飽きるほどに「不条理」は世界に満ち溢れていて、意味もなくやってくる不幸や悲しみに抗うには人間はあまりにも無力であるが、無礼で不遜な奴ほど幸運に恵まれるように思われる。だが、だからといって善人ばかりが不幸かといえば、因果性などはそれらしくみえる(どうしても悲劇であればあるほど目立ってしまう)だけで、本当のところは見つけられない。
こういう事態に見舞われるのは、まさに「不条理が不条理だから」である。
最近、やっと感覚的・経験的に、わかりはじめたことだが、合理的に説明が付くことは少ない。合理的な説明は事後的に可能だ。むしろ、全く合理的ではないが、なんとなく直観的に「起きる」出来事が推察できたりする。
反省として、学生時代は義理人情と(合理的な)正義感をごたまぜにしてきた、それゆえ、災難に見舞われたときに、結局のところ、どうしていいかわからなかった。だから、正義を盾に怒ってみたりしたが空回りに終わった。
大人になるとはこういうことなのか、と夜中にしみじみ考えたりする。
