　『６月０日　アイヒマンが処刑された日』という映画を観た。　　　

　アドルフ・アイヒマンは第二次世界大戦中、ナチスがユダヤ人抹殺を目指してユダヤ人を収容所へ移送するにあたりその計画を立案した者で、戦後はアルゼンチンに逃亡していたがイスラエルの情報部員に逮捕され、イスラエルの刑務所で処刑された。処刑は1961年5月31日から6月1日にかけての深夜に行われたのだが、何月日何時何分に絶命という記録は残っていないようだ。これが映画のタイトルの由来である。

　映画ではもちろんアイヒマンも無力そうな男として登場するが、時間をかけて描写されているのは塀の外であり、塀の外の鉄工所で働く少年である。

　鉄工所の社長は、かつて英領パレスチナでシオニストの武装組織に所属し、宗主国イギリスや先住民であるアラブ人と戦った男である。その彼はナチスの強制収容所で生き延びた工員やアラブ系の工員に対して専制君主としてふるまう。

　イスラエルというとナチスの強制収容所で生き延びたユダヤ人がつくった国、というイメージを持つ人が多いが、実際にこの国の行政組織や軍隊をつくったのは第二次世界大戦前から「約束の地」に移住してきたシオニストと呼ばれるユダヤ人なのだ。そしてパンフレットの解説記事(＊)によると強制収容所からイスラエルに移住してきたユダヤ人は第二次世界大戦前から入植していたユダヤ人から弱虫扱いされたという。さらに、イスラエルには近隣のアラブ国家から移住してきたアラブ系ユダヤ人がいて、彼らは国内で最も低い位置に立たされた、というのがこの映画の背景である。

　アイヒマンを収容している刑務所の所長は鉄工所の社長とは武装組織での戦友である。その所長が鉄工所の社長に秘密の仕事を持ち込む。アイヒマンを絞首刑にした後、その遺体を灰になるまで焼却(％)するための炉をつくれ、というのが刑務所からの話だった。

　イスラエルの法律では火葬は認められていないという。イスラム教徒同様、ユダヤ教徒も死んだ後遺体が遺されていないと最後の審判で困るようだ。だが、アイヒマンの遺体を埋葬すればナチスの信奉者が遺体を盗みに来るかもしれない。ユダヤ教指導者はアイヒマンは異教徒だから火葬は問題ない、と回答する。

　とにかく遺体焼却が公知となればいろいろ問題が起きるから焼却炉の仕事は秘密裏に進められる。

　アイヒマンを収容する刑務所にはアイヒマン以外の収容者はいない。何者かがアイヒマンを逃亡させたり、処刑前に彼を殺害したりしないようにするためだ。それでもその何者かにおびえる所長の姿が印象的である。

　印象的だといえば、アイヒマンが独房でベートーベンのピアノ曲『悲愴』のレコードをかけているの場面も印象的だ。

　映画にはポーランドのゲットー跡の場面もある。アイヒマンのいる刑務所で刑務官を勤めていたポーランド出身の青年が、ここでナチス親衛隊員に鞭で打たれた、と団体旅行の参加者たちの前で証言する。

　その後、青年はなぜ証言をするのか、と語る場面がある。彼が初めて「祖国」イスラエルに入国した時、鞭打たれた話を入国審査官話すとそれはつくり話だ、と嗤われた、という。だからこそ自分は証言をやめないのだと。

　この場面を観ながら、修学旅行で被爆者や沖縄戦体験者の話聞いて何も感じなかったという身内の顔を思い出した。元従軍慰安婦や平頂山事件（日本軍による中国人虐殺事件）生存者の体験を私自身が聞いた時のことも思い出した。

　さて、鉄工所では焼却炉の開発が進む。小柄なため狭い炉内での作業に向いているうえ、機転の利くアラブ系ユダヤ人少年・ダヴィッドは焼却炉開発で大活躍をする。

　そして処刑後のアイヒマンの遺体は灰になるまで焼かれ、その灰は海に捨てられたのは史実にとおりである。だが、その後のダヴィッドの人生は報いられたものだったのか…。　

(＊)パンフレットの解説記事を書いた早尾貴紀（東京経済大学教授）はパレスチナ問題の研究者。この映画にはパレスチナの話は出てこないが、パレスチナを抑圧するイスラエル国家の内部にも差別や格差がある、という話はパレスチナ問題と地続きの問題だ。

(％)この映画で使われているヘブライ語は私には全くわからないが、字幕では「火葬」、「焼却」と区別している。かつて、ナチスの収容所でもガス室で殺したユダヤ人やロマの遺体を「焼却した」と関係者は言ったのだろう。

　焼却といえば、オウム真理教の教祖・麻原彰晃が処刑された時も、遺体は「焼却された」とメディアは報じた。戦後最大規模の犯罪の主犯とはいえ、人間じゃないか、とあの時私は思った。

６月０日 アイヒマンが処刑された日

６月０日　アイヒマンが処刑された日