うちは 半育児放棄されて
ここまで生きてきました。
うちの小さい時のおはなしを
しようと思います。
不快に思う方も いらっしゃると 思うので
無理だという方は 見ないことをおすすめします。
うちには 年子(1才違い)の
いもうとがいます。
厳密に言えば 11ヶ月離れてます。
11ヶ月はやく産まれただけで
「 お姉ちゃんなんだから 」
こう言われながら育ってきました。
幼稚園、小学生のときの
家庭環境は最低なものでした。
お父さんは単身赴任という名前だけ
つかって どこかで 別の生活を
送っていました。
家には うちと 妹と お母さんの3人。
ある日、2才頃の妹が泣いていました。
お母さんは 「うるせぇ、泣き止ませろ」
3才頃のうちに そう言いました。
うちは 泣き止んでもらうために
見よう見まねで
哺乳瓶にミルクをいれあげてみたり
自分のお気に入りのおもちゃを
渡してみたり
文字はあんまり読めなかったけど
絵本を開いて見せてみたり
小さいなりにいろいろ考えてやってみました。
結局おむつが汚れてて変えてほしかった
みたいでした。
自分がやってもらった時のことを
思いだしながら一生懸命
おむつを替えました。
あの頃、お母さんの言うことは絶対でした。
お母さんが全て正しいと思っていました。
お母さんの機嫌をとりながら生きてた
幼稚園の頃から 中学生までの
ことをズラズラと 書こうと思います。
幼稚園頃〜
・ 妹がくつ下履かせてもらってたけど
うちは 「 それくらい自分でやれ 」
と言ってきた。
・ 「 洗濯も掃除もお皿洗いも
なにもやってくれないのね!! 」
って怒鳴られた。
・ お風呂はいったら水道代が
高いって怒鳴られた。
お風呂は週に2回くらいでした。
それ以上はいると 高いって
怒られてました。
小学生頃〜
・ テストで毎回頭のいい妹と
比べられていた。
・ 食器洗ったら 褒めてもらえるかな
っておもって 洗ったら
「お前が洗うと二度手間に
なるからやるな!!」
と怒鳴られた。
・ 自転車に乗る練習してて
転けて血が出ても つばつけとけば
なおるっていわれ つばつけられた。
( 妹はちゃんとマキロンでした。 )
・ ご飯がない。
お昼は学校で食べてたけど
朝も夜も 作ってくれなかった。
作ってくれるのは 機嫌がいいときだけ。
ーーーーーー
どれも そんなことで?って
思われる方もいらっしゃると思います。
でも その頃のうちにとっては
すごい重要なことだったんです。
まだまだあるけど 書くの疲れちゃう。
うちばっかり あーしろこーしろって
言われていたの。
妹は何もしなくても 特に何も言われないのに。
うちばっかり。
親が「妹死んでほしい」って言って
妹に「死にたい」って言われて
挟まれたこともあります。
すごいつらい。
それを それぞれ相手に伝えれば
解決だったのかな。
うちは 誰にも守られない。
ずっと 切り離されてた。
愛情なんて これっぽっちも
感じたことなかった。
小学生低学年の頃 妹が病気で入院して
親が付き添わなくちゃいけなくて
おばあちゃん家に預けられたときも
「さみしい」「行かないで」なんて
言わなかったよ、思ってたけど。
言ったら困らせちゃうって
小さいながらにわかってたよ。
病弱で 体力なかった妹のために
坂道では荷物もってあげても
「お姉ちゃんだから 当たり前でしょ?」って。
つらかったよ、つらかったよ。
うちは どれだけ頑張っても報われなかった。
妹は すこしでも なにか出来たら
褒められてた。
無償の愛情をもらってた。
うちは?うちには?
うちは 有償の愛情しかもらえない。
なにかをしたらもらえる。
しなきゃもらえない。
小学生低学年の頃
1人で家族分の夜ご飯
つくってたよ。
当たり前のように食べてたけど
それって普通じゃなかったんだね。
もう色々と遅いけど
今頃普通じゃなかったんだって
気づいたよ。
この頃のことが映像化して
急に頭に流れてくることがあるんだけど
あれは なんなんだろう。
つらくて 苦しくて 涙がいっぱいでる。。
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文章能力ないから
めちゃくちゃな文になってるけど
読んでくれたら うれしいな。
まだまだ あるけど 上手くかけないから
そのうち書こうと思います。
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