集団的自衛権について、
言いたいことがあります。
何だか、論点が違っている、わざと違えている、
それとも、違うところに目を向けるように仕向けている?
そうとしか思えません。
(見抜けていたら凄いですね。)
そもそも、解釈を変える、っていうことが間違っている。
解釈を変えるなら、文面に書かれていなければ、その時代で何とでも改悪できるってことです。
でも、文面にすべての事例まで書くことはできません。
憲法の精神は何か?が重要です。
(これは社民党の又市氏の意見に賛成です。)
校則で、すべてのこと(細かい事例)を規則集に載せることはできません。
でも、すべての生徒の成長のために作られているという精神は間違いはありません。
もし規則で「スーパーで買い食い禁止」とあったらどうなるか。
じゃあ、飲み物ならいいの? ゼリーは飲めばOK?食べてないじゃん。
コンビニならいいの?コンビニはどこならいいの?スーパーとコンビニの差はどこに?
一度家に帰ったらいいの?制服ならダメなの?などなど、議論は山ほど。
これは「生徒の為になるかならないか?」で判断するしかありません。
規則の精神に照らし合わせて判断すべきで、
すべてのケースをこれはOK、これはNGと載せきれません。
いくら細かく規定しても、必ず抜け道が出てきます。
脱法ハーブのように、記載されていなければ禁止薬物より強力でも取り締まれない。
憲法の解釈を変えて良いなら、悪用もできる。
総理や内閣は善である、という前提に立って国民は信用するしかない。
憲法が作られた精神は何だったのか?それ以降その精神を守って来たのではないですか。
解釈を変えることは憲法の精神を無視すること。憲法の精神を入れ替えてしまうこと。
憲法を文面はそのままに、実質を全く変えてしまうこと。
私は憲法を変えることに反対しているわけではありません。
多数派の意見で、「解釈」を変えてしまうことが問題です。
時代が変わったのなら、解釈を変えるのではなく、堂々と憲法自体を変えることにしてください。
精神が変わったなら、そうすべきです。
安倍さん、自民党さん、あなたがたは解釈の議論ばかりに目を向けさせている。
「憲法を変えず」、「解釈を変える」こと、その前提がおかしいのではないかということは目を向けさせていない。
狡猾にもそれが策略なら即刻改めよ、
愚かにも気づいていないなら、解釈を変更する内閣決議の前の段階に戻れ、と言いたい。