目が覚めたら もう 溜め息だけで
この世で起きていることが 「現実だ」と 諭す。
その現状に嘆き疲れて 心はとっくに崩れ果てたんだろう。
心にはもう 絶望と溜め息ばかりで
浴びせられる言葉に 「これが現実だ」 と 目を伏せる。
心を閉ざす以外 方法はなくて 関係することに嫌気が差すだろう。
空は青く 澄んでいても 銃声は鳴り止まない。
手は小さく あたたかくても 罵声は鳴り止まない。
涙はたとえ 止まっても 心は泣き止まない。
太陽は昇っても もう 溜め息だけで
死んでゆくことだけが 「救い」 だと、心がささやく。
この現状は とうに見飽きて 心はとっくに麻痺してたんだろう。
口にはもう 歌と溜め息しかなく 誰かに伝えられる言葉なんてなくて・・・
刺すような声と言葉と心に とっくに望みなんて消え失せてるんだよ・・。
空は青く 澄んでいても 爆弾は降り止まない。
手は小さく あたたかくても 拳と手のひらは振り止まない。
嗚咽はたとえ 止まっても 心は吐き止まない。
目が覚めたら もう 溜め息だけで
この世で起きていることが 知らせてくれている
「もう 諦めようよ。」って。
――――――――――――――――――
E.M シオラン 「生誕の災厄」
p167~8
『若い人たちに教えてやるべきことはただの一事、
生に期待すべきことは何一つとしてない、
少々譲ってもほとんど何一つないということに尽きる。
各人の引き当てたあらゆる見込み違いを列挙して、〈失望表〉を作製し、
これを学校に掲示するというのが理想だ』
p179
『「あなたという方は、この前の戦争のあと人間のしたことには、全部反対という立場なのですね。」
と、その当世風の夫人はいった。
「日付をお間違えじゃありませんか。わたしはアダムこのかた、人間のやってきたことに、全部反対なんですよ」』
―――――――――――――――――――
この世で起こっていることが私たちに教えてくれていること、それは
この世に生まれなければ 悲しみも苦しみも痛みも病も、
そして死ぬこともないということ。
それを背負わせることの恐ろしさを、感じないでしょうか。
その喜びの陰には、私たちの想像もつかないような無限のパターンの苦しみが、絶望が、失望が潜んでいます。
表向きは私も、おめでとう、とは言いますし生まれてしまったらもう生きていくしかないのでどうしようもありませんが、
心の奥底では、この子にはこれからどんな苦しみが待っているのか、と憂いが滲み出てきます。
もう一度 この世で起きていることを 真剣に捉えてほしい、自分達のことのように感じてほしい、そうすればそんなことをする人が、より減ってくれるんじゃないか、と。
持続可能な社会・・・・? そもそも人間が持続していく必要がない、ということを・・・・。
最近日本の治安も結構なことになってきているのではないでしょうか。
いつの時代も、この世で起こっていることそのものが私たちに教えてくれていることをしっかりと感じ取ってほしい。
あらゆる災害や戦争、病気、けが、事故、事件、そんなことを大切な人に経験させたいと思う人なんていないはずです。
どうすればいいのか、答えは一つです。
その人のはじまりをなくすことだけです。