男根は女陰を求めており

女陰は男根を求めている


そのことに素直であるべきです


肉体を駆使して


肉体に没頭してみて解ることは


人間が

肉として顕れた

霊であること

であるかもしれません


肉であり

霊である

人間にとっての結合


その欲望を満たす時

生命は激しくのけぞり

忘我の至福は

神の一撃のごとく

人間を痙攣させるでしょう


水という水は体から溢れ

永劫の謎の中に

その全体性の中に

一瞬

霊を解き放ち

その輝きを

垣間見せるのです


女陰は開き

男根は突き立てる


肉と

霊は


そのことに

素直であるべきです





妄信ではなく吟味してほしいという彼の態度には好感が持てる。

彼の言葉は現代に生きる人間にとって滑稽なほどかけ離れた次元から語られている。

彼の言葉が真理なのかまったくの妄想なのかを現代の視点から判断することは出来ない。

しかし彼は自分の言葉を信じてほしいとは考えていない。

ぜひ吟味してほしい、あくまでも個人の自由な意志によってそうしてほしいと述べている。

このテーマの中では、彼の言葉を私なりに吟味していきたい。


 象徴の主要な機能は、あらゆる宗教と同じように、隠れた意味を明らかにすることであるが、象徴は少数の人にしかわからない意味を持つこともあれば、誰にでもわかるような意味を持つこともある。象徴は、意味を明らかにすると同時に、隠すことにも用いられるので、この点では、原始宗教社会と通過儀礼の秘儀の面で、重要な役割をいつも果たしてきた。象徴は、理性と感覚の有限界から、それらを超越した無限の「超」自然界へ秘儀を授けられた人を導くのに重要な役割を演じた。

 言葉自体、その起源は、象徴的なものである。思想と感情を表現する為に、詩が散文よりも先に起こったのは、このためである。詩が主として取り上げる題材は、宇宙における人間の位置、それに対する人間の感応、そして人間が心に抱く驚異の念である。それが、ワーズワースの「心の中へ深く浸透したものに対する認識」であり、媒介者としての人間の機能に対するブラウニングの洞察である。


  ひとたび、姿を見せた人間は、

  無生物に、自己の存在を永遠に刻み込む。

  その後、風は泣き声、叫び声、

  不平、生き生きとした陽気な笑い声となる。

  人間がこの世に現れれば、

  無意味な風は決して存在せず、

  われわれは、人間へ関心をひたすら向け、

  人間の現在の価値を十分認識し、

  人間の本来の姿を理解し、

 人間の地位と最終的な位置を確認したいと思う。

             

                   「パラセルサス」

結果報告が出来ないのは

終わりにたどり着かないから

どこに行くのかも知らない

ただ行き続けること


浸透し通過していく

所有しないもの