ヨーロッパの避暑地には、日本人にはあまり知られていないけれども、非常に素晴らしく風光明媚な場所があります。
個人旅行で何度か訪れたことがありますが、いわゆる観光ツアーで行くことはまずありません。
そういった保養地には、ほとんど日本人はいないわけです。
湖や山、自然に囲まれた森林の中の高級ホテル、別荘地のような、本当にいいところがあるのです。
本当に旅慣れた方は、ホテルを上手に使います。
ホテルに荷物をすべて置いて、そのホテルを予約したまま、気の向くまま、ヨーロッパの保養地からイタリアの海辺やスベインのバルセロナやギリシア周辺のクルーズ旅行に参加したりするわけです。
ホテルの使い方が非常に上手なわけです。
ホテルからすべて予約し、ホテルをまるで自宅のように使っているのです。
こういった本当に高級なホテルにおいては、ほとんどの要望はかなえられるそうです。
もちろん、それなりのお金はかかります。
もっとも、一般の人から見たら、びっくりするほどの金額だと思いますが。
さて、個人旅行でそのような保養地に行ったときのことです。
そこには、日本人の老夫妻がおられました。
どちらも60代の夫婦だと思いますが、おそらく、日本人と会うのは久々だと思われました。
だからか、日本人のいない保養地で、たまたま迷い込んだような私に、声をかけて、少し身の上話のようなことをしたかったのだと思います。
当然、ちょっと見ればご夫婦とも大変な資産家で、教養もあるお方だということはわかりました。
その方がおっしゃるには、お二人とも東京で大きな病院を経営していた医師だそうです。
そして、そのご夫婦には、自慢の息子さんがおられたそうです。
有名小学校から中学、高校を経て、いわゆる一流大学の医学部を卒業し、その一人息子を自分が経営する病院の跡取りにするという予定だったそうです。
そして、自宅も大きな家を建て、子供の跡継ぎである息子の部屋も作り、何不自由ない幸せな老後を送る予定だったのです。
ところが、その自慢の息子さんが、不慮の事故で亡くなられたのだそうです。
東京の有名な病院の院長先生でしたし、また、さまざまな医学界の要職に就いておられましたから、有名人だったわけですね。
だから、自慢の跡取りの息子さんが亡くなられたことも、関係者にはみなさん口には出さないが知っているわけです。
そうすると、そのご夫妻は、あまりにも立派な家を建てて、これからここに息子と嫁と、孫とともに住むわけでしたが、そこで、かえってその大きな家を見ると、辛くなったそうです。
これから、老夫婦2人で住むにはあまりにも広すぎる、そして病院に行ってもやはり、ほかの方が気を使って下さる、あまりにも有名な医師だったから、かえってそれが苦しかったそうです。
そこで、その広すぎる家を処分し、病院の権利を他人に譲ったそうです。
当然、東京都内の豪邸を売り払い、大病院の権利を譲れば、相当なお金が入ります。
それで、ヨーロッパの保養地でずっとそれから暮らしているとのことでした。
次に聞いた話です。
あるところに、お年を召したご夫婦がいました。
いつも喧嘩ばかりしていたそうです。
特に、御主人のほうは、奥さんの料理に不満でした。
奥さんは、カレーしか作れなかったのです。
いつもこんなまずいカレーが食えるかと言っては、怒鳴っていたそうです。
奥さんは、何の反論もせず、黙って聞いていた。
ところがその奥さんがなくなってしまいました。
一人残された御主人は、とりあえず葬式や初七日や、あわただしい日々を過ごしてしばらくして、自宅で一人、ぽつねんと過ごしていました。
その時に、ふと、冷蔵庫を開けてみると、そこに、奥様の作られたカレーが冷凍して凍った状態で保存されていました。
それを見た御主人は、それを解凍して、泣きながら食べたそうです。
半年ぶりに食べる、死んだ奥さんの作ったカレー。
泣きながら食べるしかなかった。
今までさんざん、こんなまずいカレーはないと言っていたカレーが、これはもう最後だと思うと、こんなおいしいカレーはないと思って、泣きながら食べたそうです。
さて、今の2つの話を聞いて、どう思われるでしょうか。
この話は、事実でしょうか?
もしかしたら、私が創作した話かもしれません。
そうだったら、どう考えるのでしょうか。
要するに、ある現象(人間の振る舞い)を見たときに、それをどう解釈するかというのは、人間次第なのです。
解釈という言葉が難しければ、ものの見方と言い換えればいいと思います。
例えば、50代や60代の人に対して、80代や90代の親がぶつくさ文句を言う、腹が立ってしょうがない、そうはいっても、文句が言える内がまだ元気なのだと解釈することもできます。
要は、仏教の教えというのは、「ものの見方の革命」だと思います。
人間が死ぬとか生きるとか、病気になる、別れる、こういったものは、変えることはできません。
しかし、その解釈やものの見方を変えることはできるのです。
これが、ブッダの教えだと思います。