が来る日をとても楽しみにしていたと聞きました。
Mikiはいつくるんだっけ?
明日くるよ。
明日か。
その後昼寝をしたおじいちゃん、
目が覚めたとき、おじいちゃんの中では「明日」になっていました。
本当はまだ数時間しかたっていないけど、
こない!うそついたな!
といって暴れたそうです。
力が強いから、押さえるのが大変だったんだよ。
施設の人が何人かで押さえたと、聞きました。
そんなに楽しみにしてくれていたんだ。。と思ったことを覚えています。
たまにしか会いに行けなかったけど、
だから行くたびに病気が少しずつ進行していることを感じました。
本当に少しずつ少しずつ。。
ついに自分の子供たちを忘れてしまっても、
おばあちゃんのことは分かっていたそうです。
自分の娘(私の母)も分からなくなってしまったとき、母は泣いていました。
あの時期はとても辛いときだったかと思います。
そして、そうした時期を過ぎると、
暴れたりしていたことがウソのように、おじいちゃんは穏やかになりました。
話しかけると、分かっていなかったのだと思うけど、にこにこしてくれました。
大好きな甘いものを、にこにこして食べていました。
顔つきも、すごく優しくなっていて驚きました。
みんなで菩薩みたいだね、と言いました。
車椅子だったし、話をすることはできなかったけど、食欲はあって元気でした。
それは、5年前のことです。
それからは、徐々に体も弱くなって、
寝たきりになり、
危ないとお医者さんに言われた時期も何度かありましたが、
その度乗り越え、
みんなおじいちゃんの生命力の強さに驚かされてきました。
でも、ついに先週なくなりました。
年末会いに行く予定でした。間にあわなくて、残念に思います。
前にお葬式にでたときは、子供だったしよく分からなかったし、
大人になって、今回初めて近い人の葬儀にでましたので色々考えることがありました。
親を大切に、周りの人を大切に、
来年もいい年にしたいなと思います。
ところで仕方ないことですが、
クリスマスの予定がオジャンに((>д<))
連絡をうけたとき、
数ヶ月前から楽しみにしていたイブの観劇のチケットが、まさに紙くずになった瞬間でしたw
一瞬いろんな計算が頭の中で行われました。。
混乱のなか、なんとかならないかいろいろ考えましたが、なんともなりませんでした。
そして、出す前だったのが幸い(?)だった年賀状たちも、見ないふりして放置したままです。
なんかバタバタした年末でした。
来年もがんばろうっ。
良いお年を★
