“反応する”ということはどういうことでしょうか。

 

 

 

 

子どもは、ポジティブな感情の時でも、マイナスな感情の時でも、大人と気持ちを共有したいという想いを持っていると私は思っている。

 

 

 

子どもと大人の関係性が深ければ深いほど、その気持ちは強いのではないかと思う。

 

 

我が子と親の関係であればなおさら。

 

 


 

子どもは、褒められたい時や上手くいかない時に特に、親の顔を見たり、大きな声を出したり、笑ったり、泣いたり、自分なりの表現の仕方で気持ちを表す。

 

 


 

子どもと関わったことがある人なら、このような光景を1度は目にしたことがあるのではないかと思う。

 

 


 

 

そんな時に、私は、しっかり“反応する”べきだと考えている。

 

 

 

私は、意識しなくても自然とできるので普段から強く意識したりはしていない。

 

 

 

 

自然とできない人(親)は、意識した方が良いと思う。少しずつで良いから。

 

 

“仕事に加えて家事、育児で時間がない。忙しい。”


それは分かっている。重々承知の上で言っている。

 

 

 


“反応する”ということはどういうことか。

 

 

誤った、何の意味もない“反応”をしている人が多い。多すぎる。


 

 

 

 

 

例えば、

 

 

子どもが積み木をしていた。

 

 

高く積み上げられるように、崩れても何度も何度も挑戦をする。

 

 

試行錯誤の末に、高く積み上げられた。自己新記録!

 

 

子どもは、親の方を見て、両手を上げて「いえーい!!!ママ見てー!頑張ったよ!」と大喜びしながらママの方を見る。

 

 

 

その子どもの行動に対して、親は、

 

 

「おーすごいね!」

 

 

 

言葉だけを見ると、良いって言う人が多いと思う。私も言葉に対しては文句ない。

 

 

この言葉をどのように言っているかが問題。

 

 

 

携帯をいじって画面を見たまま、テレビに目を向けたまま、調理中の鍋を見たまま。

 

子どもの顔を一切見ずに言葉を言う。

 

 

そんな浅い言葉は一切子どもに伝わっていない。その時の子どもの顔は笑っていない。

 

 

 

言えば良いっていうことではない。

 


一般的には、言わないよりはマシと考える人も多いのかもしれないが、私は全くそうは思わない。

 


子どもの心に伝わっていない言葉は、言っていないことと同じ。

 

 

 

ただ“言う”のではなく、子どもの顔を見て“伝える”ことが大事。

 

 

 

 

ママやパパが忙しいのは分かる。やっとできた僅かな自分の自由時間。休める時間。

 

その時間を無くせと言っているわけではない。

 

 

 

一瞬だけでいい。少し離れた距離からでもいい。子どもの顔を見て、“反応する”。

 

 

一瞬なら、忙しくてもできるはず。

 

 

誰でもできるはず。

 

 

毎回ではなくて良い。親も疲れてしまうだろうから。


 

“これは大事な時かな?”って感じた時に、ぜひ“反応”してあげてほしい。





この一瞬の親の行動が、親の少しの意識やこうした努力の積み重ねが、子どもにも伝わる。